ドイツ第三帝国が第二次世界大戦に勝利できる可能性と敗北しなかった世界の構想
はじめに
第一次世界大戦敗北後、協商国の英国・フランスはドイツに対してヴェルサイユ条約を突きつけた。この条約内容として
が条件に挙げられた。ヴァイマル共和国期のドイツは民主主義に対する不信感やヴェルサイユ体制への不満が募り、各地で共産党や国家社会主義ドイツ労働者党(以降:ナチ党)が蜂起していた。ヴァイマル憲法を公布するも、法の内容としては有権者の直接選挙で選出された大統領に首相の任免権、国会解散権、憲法停止の非常大権、国軍の統帥権など、かつての皇帝なみの強権が規定するというような問題点があるため、政治も混乱し続けていた。フランスのルール占領やドイツの経済恐慌もあってアメリカ合衆国はドイツに対してドーズ案やヤング案といった賠償金返済期間延長案を提出することで妥協し、一時的にヨーロッパの経済を回復させた。しかし、今度はアメリカの輸出量が減少し、生産過剰となり製品が売れ残り、賃金も急上昇したため資金を借りられなくなった企業や、人々が預金を引き出そうとした銀行が倒産。結果的に1929年、ウォール街での株価大暴落をきっかけに世界恐慌が発生することになった。これがトドメの一撃となったドイツは失業者の急増に資本主義への不満が大きくなり、特にナチ党は1932年の選挙にてドイツ共産党を弾圧、国民の支持も、党首アドルフ・ヒトラーや幹部であるヨーゼフ・ゲッベルスの演説に圧倒され支持率が高まっていき、最終的にはナチ党による一党独裁制、つまりナチス・ドイツまたはドイツ第三帝国が誕生したのである。ドイツは、イタリアの全体主義の考えを引き継ぎ、そしてアーリアン学説をもとにアーリア人やドイツ人に対する宥和政策と、反ユダヤ主義・反共産主義の考え方を持っているナチズムを体系化させた。
この思想により、アメリカ合衆国やソビエト連邦という超大国へ宣戦布告したため、第二次世界大戦では結果的にドイツが敗戦することになってしまったが、この戦いでドイツが勝利したらどのような社会になっていたかを今回は概観しようと思う。
史実
戦前
史実のドイツ第三帝国は、以上の思想を取り入れ、ヴェルサイユ条約を破棄し、ラインラントに進駐。国際連盟を脱退することに決定した。ヒトラーはその後連合国に対する再軍備宣言を行い、戦車や戦闘機、銃をはじめとする武器の生産数をどんどん増やしていき、軍隊の人数も多くしていき、同時期に起こったスペイン内戦にも軍需品の支援を行った。その過程で全権委任法により同時に広告、芸術品、教材、新聞、オリンピックなどを使ってプロパガンダも行っていき、反対派を始めとするその他の情報を秘密警察や親衛隊を使って厳しく弾圧していった。一方、外交では中ソ不可侵条約が起こったため、ソ連を仮想敵国としていたドイツは中独合作を破棄し、考えの似通っていた日本への友好関係を築くことにした。
その後、1938年にドイツはオーストリアを併合する出来事、アンシュルスを起こすことにした。これに英仏との緊張度は急激に加速。しかし当時のヒトラーは英国との同盟を模索していた。そして同年9月にチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲を要求。英仏はこれを拒否したが、イタリアの提案によりミュンヘンにて英仏と会談を行った。チェンバレンは「領土拡張はこれが最後」という条件を出し、チェコの併合を許した。しかしヒトラーはこの約束も破り、1939年にはスロヴァキアも併合。そしてポーランド分割のためにソビエト連邦と不可侵条約を締結、仮想敵国であったソ連であるため西欧を中心に世界中がこれに驚愕していた。そのためドイツはポーランドにダンツィヒの割譲を要求するが、拒否されたため進軍。英仏軍がドイツに宣戦布告したため、ここに第二次世界大戦が開戦された。
西部戦線とアフリカ戦線
開戦後、電撃戦によりポーランド全土を占領したドイツに反し、英仏は軍備が整っていなかったためドイツへの攻撃を行わなかった。そんな弱腰外交の英仏を見たドイツはデンマークやノルウェー、ベネルクス三国に侵攻。マジノ線を迂回する形でフランスに対して攻撃する計画、黄作戦を立てた。これに英国はダンケルクにて自国へ撤退、フランスもドイツの電撃戦に圧倒され、首都であるパリが陥落し、フランスを降伏へ追い込んだ。その後枢軸国支配下のヴィシー・フランスの他、亡命政権であり連合国として自由フランスはロンドンに亡命、トーチ作戦後本拠地をアルジェリアに移した。ドイツは英国への上陸作戦としてアシカ作戦を計画し、英国上空の制空権を奪取しようとバトル・オブ・ブリテンを行ったものの、スピットファイアという英国戦闘機の旋回性能に劣ったことやドイツ側の目的が相手国の空軍基地ではなく、首都を爆撃することを目的としており、相手国の空軍基地から主力戦闘機の数が多くなっていき、次第に劣勢になっていったため、ドイツは一時的に撤退することとなった。一方イタリアの救援のためギリシャなどのバルカン半島や、北アフリカでも戦線を展開していた。この戦いでは優勢を続け、ユーゴスラビアやブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ギリシャを枢軸国の支配下に置き、アフリカでも英仏軍をアレクサンドリア近郊まで追い詰めた。
