上顎の拡大―MSE/MARPEについて―
前回のつたない自己紹介記事に"スキ"をいただき、ありがとうございました。
自己紹介に続きまして、note2つ目となる今回の記事では、
歯列矯正における上顎の拡大
について、ご紹介したいと思います。
1. 上顎の拡大について
(1)「上顎の拡大」とは
まず初めに、「上顎の拡大」について簡単にご説明します。
上顎と下顎には、それぞれ歯がアーチ状に並んでいます。
このアーチのことを「歯列弓」と言います。
「上顎の拡大」とは、上顎の歯列弓の横幅を拡げることを言います。
(2)「上顎の拡大」が必要な場合
そもそも矯正治療の目的は、”長期的な安定性と機能性とを備えた噛み合わせと歯並びの実現”にあります。
”長期的な安定性と機能性とを備えた噛み合わせと歯並び”の対極には、不正咬合(※日常生活及び口の健康に支障をきたす、問題のある噛み合わせ)があります。
不正咬合を解消することは、矯正治療の大きな目的と言えます。
不正咬合の原因は、顎関節の歪み、歯並びのガタガタ、舌で歯を押したり頬杖をついたりといったよくない習慣など、様々です。
そして不正咬合の様々な原因の一つに、上顎と下顎の大きさのアンバランスがあります。
上下の歯が安定して機能する噛み合わせ(歯並び)は、上顎の歯列弓が下顎の歯列弓よりも少し広く、上顎の歯の咬合面(※噛む面)と下顎の歯の咬合面がきちんと噛み合っています。
しかし、矯正治療が必要な人の中には、下顎の歯列弓に対して上顎の歯列弓が狭いために上下の歯の噛み合わせが不安定になっている場合があります。
そのような場合、上顎が狭いまま歯並びを矯正しても、噛み合わせの問題を解消することはできません。
したがって、下顎の歯列弓に対して上顎の歯列弓が狭い場合には、「上顎の拡大」が必要になります。
(3)「上顎の拡大」の方法
それでは、「上顎の拡大」の方法についてご紹介していきたいと思います。
その前に、矯正歯科医の有本先生が「上顎の拡大」について詳しく解説されている動画があるので、そちらの動画をご紹介します。
↑ 「上顎の拡大」について、従来から用いられてきた装置(床矯正、ハイラックスタイプ、ハースタイプ)の仕組みと特徴、適応症を詳しく解説されています。
↑ 上顎の骨に直接力をかけて拡大する装置(MSE/MARPE)について、その仕組みと、実際の処置の様子、拡大の過程、症例を詳しく解説されています。
以上2つの動画では「上顎の拡大」について詳しく要点をまとめて解説されているので、これから上顎の拡大を予定されている方はぜひ、視聴されることをオススメします。
ここからは、以上の2つの動画の内容を踏まえて、「上顎の拡大」の方法についてご紹介します(※有本先生の解説の驥尾に付するものです)。
「上顎の拡大」の方法には、
①歯に力をかけて、歯を外側に傾斜させて拡大する方法
②歯が生えている骨に力をかけて、骨から拡大する方法
があります。
①歯に力をかける方法
上顎の歯が内側に傾斜しているために上顎の歯列弓が狭くなっている場合、歯に力をかけて外側へ拡大することができます。
歯に力をかける装置として、「拡大床」(床矯正)があります。
これは、上顎に取り外し可能な装置をつけて、歯に少しずつ弱い力をかけて、歯を外側へ傾斜させるものです。
歯が内側に傾斜している場合には有効ですが、歯槽骨(※歯を支えている骨)のアーチが狭い場合には、歯が外側へと傾斜するだけで上顎と下顎のアンバランスは解消されないので、注意が必要です。
②骨に力をかける方法
上顎の歯槽骨のアーチが狭い場合、「上顎の(骨の)拡大」が必要になります。
「上顎の(骨の)拡大」、つまり、歯を外側に傾斜させるのではなく、歯が生えている土台の骨を拡げます。
上顎の骨は左右2枚一対の骨で成り立っており、その2枚を繋ぐ部分を「正中口蓋縫合」(縫合部)と言います。
この縫合部に力をかけることによって、上顎の骨を拡大することができます。
縫合部にも力をかける装置として、「急速拡大装置」(ハイラックスタイプ、ハースタイプ)があります。
