ツイッター上で糞な人生とかつぶやく人…
どうも皆さん!はるのねいろです…
そんな明るい話でもなく、書き込もうか悩んだ末の書き込みになります(笑)
ズバリタイトルにもある通り、ここ最近、ツイッター上にて、自分のフォロワーさんが『糞な人生だった』とか『死にたい』とかつぶやいてるのを見て、ちょっと思ったことを自分なりに吐き出したいと思いました。
普段は気にも留めないそういったネガティブツイート…
今回は複数のフォロワーさんがたまたま重なったタイミングでネガティブツイートをしていたため、目に余りました。
糞な人生。それは、他人が関与することの許されない、自分だけの考え。
だとは思います。
問題は、公の場で、そのようなことを発信してしまっては、自分だけでなく、それを見ている周りの人に失礼なのではないか。
楽しく趣味を広げようとか、頑張って自分の人生を生きている人がたくさんいるのも事実。
そう考えるとどうでしょう。
ちょっと批判的というか、もはや批判になってしまいますが(ご了承ください泣)
糞な人生とかいう人が、そのようなツイートを公の場で発信します。
すると、周りのがんばっている人は、不快になる。
不快になると、その人に関わろうとは思わなくなる。
ツイートした人は、孤独になる。←余計に糞な人生を歩むことになる
ということです。
つまり、何が言いたいかというと。
もともと人間というのは、糞な人生というものはないと思っています。
もちろん、生まれた環境、現状は人それぞれで、自分は一概にはいうことはできませんが、間違いなく、糞な人生というのはない。と。
裕福な人が、毎日の生活が退屈で、それで糞な人生と嘆けば、それは糞な人生になります。
過酷な家庭環境の中で、自分の時間を作り、趣味に精を出す。
本人が充実していれば、それは幸せな人生になります。
つまり、【自分の考え次第】なのではないかと。
もちろん考えだけでは、現状は何も変わりませんが、ちょっとでも、這い上がるといった気持ちがあれば、ちょっとのことでも、一生懸命に頑張れる。
自分が変わらなければ、周りも変わらない。
昔、私はいじめられていた時期がありました。その時に築いた言葉です。
周りを変えるためには、自分が変わらなければ、苦しい現状は続くのだと。
それだけを信じて、苦手だったコミュニケーションを積極的にとり、自分がされてうれしいことは、たくさん友達や周りの人にしてきました。
気づいたら、自分の周りには、たくさんの友達がいました。
寮生活だった私は、自分の部屋の玄関が友達の靴で廊下まであふれていました。
その経験が、今でも自分の励みになっています。
話は戻りまして、いちいちこんなネガティブツイートに反応してしまっては、体力が持ちませんが、今回思い切って自分の考えを吐き出せてよかった。
またこのようなくだらないことで、お話をすることがあると思いますが、その時はよろしくお願いします(笑)
まだまだ思うところはあるのですが、今回はこの辺で失礼したいと思います!
ではまた!!!
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