47.講義は半分既知が吉
今日は終日、”プレス金型などの設計に伴う図面の読み方・書き方”についての外部講習を弊社の新戦力の方と共に受講してきました。講師の方もいい人でとても分かりやすい講習でしたが、逆に特にこれといった大きな特色はなく、眠くなる要素もあるような雰囲気の講習でした。そんな普通の雰囲気の講習でしたが、今日私はとても面白い講義に感じました。その理由を考えた時に大きく2つあるなと思います。
なぜ面白くない講義があるのか
1つ目は”自分の仕事に直結するため、死ぬ気でやるという心の前提”、2つ目は”半分以上は知っている内容だった”ということです。1つ目は再現性がないというか、私の立場特有の根性論みたいな話なので特にそれ以上でもないのですが、2つ目はとても面白い発見だなと思っていました。
こんなことを言っては私のブランド価値(?)を下げてしまいますが、高校時代以前の私と言えば授業は内職か爆睡というのが定番で、浪人時以降は授業によって明確に聞かない授業と聞く授業を分けていました。ただ、基本的にこの授業面白いなと思うものにはあまり出会ったことがなく、やらざるを得ないから必死で聞くというものはあっても、聞いてて楽しいと思うものはあまりありませんでした。もちろんつまらない人にしか出会ったことがないわけではなく、特に予備校時代などは個性的な講師はたくさん出会いましたし、エンタメ的に面白い方はたくさんおられました。
講義側ではなく受け手側がどうか
しかし今日は講師が特に面白いわけではなかった(もちろんとてもいい方でしたよ!あくまで面白い方かどうかだけの着眼点です)のに、面白いなと感じる点が多くありました。それを考えるにあたり、今までの経験との違いはすでに知っている内容の多さなのではないか、ということです。わからないことがわかるようになることが講義に出る目的だと思うのですが、先ほども書いたとおり今日は約6割くらいは知っているもしくは初見で理解できる内容、残りは初耳の内容ですが3割は聞けば理解できる話、1割は理解するのに頭をしっかり使う話という感じでした。
以前に投稿した記事の中に、”勉強をするのはわからないことを増やすため”という趣旨の内容に触れましたが、面白くないと感じる講義は、その大半が知らない内容だったなと思います。例えば中学高校の時の授業は全く予習などしたことがありませんでした。そのため授業は常にわからないことのオンパレード。結局授業が分からないので面白くありません。結果また勉強しないので次の授業も面白くないのです。このスパイラルをずーっと下っていたのですが、私自身学びは昔から好きだったので興味のある内容については昔から情報を仕入れたり勉強したりしていましたが、総じてその時に仕入れていたのは”情報の半分以上は知っている内容で、2~4割くらい知らなかった新しい内容”でした。情報のアップデートも容易で、新しい情報を吸収できる喜びもあった覚えがあります。
楽しい学びに必要なのは”結構知っている”ということ
つまるところ、”一定以上既知の内容がなければインプットは面白くならない”という価値観に落ち着いたわけです。これはなかなか面白い気付きだったなと思います。興味のあること、元から見識のある内容ならともかく、今後自分にとって未知の分野について講義等のインプットの機会がある場合は、予習をしていこうと思います。29歳になって初めて、本当の意味での予習の重要性について理解した気がします。今日の内容も何かのお役に立てば幸いです。
P.S.私の記事は反響のわりに見てくださっている方がおられるんだなと最近気づき始めました。読者の皆さま、いつもありがとうございます。もしよろしければ、何かアクションをしていただけますと励みになります。これからも頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。