これは、バンドと拡大ネジからなる固定式の装置をつけて、縫合部と歯の両方に力をかけて、上顎を拡大するものです。
「拡大床」とは異なり、縫合部にも力をかけることができるため、上顎の骨を拡大することができます。
ただし、歯にも力がかかってしまうため、歯を支える歯槽骨や歯肉が薄い大人の方には、拡大の際に歯が骨・歯肉の範囲から飛び出してしまう危険があります。
そこで、骨や歯肉が薄い大人であっても安全に上顎の拡大をするために開発された装置が、「MSE:Maxillary Skeletal Expander)」(MARPE:Miniscrew Assisted Rapid Palatal Expander)です。
これは「急速拡大装置」にミニスクリュー(小さいネジ)を加えた装置で、上顎の骨(口蓋)に左右2本ずつ計4本のミニスクリューを埋入するものです。
ミニスクリューを埋入することによって、縫合部に直接力をかけることができます。
2. MSE/MARPE 体験談
かく言う私も、下顎の歯列弓に対して上顎の歯列弓が狭かった(※上顎の歯が内側に傾斜しているのではなく、歯槽骨のアーチが狭かった)ため、MSEによる上顎の拡大治療を受けました。
MSEを上顎に装着して、拡大ネジを回して、縫合部を開いて上顎を拡大すること(※繋がっていた骨を割って左右の骨の間を離開させること)は、初めての経験で、驚きと怖さと不安と笑いが入り交じるものでした。
これから上顎の拡大をされる方へ、この体験談を少しでも役立てていただけると嬉しいです。
(0)検査・診断~MSE 型取り
MSEによる治療の開始前(矯正治療開始前)に、矯正歯科医院で診察・精密検査と診断を受けました。
精密検査の内容は、口腔内スキャナー(iTero)、セファログラム、CT、パノラマレントゲン、口腔内写真、顔貌写真でした。
本題から少し逸れますが、安心・安全・精確な矯正治療には、治療開始前に、以上の精密検査と、矯正治療に関する専門性をもった矯正歯科医による診察・診断が必須のようです。
特に、歯型の印象とパノラマレントゲンのみで、具体的な診断や治療計画の説明もせずに、いきなり装置をつけて治療を進めようとするような歯科医院は避けることをオススメします。
歯を動かすことにはリスクも伴います。
歯は決して無限に動かせるものではないので、歯を支える骨(歯槽骨)の厚み、歯軸の傾き、歯根の状態など、口の中の状態を細かく把握した上で、慎重に矯正治療を進めなければなりません。
そのため、先述のような精密検査(特に、セファログラム、CT)とそうした情報に基づいた矯正歯科医による診断は、安心・安全・精確な矯正治療に欠かせないものになります。
私の場合は、診察・精密検査とそれに基づく診断の結果、MSEによる上顎拡大をして、矯正治療を行うことになりました。
そして、MSE作製のため、口腔内スキャナーを用いて上顎歯列・口蓋の型取りをしてもらいました。
そしてそして、MSEが完成した後、装着の日を迎えることとなりました。
(1)MSE 装着
矯正歯科医院へ行き、MSEを装着しました。
MSE装着の流れは以下の通りでした。
①歯をクリーニング。
②奥歯(6番)につけるバンドを試着。
③口蓋に麻酔。
※思っていたよりたくさん麻酔をうちました。
④口蓋に穴を空ける。
※麻酔が効いていて感覚がないのですが、先生が「縫合部が開きやすいようにいくつか穴を空けておきます」と言っていました。
⑤MSEを装着、ミニスクリューを埋入。
※麻酔が効いていて痛くないですが、鼻の奥がツンとします。
⑥衛生士さんに教えてもらいながら、自分でMSE専用のレンチを使って拡大ネジを回す。
※私達患者にとって、ここが一番重要になります。これから毎日自分で拡大ネジを回すことになるので、ここでしっかり練習しておきましょう。
※拡大ネジを回すことは少し恐怖を伴うので、麻酔が効いているこの時にその日の回数分を回しておくことをオススメします。
※拡大ネジの回転数は人によります。主治医の先生の指示を守りましょう。
以上の処置の時間は、思っていたよりかかりました。
