道祖神の招きにあひて563km 前編
禊とひやむぎが一緒に住むことになって早いものでもうすぐ5か月。いつの間にか始まった夏はもうすぐ終わり、朝晩は冷たい風が心地よい季節になった。あと少し気温が下がれば、ひやむぎが大好きな秋になって、冬が来る。
今月も繁忙周期が終わり、やっと落ち着くかというころ合いになった。締めが終わった経理は暇なのだ。暇になったついでに、禊と生活を共にすることになったそもそものきっかけを、そろそろ打ち明けようと思う。
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あれは2021年4月26日。次の日から始まる平日3連休を目前に何をして過ごすかワクワクしていた。来期の予算も組み終わり、あとは来たるべき決算を待つのみ。月末だからさして忙しくもなく、することと言えば急ぎでもない書類作成。だからあまり出勤するのに乗り気ではなかった。だって暇なんだもん。
なんてことを思いながらイヤホンを耳にはめる。このところ毎晩、禊と通話しながら寝ていた。話すのは本当にとりとめのないことばかり。だけれどもそれがとても楽しかった。
しかし今朝は違う。なんというか、声が震えている。平静を装っているようだが、装いきれていない。明らかに様子がおかしいのがわかる。
「起きたらアイツからの通知、100を超えてた…」
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話は変わるが、禊は配信者である。音声配信アプリで声を配信しており、かく言うひやむぎもそうだ。精神的無頼漢ひやむぎにはそうでもないが、一部の配信者には熱狂的なファンが付くことがある。その多くは「投げ銭」であるアイテムを投げてくれたり、人気を押し上げようとひた向きに応援してくれる。配信者からしたら大変ありがたい存在なのだが、時としてそれはトラブルのきっかけにもなる。
禊の言う「アイツ」もその一人だ。禊の配信には何があっても、どんな予定もかなぐり捨ててやってくる自称高校生がいた。配信のコメントでなぜだかやたらと仕切ってくる。助け船を入れまくる。投げ銭アイテムを投げる。それだけならまだいい。よくある話だ。しかし彼の場合は禊のTwitterはもちろんのこと、LINEはおろか住所さえ知っている。禊が仕事をしているときも、家にいるときも、寝ても起きても繋がっていたいお年頃だったようだ。だから禊はよく、彼と通話したりLINEでやり取りをしたりしていた。(そのせいでひやむぎとの通話が減った時期もあった)
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はい、先ほどの朝の一コマにプレイバック。時刻は7時過ぎ。禊は泣いたまま、出勤の準備中。そりゃそうだ。朝起きたらいろんなところに同じ奴からの通知がたくさん来ていて、数えてみたら100を超えていたんだから。そりゃそうなる。しかも内容のほとんどが「いつまでひやむぎと通話している」とか「おれとの時間はいつになったらくる」とか。刃物と自らの手首を写した写真もあったそうだ。取扱いしだいでは脅迫罪にもなりうるだろう。街でアンケートを取れば10人中8人が彼をネトストだと言うだろう。残りの2人は本物のネトストである。
その日、あまりの恐怖とストレスで体調を崩し、禊は仕事を休んだ。ひやむぎは仕事だったからそのまま出勤し、仕事の合間にLINEを返していた。定時になり駐輪場に向かう。そのわずかな間だけでも声を聴きたかった。先週リア凸して会っただけの間柄。毎晩通話するだけの仲だから、そこまでする義理がないと言われてしまえばそうなのかもしれない。だが心配していたことがあった。
そしてその心配が、現実になった。
「アイツ、今日の夜行バスで兵庫に来るらしい…。」
本人のサインが記された高速バスの領収書の写真。つい今しがたコンビニで払い込んできたとのこと。東京から神戸三宮。高校生でも払おうと思えば払えるくらいの金額。距離にして550km。幸いにも禊の家は郊外にあったから神戸三宮から少し距離がある。そこで時間を稼げたとして12時くらい。
兵庫に住んで間もない禊。近くに頼れる人もいない。逃げるにしたってママチャリしかないし、交通機関なんて限られている。鉢合わせになって逃げようとしたところで、膝を痛めている禊だ。よほど運動不足の巨漢でもない限り振り切るのは容易ではない。
どうすれば禊は助かるか。
誰に頼めばそこに向かってくれるか。
そもそもあの辺に土地勘がある知り合いはいたか。
考えた結果、答えは一人しかいなかった。先週の土日にリア凸した自分である。しかし最終の新幹線に乗るには時間がなく、かといって翌朝始発に乗っても間に合うかはわからない。答えは、一つ。どこに行くにも一緒の相棒、デミオだ。563km。一か八か。
帰るや否や、1台目の愛車オルベアを置き、便所を済ませ、2台目の愛車であるデミオに乗り込んだ。飯も食っていない。着替えも何も持たずに、だ。なぜそんなにも無謀なことをしたのかと問う人もあると思うが、ただ好きな人を迎えに行くだけである。ただし、今回はあまりにも状況が急を要する。我が思い人は、今まで生きてきた24年間をまとめて受け取ったかのようにモテている。ひやむぎも言ってしまえば求婚するために羽を広げた孔雀なのだが、そのライバルとも言うべき人間が、あろうことかド平日の夜にはるばる東京から兵庫まで、高速バスで彼女のもとに向かってしまったのである。
その日の朝、偶然夜通しつながっていた通話。起きて気が付くと、電話越しのその声は確かに震えていた。強がりで弱音を吐いたところなど今後見ることもなかろう。しかしこの時彼女は弱弱しく、そしてはっきりと私に行った。
「逃げたい、助けて」と。
男たるもの、覚悟を決めなければなるまい。
こうなればどちらが先にたどり着くか。仕事の後すぐに車を走らせているのだ。疲れだって溜まっている。途中で西日本で最も事故の多い難所もくぐる。居眠りのリスクだってある563kmの道のり。イチかバチか。それでもたどり着かなければならない理由が、自分にはあった。
福岡県古賀ICから、ヘッドライトは、遠く遠く離れた目的地を一筋に照らした。高速道路。都市と都市をつなぐ日本の大動脈。ヘッドライトの数だけ目的地があり、テールランプの数だけ出発点がある。
相手は翌朝8時に神戸三宮着の夜行バス。そこから電車で1時間はたっぷりかかる。19:30に福岡を出たひやむぎのカーナビが示した時間は午前3:30。先を越されるはずなど微塵もない。わかっている。それでもアクセルを唸らせた。頼む、相棒。少しだけ無理をしてくれ。
▽その時のGoogle Map Timeline
▽途中で日付が変わったので2枚目。山口県と広島県の県境付近で日付が変わっていたようだ。
To be continued...
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