独ソ戦(東部戦線)と大規模反攻作戦
バトル・オブ・ブリテンの失敗を目の当たりにしたヒトラーは、東方生存圏を画策し、ソビエト連邦に対して大規模な攻勢を仕掛けた。ソ連は大粛清により軍が弱体化しているソ連はこの奇襲に対処しきれず被害を被りながらも焦土作戦を行いながら、どんどん後退していった。フィンランドやトルコなどはこれをドイツによる解放戦争と捉え賞賛し、ソ連のスターリンは不可侵条約を破ったドイツに対して失望の念を抱いた。しかしヒトラーはこの時点で政治的目標や経済的目標、そして反ユダヤ主義、反共産主義、スラヴ人絶滅といった思想的目標を確立させたものの、肝心の軍事戦略は曖昧であり、補給計画が足りず、赤軍やロシアの広大さ、そしてロシアの気候についてを軽視し、アフリカ戦線や西部戦線、バルカン半島の内乱対処など多数の戦線に配慮しなければいけず、そうかれば機甲師団も不足していく。またレニングラード、モスクワ、コーカサスと大規模に戦線の三分したため、多方面での戦闘を強いられることとなり、必然的に軍の師団数も大きく上がっていき、どんどんドイツが不利な状況下におかれていった。一方1941年、日本軍もノモンハン事件の教訓から北進論を諦め、真珠湾攻撃にて米英に宣戦布告。あわせてアメリカ合衆国もモンロー主義を捨て、連合国に加盟した。英国とフランスはトーチ作戦にてアフリカに上陸計画を立て、アルジェリアを中心に奪還。ドイツはそこに構っている余裕もなく、ソ連軍により補給路も断たれることとなる。また冬が到来したため軍の侵攻が膠着していき、ソ連により大規模な反攻作戦が始まっていった。連合国もこれに合わせ、イタリア半島へのハスキー上陸作戦や、フランスでの奪還作戦であるオーバーロード作戦を実行。ノルマンディーから上陸し、パリを奪還した。ユーゴスラビア、イタリア、米英仏、ソ連の多方向からの攻撃に苛まれ、遂に1945年にベルリンが爆撃、ヒトラーが自殺した。国の総統を失ったドイツ国防軍は無条件降伏を飲み込み、英国・フランス・アメリカ・ソ連の四ヶ国により分割されることとなった。
ドイツ第三帝国が勝利できる可能性
ドイツ第三帝国成立後の段階で、第二次世界大戦の進行を変換させる方法はいくつかあるだろう。
まず1つ目はポーランド併合前の段階で英国との同盟締結に成功していることだろう。史実では同じ島国であり遠く離れた極東の日本と同盟を結んでいたのだが、日本の目的はアメリカであり、ドイツの目的であるソ連の討伐とは程遠く、軍備を送ることにも時間がかかるため同盟相手としては適切ではなかった。共産主義や国際主義への妥協をすればソ連や中国と同盟を結ぶのもアリだが、ソ連は東方生存圏拡大のもとでは許容できないものとして受け入れられるため対立は不可避だ。しかし、英国はドイツと同じく共産主義、特にソ連についてをあまり良く思っていなかったため軍事同盟を結べば対ソ戦やアフリカ戦線において有利に戦えるだろう。ドイツの海軍力が必要であることやマレー半島の領土問題を除いて対ソ戦で有利に回りたいのであれば、英国との同盟が一番適切だろう。
そして2つ目は、英国を陥落させるまでソ連やバルカン半島に攻撃を仕掛けないことだ。これはイタリアの動きにもよるのだが、ドイツはこの段階で多方面に戦線を展開したことにより軍備を割かなければならなかったため、後半で形勢不利となったのが敗北の起因となったのだろう。日本も、この段階から対米戦への方針があったため、対英戦に注力するように空軍力を増強し、相手の軍事基地を破壊することや大西洋の制海権を取ることに方針を定めれば、不可侵条約からソ連側から攻撃される心配もないため、勝てる可能性も上がるだろう。
そして特にここが重要なところなのだがアメリカ合衆国へ宣戦布告しないことが勝敗の鍵となる。特にドイツは陸軍国家であるため、海軍力を多く増強しようとしても、アメリカ合衆国のニューディール政策が終わってしまえば勝ち目はほぼ存在しない。そしてアメリカ合衆国はバトル・オブ・ブリテンが起きたことや反ユダヤ主義によるホロコーストが起きたことからドイツに対する警戒を強めたため欧州戦線介入にも繋がった。もしここで参戦させなければ、ドイツは大きく有利になることができる。
逆にドイツが負けた理由として根本的な背景にヒトラーの失策があった。特に挙げられるのはナチズムという考え方にある。ナチズムは反共産主義であり、反ユダヤ主義にもある。アメリカ合衆国や英国の人口の大半はユダヤ人であるため、共産主義であるソ連の攻撃も同時に行えば二正面作戦は不可避だろう。対英戦で空軍力が減少したまま、独ソ戦にて多方面の戦線を展開したため交戦区域がどんどん増えていき、バルカン戦線にも時間を割いていたのもあって冬が到来するのも早く、補給路の問題など軍事戦略についてが曖昧であったため、最終的にはソ連軍と連合国軍による猛反撃に遭い、無条件降伏してしまったように思える。
つまり、ナチス・ドイツは連合国に打ち勝つことは難しいものの、第二次世界大戦の和平を持ちかけ、ソ連に打ち勝つことなら出来るのではないかと考えた。そのためには反ユダヤ主義を捨てるなどを行えばよいと考えられる。
もしもドイツ第三帝国の動きが変わったら?
