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102.私が”最も”尊敬する人
本日、私の祖父であり弊社の前社長・現相談役が他界しました。
誕生日は異なりますが、祖父が60歳の時に私が生まれましたので、祖父はよく「わしとちょうど60違いの孫じゃ」と言ってかわいがってくれました。
今回話す祖父は母方の祖父で、父方の祖父も別の会社を経営しています。
つまり私は2人の経営者の孫として生まれておりまして、自身が経営の道に入ったのも因果だなぁと感じていました。
祖父は私達孫や親せきの中で見せる顔は優しいもので、小学生の時にたった一度だけ怒られたことがあるだけでしたが(一度だけなので逆に鮮明に覚えています)、仕事においては非常に厳しく短気な方だったと聞いています。
弊社は1947年創業ですが、今の工場は一番初めには小さなプレス機が2台と、その他機械が1台からスタートしたと聞いています。
そこから今の規模の会社にした祖父には、最も身近な学ぶべき経営者として尊敬しています。
小さい時から祖父が私に”天地人”の教えを説いてくれたり、自分の仕事での自慢話を聞かされたり、正月には書初めを教えてもらいながら祖父も何か書いているという光景を見ていました。
小さい時は、というより経営者になると覚悟を決めるまでの私は”天地人”の話も仕事の自慢話もあまり強い興味を持てなかったのですが、今となっては非常に学びの多い言葉に感じています。
また昔私の横で書いていた書初めは社内のいたるところに貼られています。
その時その時の自分が「これが今会社に必要だ」と思ったものを書き出し、それを社内に周知していたその”想い”が今も強く社内に根付いています。
古くから弊社におられる方に「相談役はどんな人だったか」と聞くと、ほとんどの方が「とにかく厳しい人だった。しかしアメと鞭の使い方に優れた人だった。」とおっしゃいます。
今の私は「叱る」ことや「注意する」こともあまり得意ではなく、すぐ仕組やルールを改善しようとし、それに従わない人間は「そういう奴は何を言っても仕方がない」と勝手に冷めてしまう癖があります。
感情的にはならず、あくまでも仕組みとして組み上げていくという私の信条は、拡大再生産をするには非常に有効ですが、人の心を打つことはできません。
祖父は、感情を出しながら、もちろん仕組みも作っていき、叱った相手には後フォローを入れるような働き方をしていたようです。
私は感情がすぐ顔に出るくせに、感情を出す事は苦手ですので避けてきたのですが、数多くの成功者の話を聞くと、程度はあれほぼ例外なく「細かいことにこだわる」であったり、「すぐに𠮟り飛ばしてくる」であったり、「朝令暮改は当たり前」だったりします。
その1事象1事象は、特に現代の日本ではあまり馴染めない価値観でしょうが、長い目で1つの組織をまとめ上げ成果を出すには、少なからずこのような価値観と行動が必要なのだと意識しています。
今回の経験を経て、改めて行動したいことが2つできました。
1つ目は、もっと人との関わりを大切に、大事にするようにしようと思います。
ありがたいことに昨日までは両祖父母健在という、29歳としては珍しい状態だったため、今回が記憶に残る初めての"身近な人の死"でした。
正直、年齢もいっていることや最近は体調の浮き沈みがあったので、ある種の覚悟はしていました。
さらに私は比較的高頻度で意識して祖父母には会いに行っていたので話もよくしていました。
そういう意味では「あのときこうしていれば」のような後悔は特にありません。
ただ後悔は無いのですが、"もうこれ以上話をすることが、聞くことができない"という認識を初めてしたのが今日になりました。
亡くなってもその人が残したものや意志は継がれていれば残るのですが、その人とのコミュニケーションはもうできません。
改めて、人との関係性の作り方を、より大切にしていきたいと思います。
2つ目は、来年の新年から会社用の書初めをすることにしました。
全く達筆ではありませんが、これは私の使命だと思っています。
今日は重い話になってしまいました。
私が言うのも恐れ多いですが、天晴れな人生であったと思います。