#僕の闘病日記 12
お雑煮ってなんであんなに美味しいんだろうね。この3日間で餅は食べ過ぎなくらい食べたな。茨城から自分の家に帰ってきて、色々とあったんだけど消化しきれないものがあって。
新年早々に書く事じゃないはず。でもやっぱり消化しきれなくてどうしようもないからこの気持ち書きます。闘病日記ってよりは普通の日記。今年からたまにはこんなのも書いてくと思うけど、自分の心に向き合うのも体調良くする第一歩だと思うんで。
病気のこととかバンドのことで普段は考えられてなかったこと、今まで向き合ってこなかったことをここ数日、人に会ったり話したり考えたりして、でも受け皿が小さすぎていっぱいいっぱいになった。たぶん頑固なのもある。
親戚に会うと結婚の話とかをされるようになって、そういう歳かとも思うんだけど、早いほうがいいからねとか、この歳までに子供ができたらって逆算してとか、そんな理想高くちゃダメだよとか、時期とか理想とかじゃなくて、人として尊敬できてこの人とずっと一緒にいたいなと思う人がいたら、初めて結婚とか考えるんじゃないのか。って話してる時に思ったり。
人それぞれ大事なものは違うし、考え方が違うのはわかってるけど、一方的に自分の意見を話されるとうわぁーってなる。
何気ない言葉なのかもしれないけど、それに傷ついたりする人がいるっていうことを分かってない人がいる。
俺の話もしたりしたけど、どういう気持ちで検査をして病院に通って結果を受け止めてまた新しく検査が始まって体調も気持ちもまだ追いついてなくて、そのことも分かってもないのに、何もなくて良かったねなんて、そんな言葉であの期間を片付けてほしくなかった。何もなくなかったし、理解しようとしていないのに、そんな言葉かけてほしくなかった。
そんな気持ちになりたくもなかったし、もっとしたいことがあったのに、話したいこともあったのに、時間を返してほしい。
そう思ってしまう自分にも腹が立って、何をしてんだってなって。
怒ってもいるし、悲しい気持ちにもなった。
でももう今からはもっと時間を大事に、会いたい人に好きな人に好きなことに時間を使いたい。それを忘れないようにここに書いてるのもある。この気持ちは大事だと思うんだよね。
いまやりたい事は、ヒヨリノアメの音楽をメンバーと思い切りライブして曲作ってたくさん悩んで泣いて笑って感動したいし、美味しいものを食べたり、友達と笑い合ったり、何かに真剣に悩んだり、それがしたい。これが俺の生きてるって事、大事なもの。
なんかあの日から、自分の人生の終わりが初めて見えて、自分がどう生きたいのかっていうのをすごい考えた。今でも頭の片隅には、いつ何が起こるか本当にわからない。っていうのはあって。確率が低いことが自分の身体にもう起きてしまってるから、これが良い方にも悪い方にいくのかも、もちろんわかりはしないんだけど、悪いほうにいくのが0じゃないのも確かで。
明日がくることが、今できてることが当たり前にできることが、当たり前じゃなくなってしまうことが起きるって誰にでもあると思ってて。
たとえば君と何回会えるのかも、家族と話せるのも、俺が音楽ができるのかも、実際には誰にもわからないこと。
事情があって、生活があって、どうしてもやりたくなくてもやらなきゃいけないとか、行きたくなくても行かないといけないとかある。それはきっとみんなそう。
でも自分の大事なもの大事にできなかったら、生きる意味なんかあるのか。大切にしてる言葉や音楽や人を、大事にして生きれないなんて馬鹿みたいじゃないか。ってめちゃくちゃ思っちゃって、うわぁーってなった。
気持ちが消化できてなくて書いてしまった。
納得できてないとダメなのかもしれないな。
生きるのが下手すぎる。
体は疲れてるのに考えすぎて眠くもならない。
生きるって難しいな。
でも納得できないから、納得できないんだよ。