私のなかのねじれたプロセス
6月から「プロセスワーク」を学んでいます。
今日は「1次プロセス」「2次プロセス」「エッジ」について自分自身と対話しました。自分の体験を振り返ってみると、一般に多くの人が感じているそれとは真逆のフレームが見えてきました。多くの人が嫌悪感を抱くのではないかと思える言葉が私のアイデンティティを形作っているようです。私が憧れている理想の生き方は2次プロセスだったことがわかりました。
1月から3月まで学んでいたEMS エッセンシャルマネージメントスクールの根底に流れている理念は「肯定ファースト」です。肯定ファーストの文脈があるからこそ大勢の人がEMSで学んでいるのだということがよくわかります。実際に居心地のいい場所でしたし、いまも卒業生のコミュニティに参加させていただいてます。
「肯定ファースト」の必要性は十分感じていながらももやもやするのは、私にとっての「肯定ファースト」が2次プロセスなのだろうと理解しました。自分じゃない感じ。
オンライン対話会で誰かが話をすると、聞かせてもらってありがとうの「拍手」をします。全員が同じことをすることへの反発なのかなぁとこれまで思っていたけれど、その時の拍手は私にとって2次プロセスだったのですね。
私にとっての1次プロセスは、「自分本位で、ずるくて、計算高くて、自分自身の幸せのことしか考えられない人間」であることに気づきました。そんな自分でいる時が心地いいのです。
2次プロセスは、「人に親切にすること、やさしくすること、思いやれること」です。人にいい人だと評価されること、誉められることが嫌いです。そこになんらかの裏があるように感じてしまうからです。
私のエッジは「自分自身が心から自由だと思えること。それは自分自身で掴むほかなく、ヒトから与えられるものではない」という信念だと思います。
これまでの人生で感じてきた意識状態を見える化してみると、多くのひとが感じているプロセスとは真逆なのではないかと思えてきました。だから生きづらいのではないかとも・・・。でもこうやって自分の体験を整理しながら考えてみると、それが正解とか間違っているとかではなしに、「あなたはあなたじゃない」と客観視している自分がいて、今後の体験の場がこわくない感じがしています。
わたしの1次プロセスは「自分自身の心の自由を守るために戦うこと」です。あやこさんの活動は6月18日までに決まってしまうようです。それはあやこさんの活動なのかなぁ・・・。
どんなプロセスを経験できたら私は生きている意味を見出すのでしょう?
いまのままでも十分幸せだと思って見ないふりをしていてもいいのだけれど、知り合った方が「民主主義」のほんとうを追求しているものだから、そこを学んでいくことが自分自身の心の安定につながるのかもしれないと思えてきています。詳しいことは何もわからないのですが、感じるままに、心のままに自分の意識状態を確認しながら生きていきたいと思っています。