この条件をもとに世界を変えてみれば、ドイツ第三帝国の誕生後、再軍備宣言では陸軍や空軍の力だけではなく海軍の力も整える必要があるだろう。そして史実通りアンシュルスは行うわけだが、この段階でドイツは英仏に対して不可侵条約や講和条約を結ぶことを行うなど何かしら西部戦線を広げないように、対処する必要があるだろう。そのためドイツの領土の一つであるエルザス・ロートリンゲン、ラインラント進駐の問題や反ユダヤ主義はまず手放す必要があるだろう。英国はその頃チェンバレン首相であったのだが、彼はナチスに対して比較的融和的であったため、同盟の締結も低いながら考えられるだろう。それをもとにチェコスロバキア、ポーランド、バルカン戦線の短期決戦を行い、独ソ戦を始めることが重要だ。この時点でドイツの軍事力は70万人の軍備があり、イタリアの軍事力やフィンランド、英国など他の国の軍事力を合わせれば強力な力となり得る。対するソ連は冬戦争や大粛清によって軍備が減少しているので、史実以上に戦線が押されていき、モスクワまで到達することは可能なはずだ。しかし、この後にソ連が降伏するとは考えられない。ドイツのその後の取るべきはコーカサス地方に進軍することだろう。おそらくここで英国・フランス・イタリアあたりの支援、トルコの参戦が入るはずだ。ソ連は補給路を遮断することを画策するはずだが、もしトルコが参戦すれば南からも支援が入るため軍備が増強されてスターリングラードやバクー油田を占領できるため、ソ連の補給路遮断作戦は失敗に終わる可能性が高い。そしてドイツやフィンランドの勢いが加速することにより、レニングラードも陥落すれば、ソ連側から和平交渉を持ち掛ける可能性が高く、もし交戦を続けたとしても、軍備が少ないため対抗手段が少なくなっていく一方である。
ここでポイントなのはここまでの流れで日本がどう動いているかだ。ドイツとしては真珠湾攻撃前までに日本の対米戦争を禁止する条件を打ち出したい。なぜなら日本がアメリカに敵対すれば、枢軸国に宣戦することになり、ソビエト連邦に軍需物資を送ることは容易に想像がつく。ドイツとしてはアメリカが独ソ戦に関与することを恐れるためにこの条件を言い渡すだろう。しかし日本は、南進論からこの条件を拒否する可能性もあるし、妥協する可能性もある。この場合、前者の選択肢のほうが可能性は大きいが、この方針をとると、日本とドイツの関係は急激に冷え込んでいくことは必須だ。このときにスエズ運河を手に入れてる英国がいれば、極東方面から回り込んで攻撃することもいるし、日本が妥協案を提示すれば更に有利になる可能性も考えられる。
戦後世界
この世界の戦後世界は、おそらく日独米の冷戦世界となり、冷戦ではドイツが優勢となることが予想される。代理戦争が起こるのは主にロシア、中央アジア、中東、中国、インドであることは明白だ。また日独両国は核実験や宇宙開発を行うだろう。なお、イタリアは戦後世界ドイツに対する結束主義の考えの違いから対立を生む可能性が高く、この場合は日本側に付くだろう。またアメリカやイギリスは、世界情勢が平和になることを目指しているため植民地を独立させ、国際連合を設立し、冷戦時に一番優位に立つ国であると想定する。
まとめ
ドイツが戦争に勝っても負けても、世界秩序に問題があることは多い。また、ナチズムをはじめとする全体主義思想は現在に至るまで問題化している。特に中東や中央アジアでは、イスラム過激主義やパレスチナ運動の過激化があり現在でもガザとイスラエルを中心とした紛争が始まっている。戦間期のあのような状況を見ても、第一次世界大戦から続く日独伊の国際的な孤立がある以上、残念ながら勝つことはとても難しいだろう。また勝ち続けるということもいずれは自分の首を絞めることにもなり得ることは大英帝国やモンゴル帝国の結果から証明されている。
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