恐らく1時間30分ほどかかったかな、と思います。
MSEの装着が終わった後、受付で鎮痛剤とうがい薬をもらいました。
医院を出た後から麻酔の効果が切れ始めたようで、帰り道では涙が出るほど痛かったです。
もらった鎮痛剤(カロナール)をのみましたが、痛みは治まらず、帰宅後にロキソニンを追加でのみました。
【MSE装着に際してオススメしたいこと】
・MSEを装着する前に、美味しいものを食べておくこと。
※MSEを装着した当日は、処置による痛みと上顎(口蓋)に装置がついている煩わしさから、食事を摂ることができませんでした。
※MSE装着後は、お餅やガムなど粘着性のものは食べてはいけない、といった食事制限が出るので、思い残すことなく食べておきましょう。
・鎮痛剤を買っておくこと。
※処置の痛みは個人差があるので、自分の体質に合った鎮痛剤を買っておくことは、お守りのような安心感に繋がります。備えあれば憂いなし、です。
・お粥、豆腐、スープ、玉子料理など、柔らかい食べ物を準備しておくこと。
※MSE装着による痛みと、食べづらさとで、しばらく普段通りの食事をすることが難しくなります。
・医院で、拡大ネジを回す練習をしっかりしておくこと。
※くどいですが、重要なことです。
※上顎の歯列弓が狭い方は、口蓋も高い傾向にあり、拡大ネジを自分の目で確認することはかなり難しいと思います。
自分で拡大ネジを回せるようになったか、医院の先生や衛生士さんに確認してもらいましょう。
専用レンチで拡大ネジをつかみ、回す、という動きをこの時点で身につけておくと、これから始まるMSE生活も安心です。
(2)MSE 装着~1週間
MSEを装着した当日は、医院で2回、拡大ネジを回しました。
翌日からは、朝2回、夜2回の計4回、毎日回しました。
拡大ネジを回すたび、グイーンと上顎の左右に力がかかるのを感じます(鼻にも力がかかるのを感じます)。
(朝と夜、特に2回目を回すときは、)恐怖と不快感を伴います。
毎日拡大ネジを回しながら、特に目立った変化もなく過ごしていました。
が、
それは、MSE装着後6日目の夜のことでした。
夜の2回を回して、『あ~、結構な不快感~』と思いながら、布団に入って目を閉じて、まどろんでいたそのとき……
ポンッ!!
という音と共に、縫合部から鼻にかけて弾けるような感覚があり、次に、前歯の真ん中(※正中)が裂けるようなツンとした痛みが走り、その痛みがじんわり続きました。
『遂に、縫合部が開いたのかな』と思いながら寝て、翌朝確認したところ、次のような状態になっていました。
MSE装着後は、1週間ごとに矯正歯科医の先生に様子を確認してもらうことになっていました。
上の絵のような状態を確認してもらい、6日目の夜の話をしたところ、「ポンッという音は縫合部が開いた音でしょう」とのことでした。
回転数は変わらず、朝2回、夜2回の計4回を続けるよう指示されました。
(3)MSE 装着後1週間~2週間
1週間後の様子を確認してもらった翌日、今度は前歯の間(正中)に隙間ができていました。
矯正歯科医院へ写真を送って確認してもらったところ、「確かに隙間は空いたけど、まだまだこれから……」という感じで、回転数は変わらず、朝2回、夜2回の計4回を続けるよう指示されました。
前歯の隙間は順調に空いていき、MSE装着から2週間後には次のような状態になっていました。
矯正歯科医の先生に確認してもらい、「拡大成功(※縫合部がしっかり開いた)」とのことで、回転数は朝1回、夜1回の計2回に変更されました。
1日の回転数を減らしてもらえて、正直なところ嬉しかったです。
(4)MSE 装着後2週間~1か月
引き続き、指示通り、毎日拡大ネジを回していました。
前歯の隙間はどんどん空いていきました(怖いくらい)。
その後も拡大ネジを回す日々は続き、……
MSE装着から26日後(3週間+5日)の経過確認で、回転数は夜1回に変更。
更に3日後(MSE装着から約1か月後)に回転終了となりました。
回転からの解放…やはり、正直なところ嬉しかったです。
