ホントウノ

ふゆがやってきたね。

「本当の〇〇」「真の〇〇」

きみなら「〇〇」にどんな言葉を想像するかな。

「本当の好きには見えなかったな」「本当の心の病はそんなものじゃないよ」

これはひよっこが言われたことのある「本当の〇〇」たち。きみはどう?

「本当の自分」とか「本当の気持ち」とか、「本当のところ〜」とか。ありふれた言葉だと思う。街のそこら中に転がっていて、みんな「本当の〇〇」に素敵さを感じたり、悲しみを感じたり、はたまた怒りを感じたり。

みんな本当のナニカを探し回って、あれじゃないこれじゃない、こっちはどう?それかもしれないけど、もっともっと…

ひよっこは、ホントウを探すことはキラキラしたことだと思う。ガラクタまじりの世界だけど、一生懸命に自分だけの宝物を探していくようなことだとも思う。でも、ホントウ探しが「贋物の殲滅」になったとたん、それはきっとドロドロしてしまう。

ところで、「本当の〇〇」ってなに?

「本当の好きには見えなかったな」って言ったあの子のホントウはなんだろう。「本当の心の病はそんなもんじゃないよ」って言ったあの子のホントウってなんだったんだろう。

ひよっこはいま、ポリアモリーという言葉や、生き方について触れています。ポリアモリーというのは「複数の人と同時にそれぞれが合意のうえで性愛関係を築くライフスタイル」のこと、みたい。でも、言葉としても、生き方としてもまだまだ生まれたて。実践している人にとっても、やわらかくてふにゃふにゃと形を変えていく粘土みたいで、これからどんなカタチにするか模索中。みたいな存在。

ポリアモリーって気持ち悪い。

Twitterではそんな意見も少なからずあるみたい。

ポリアモリーってひとりに決められない、優柔不断ってこと?結局は浮気や不倫を正当化したいってこと?自堕落なだけなんじゃない?えーっ、そんなの本当の恋愛じゃないよ!

LGBTという言葉がようやく馴染みつつあるような世界。多様性という言葉の元に、レズだったり、ゲイだったり、どんどん新しいカテゴリーが生まれていく。そして、それらは列をなしてどんどん行進していく、「タヨウセイ」という看板を筆頭に。

でも言葉でくくればくくるほど、あぶれてしまった存在たちはどんどん苦しくなってしまう。仲間探しは、贋物との線引きでもある。グループを明確に棲み分けることは、内包と排外を同時に孕む。擁護と攻撃はいつだって隣り合わせで其処にいる。

本当ってなんだろう。

本当探しも、仲間探しも、ひよっこは悪いものではないと思う。

セクシュアリティーにしたってそう。例えば、ポリアモリー。カテゴライズされて、わかりやすく認知できるようになることで救われることもある。ああ、既存の常識では生きづらいなあと思ってたけど、ポリアモリーだったんだあ、とか。カミングアウトするにしても、共通認知されている方がしやすいかもしれないし。

でも、どこからか「本当の」という言葉が登場してしまったら?

ポリアモリーと、浮気や不倫はしばしば対立して語られる。複数の人を好きになってしまう性質は似ていても、関係する人にどのように接するかという実践は全く異なるものだ、というような。本当にざっくり言ってしまうと、みんなに言ってるか、コソコソやってるか、その2つは違うんだっていうような。

だけど、ポリアモリーの実践も、一枚岩な訳ではないみたい。そこには色んな試行錯誤のカタチがある。

そんな中に「本当の」って言葉が登場すると、これは正しい、でもこれは間違いだって、贋物探しが始まってしまう。

ポリアモリーは、性の、ひいては生き方の多様性の元に生まれたはずなのに。既存の常識じゃあ、しんどいなあ。でも、複数の人を好きになってしまう性質は、生まれ持ってしまったからなあ。それなら受け止めて、どういう生き方を実践すれば、自分も他者も傷つけずにいられるだろう。そんな試行錯誤の中で生まれたはずなんだ。「ポリアモリーとはかくあるべき」というホントウを一般化してしまうことは、多様性が少しずつ後退して、小さくなって霞んでいくような気がする。

本当って、なんだろう。

自分だけのキラキラした本当を持っていることは素敵なことだと思う。そのホントウが煌めいてみえれば、多くの人を魅了する。そして段々と、それこそが唯一無二の“本当”に膨れ上がってしまう。それは素敵なことでもあり、ちいさなホントウを握り潰してしまうことでもあり得る。

ひよっこは、きみのホントウをありのまま感じて、素直に受け止められているだろうか。

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