「社会人」に思うこと

ぼくは新卒の社会人男です。この4月から、ある会社に所属することになりました。4月3日から、出社して会社や仕事になじもうと頑張り始めたところです。
そんな僕ですが。今の気持ちは、正直、不安です。

社会人って、なんだろう。
ひとは、社会人という肩書を得ることで何か変わるのだろうか。

ただいま絶賛研修中なのですが、そこで教わるのはこれまでには求められなかった言葉遣い。仰々しいメール文の作成。
会社に所属する人間としての振る舞い。
ぼくが日々教えてもらっていることは一体何なのでしょう。

というのも、今ぼくが教わっている言葉遣いや振る舞いは、あまりに仰々しいように感じてしまうのです。
必要な情報の前後につける、きっと読み飛ばされているであろうお気遣いの言葉。顔も知らない人に向けた、あってもなくても気分が変わらない言葉。
そんなことを覚えて意味があるのかな、と思ってしまう。
もっと大切にするべきことがあるはずだと、思ってしまう自分がいます。

社会人という単語をweblioで調べてみました。
すると次の一文が一番上に出てきました。
“社会人(しゃかいじん)とは、学校家庭など保護離れて自立している人のことをいう。”

そうか、いろいろと自立している人のことを社会人というのだなということがわかりました。
しかし、ひとへの接し方という側面はまた別の話だと考えられそうです。

これまでのことを考えたとき、学生時代に考えてきた人との接し方は不十分だったとはいえ、根底は間違えていなかったように思います。人に好かれるための工夫を考えたことや先輩後輩との付き合い方、先生への接し方。そこに必要以上の仰々しさは必要なかったはず。

そもそも、ぼくたちは、他者と関わっている限りいつでも社会人であったはずです。人間社会で生きてきたのだから。

そういう意味では、学生と社会人という分け方は不自然なような気がしてなりません。
ぼくより先に働いている人たちも、仕事を離れたって社会人。そこには良くも悪くも人間関係しかないはずでしょう。
結局は相手がそのことを求めているかどうかであるはずです。

なんでこんな文字数の多いメール文をつくっているのだろう。なんでこんなに緊張して電話にでなきゃいけないのだろう。こんな思いは、なかなかしたくはないものです。

だけど、ぼくも組織の人間という自覚はあります。「恐れ入ります」「大変申し訳ございません」「かしこまりました」くらいは抑えておこうと思います。働く人たちの仲間に入りたいと思う気持にちに嘘はありません。

そうした上で、本当に大切にしたいことはわすれないように。
根本にあるのは人間関係です。

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