歯の隙間については、家族や友人から笑われ、自分でも笑えるほど、隙間が空きました。
また、矯正歯科医院の先生やスタッフさんは皆さん揃って「かわいい」と言ってくれました。
きっと「MSEで隙間が空いた患者さんには"かわいい"と声をかける」というマニュアルがあるのでしょう…思いやりのベクトルがユニークで面白くて、笑えました。
(5)MSE 回転終了~アームカット(装着後2か月)
回転終了から約1か月後、矯正歯科医院へ行き、アームカット(※口蓋の装置:ミニスクリューと拡大ネジを残して、奥歯につけていたバンド及びバンドと装置を繋ぐアームを除去すること)をしてもらいました。
ちなみに前歯の隙間は、回転終了から徐々に閉じてきます。
さて、MSE装着期間中のストレスには、以下のようなものが挙げられます。
【MSEによるストレス】
・拡大ネジを回す恐怖と不快感。
→縫合部離開後に軽減し、回転終了時に解放される。
・食べ物が装置に挟まる。
→アームカットにより、65%軽減(※私の主観)。
・上顎の拡大により上下の歯が噛み合わなくなってしまうので、食事が美味しくない(楽しくない)。
→矯正治療が進むことにより、徐々に軽減、解放されるはず。
アームカットにより、食べ物の挟まりがずいぶん軽減し、結構な解放感を味わいました。
なお、MSEによって縫合部が開き、上顎が拡大された後も、上顎左右の骨の間に骨が形成されるまでは左右の骨が元の位置に戻る恐れがあるため、口蓋の装置の部分は拡大から半年ほど装着したままにします。
私も現在、口蓋の装置を装着したままなので、MSEを完全に除去して解放される日が待ち遠しいです。
【MSE/MARPE体験談 まとめ】
私のMSE体験談は以上となります。長くなりましたが、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に要点を簡単にまとめて、結びに代えたいと思います。
MSEによる上顎拡大の流れとオススメしたいこと
⓪精密検査・診断を受ける。MSE作製のための型取りをする。
※矯正治療開始前には必ず、精密検査(歯型の印象、セファログラム、CT、パノラマレントゲン、口腔内写真、顔貌写真)、矯正歯科医による診察・診断を受けること。
①MSEを装着する。
※装着する前に、思い残すことなく食事を楽しむこと。
※鎮痛剤を準備しておくこと。
※柔らかい食べ物(お粥、豆腐、スープ、玉子料理など)を準備しておくこと。
※医院で拡大ネジの回転の練習をしておくこと。
②拡大ネジを回転する。
※回転数・回転の期間については、主治医の先生の指示を守ること。
※MSEの装着、また拡大に伴って生じる歯の隙間により、食べ物が挟まりやすくなるので、ワンタフトブラシ、フロス、ウォーターフロス、歯間ブラシなどを活用して口腔ケアをすること(※)。
(※)ただし、MSE装着からしばらく痛みや出血が見られることもあるため、口蓋の装置付近は傷つけないよう、毛先の柔らかいワンタフトブラシの使用やウォーターフロスの水圧をごく弱めることをオススメします。また、処方されたうがい薬は毎食後使用しましょう。
③回転終了。
拡大ネジを回す恐怖と不快感から解放される。
※ワンタフトブラシ、フロス、ウォーターフロス、歯間ブラシなどを活用して口腔ケアをすること。
④アームカット。
食べ物の挟まりが軽減する。
※とはいえ、ワンタフトブラシ、フロス、ウォーターフロス、歯間ブラシなどを活用して口腔ケアをすること。
⑤MSE除去。
MSEによるストレスから、めでたく完全に解放される。
MSEによる「上顎の拡大」は、患者としてのストレスも少なからずありますが、一方で、正中口蓋縫合がガッチリくっついた(そして歯槽骨や歯肉が薄い)大人であっても上顎を骨格的に拡大することができる、という画期的な治療です。
これから上顎を拡大される方は、備えるべきところは備えていただいて、前向きに治療に臨んでいただけると幸いです。
備えあれば憂いなし。
MSEへの備えに、この記事を少しでも役立てていただけると嬉しいです。