【2/1回答】鯛焼きはどこから食べます?
高校からの帰り道。部活のメンバーといつも立ち寄っていた鯛焼き屋がある。食べ終えるとそこからは各々、家への帰路につく。みんなは直進、ひやむぎは右折。そこでいつも長話をしてしまい、鯛焼きをおかわりしたことだってある。あの鯛焼き屋は僕らが回していたようなものだと自負していたが、高校を卒業してかれこれ10年近く経っているが未だに元気に営業しているので、あまり関係なかったのかもしれない。
部活で遅くなれば店は閉まっていたし、交通量の多い交差点の角にあるため、たまにお巡りさんも立っていた。「パトロールご苦労様です!」と挨拶して自分たちだけ呑気に鯛焼きを頬張るなどできなかったので、そういう日は泣く泣く鯛焼き屋を後にした。
3年生の5月の出来事である。バレー部で5月と言えばあの春高バレー。強豪校でなくたって出場はできる。そして自称とは言え進学校だったひやむぎのチームにとって、春高は引退試合だった。
会場となるのは自分の高校の半分くらいの距離にある、地域で一番頭のいい高校。下界を見下ろすように山の上にあるのがなんだか嫌味だと以前から思っていたが、何の因縁かここで最後の試合だそうだ。
試合前日。いつもの鯛焼き屋に僕らはいた。卒業するわけでもないのに卒業式のような顔をして。明日世界が終わるような顔をして。
「この前の試合、勝ったの覚えてる?あの日の前の日は白あん食べてた。」
「黒あんなら黒星やったんかな。今日も白にしとこう。」
占いは信じないくせにそういうジンクスには敏感な高校3年生男子、全員180cm超。体格のいい野郎が3人、あんこの色を決めるためだけに侃侃諤諤の論争を繰り広げている。
「この間、どっちから食べた?」
「お前、しっぽから食べてたよ。」
「なら今日は白あん、頭から食べるわ」
こうして特製鯛焼き(白あん)がひやむぎの手元にやって来た。迷わずしっぽにかぶりついた。パリパリしていておいしい。この焼きたての加減は、日本のどの鯛焼き屋も勝てないと思っている。
鯛焼きを食べ終えた。今日は早く帰ろう。そう言って明日の健闘を祈り帰路についた。
翌日。バレー部の春は、キャプテンが何もないところで転んで右足首を捻挫するという不幸にもほどがあるアクシデントで初戦敗退。あまりに拍子抜けする終わり方に、誰一人泣くに泣けず、というかもう笑いすらこみ上げてきて、14人で爆笑していた。顧問の先生もいつの間にか笑っていた。バレー部が初めて迎えることになった、天使のようなマネージャーはやはり天使のような笑顔でいてくれた。
マネちゃん、こんな先輩たちでごめん。
カッコいいところは、おれらの後輩に託しておくから。
体育館脇ではみんなで泣いているチームもいた。この人たちも負けたんだろうな。明日からはOBって呼ばれて、本気で怒ってくれる先生も、励ましてくれる後輩も、少し距離を感じるようになるんだろうな。引退しちゃうってそういうことだし。
うちのみんなは、いつも通りだろうな。キャプテンはまだ足を引きずりながら歩いてるし、同級生も後輩も関係なく彼をいじっている。引退試合で捻挫なんて、僕だったら罪悪感で押しつぶされそうになるところだが、キャプテンは飄々としている。これがキャプテンのキャプテンたる所以なのか。
「昨日、しっぽから食べていたら。」
そんな思いを必死に打ち消した。こんな時に仮定法を使おうとするから話がややこしくなる。
"What would it be like if I had eaten it from its tail?"
仮定法過去完了だ。(久しぶりに使った)過去の一時点を振り返り、「あのときもしもこうしていたら~」という文を作る。高校生が英語で最も苦しむ表現の一つだ。
新年は初詣に行く。
13日の金曜日を避ける。
仏滅に新車は納めない。
朝に蜘蛛は殺さない。
身の回りにあるジンクスやおまじないの類は、そうした「仮定法過去完了の文章」を言わないためにあると思っている。
だからもし、一度うまくいったときのおまじないがあるなら、それを易々と変えるべきではない。
鯛焼きは、サクサクしている、尻尾から。