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誰が待っていたって居なくたって もうヤメラレナイ ヤメラレナイ

 ぼくはお笑いが好きです。そしてМ1グランプリも大好きです。たくさんのおもしろい漫才をみれるし、今まで知らなかったおもしろい人たちを新たに知る機会にもなるからです。そして何より今年の決勝へ向けた公式のプロモーションでもしつこく強調されているように、そこでウケれば人生が変わるかもしれないということが参加する芸人さんたちもだけでなく、観ている僕たちをもアツくさせるのです。

 ここで少し話を変えます。日本人はみんな夏の甲子園が大好きですね。皮肉っぽく書きましたが、かくいう自分もなんだかだ好きだし、地元鹿児島の代表校の試合は選手の名前なんて誰一人知らなくてもテレビの前で熱くなって応援します。甲子園のなにがそんなに人々を熱狂させるかというのを一言で言ってしまうとそれは「儚さ」ではないかと自分は思います。毎日必死に野球に取り組み、その結果やっとたどり着ける甲子園という夢の舞台。しかし負ければそこで終わりの一発勝負。プロの試合等と違って高校野球において夏の大会での敗戦は同時にそのチームの解散を意味します。つまり終わりが明確にそこには見えています。しかし当の球児たちはその終わりの予感に気づいていながらも試合になればそんなことは忘れているかのように目の前のワンプレーごとに全力になり勝利を追い求めます。じつに儚いことだと言えるでしょう。

 似たようなことがM1にも言えるのではないでしょうか。ただその儚さで高校球児を甲子園へと煽ることと芸人たちをM1へ煽ることは主に二つの理由で本質的に全く異なります。

 まず一つ目の理由は「高校生が儚く散っても後でどうにでもなるが大人が散ってしまうのは非常に危険である」ということです。これは書いてある通りで高校生にはまだ未来があります。高校野球が終わってもその先の人生がほとんどの人は野球とは関係のないところで続いていきます。そしてその人生に高校野球が悪影響を与えることは恐らくないでしょう。なんなら高校で野球を頑張っていたことが進学や就職に役立つことも多いはずです。ただ既に大人になった人たちが挑むM1はそうはいきません。15年挑戦し続けて散った芸人さんのその後の人生はかなり困難なものに思えます。もちろん芸人をやめた後に第二の人生で成功する人がいないと言っているわけではありません。ただ現実的に厳しい状況なのは間違いないよねって話です。

 つまりM1で人生が変わる人たちもいる中で逆に人生を壊してしまう人たちもいるということです。そして多くの場合そういう人たちは人知れずお笑いの世界からフェードアウトしていくでしょう。世の中なんでも表裏一体です。華々しく咲き誇り人生を変える人たちがいる一方でそうはなれなかった人たちのことを見ないフリしてM1熱を世間が煽り続けてしまっている昨今の状況はちょっと危ういなという気がしています。

 なにも「M1なんてなくなるべき。こんなもので盛り上がってる人たちはおかしい」と言ってるわけではありません。冒頭で述べた通りぼくもM1は大好きです。ただ熱狂と同時に確実に存在している影の部分にもちょっとだけでいから思いをはせながら今日の決勝を見てみませんかという一人のお笑いファンからの提案でした。

 とにかく今日の決勝メチャクチャ楽しみですね。ぼくは真空ジェシカを応援しています。

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