今日、ぼくが仕事している間に、実家の犬が死んだ。

つい先ほど、母親からうちの飼い犬が亡くなった知らせがあった。なんだかなあー。またひとつ心が宙ぶらりんになった気分だなあ。

家の扉を開けると、チャッチャッチャッと半分伸びたつめが床に当たる音を鳴らしながら迎えに来るあいつ。笑ってるんだかよくわからない、ただうれしくてはしゃいでいることは伝わる顔つきが、思い出されるように脳裏に浮かんでくる。そしてもうその顔が二度とみられない顔なんだと思うとなんだか本当にやるせない。ぼくは実家を離れているので愛犬の死をリアルに感じることができないのだけど、家に帰ったときに聞こえてくる音が減ってしまうのだとしたら、その寂しさを感じずにはいられない。

身近な存在の訃報というのがぼくは苦手だ。もしかしたら得意だとか苦手だとかいう話ではないのかもしれないけど、避けられるものなら避けたい。耳にしなくていいなら聞かないでおきたい。遠くにいる親愛なる人としばらくずっと会えないまま、生きてるか死んでるかわからない状態ではいられないものだろうか。そしたらまたいつか会いたいなで済むのにな。
死を目の当たりにしたとき、今まで共有してきた時間が感情の思い出になって押し寄せ、同時にもう更新で続きはないという現実に胸を突き刺される。

また会おうね。とか。あの時は何を考えてたの?とか。ぼくの思いをただの幻想にしてしまう死を、確実に訪れる死の瞬間をぼくはどう受け止めたらいいんだろう。味が薄れるまで待つことしかできないんだろうか。今はそれしかできないな。

GW実家には帰る。今度の実家は、寂しさを味わいに行くことにしよう。
とりあえず、その小さい体で14年も生きてくれてありがとう。晩年は病気も抱えて大変だっただろうに。ごくろうさま。
お母さん、薬を飲まなきゃ仕方なくなってしまったうちの犬の世話を最後まで続けてくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?