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交番に行く|11月23日(土)堀敦詞

帰り道にふと思い出して、交番に立ち寄った。
交差点の角のところにある、ちっちゃな、3畳くらいの小部屋が蛍光灯で白く光っていて、なかには誰もいない。こういう交番っていつ見てもたいてい誰もいないよな。というか「交番」と言わないのかな。もっと別な呼び名があるのかな。KOBANって書いていないしな。
滑りの悪いガラス戸をずるずる開けてなかに入る。なんにもない狭い空間。椅子もない。机だけがあって、上に電話機。パトロール中なのでご用のある方は受話器を上げてくださいと張り紙がしてあって、それは外から見えていた。そのようにすると、すぐに男の人の声がした。

「どうされましたか?」
「あの、少し前に自転車を盗まれてしまって、届けを出したいんですけど」

すぐに行きますとの返事。でも、区に撤去されただけかもしれないから、自分が行くまでにコールセンターに電話して聞いておいてくださいと言われる。

しばらく待っていると、背の高い30歳前後くらいの警察官がやってきた。
「どうでしたか?」
「あ、ないみたいでした」
背の高い人のあとに、小柄な、さらに若い新人さんっぽい警察官が入ってくる。先輩後輩でパトロールに行っていたようだ。それから先輩にあれこれ質問を受ける。いつなくしたのか。どこに停めていたのか。鍵はしていたのか。防犯登録番号はわかるか。僕は防犯登録番号と車体番号が書かれた紙(自転車屋さんがメモしてくれた、チラシの裏紙)を差し出した。そのとき、外から知らない人が、小部屋に向かってふらふらと近づいてくるのが見えた。引き戸を開けてぬるっと入ってくる。赤いジャンパーを着たおじさんだった。小部屋は机が空間の大半を占めていて、僕らは机と壁のあいだを押し込まれるように後退する。おじさんと後輩のあいだで身動きができなくなって、少し焦る。

「どうされましたか?」
「どうしたって、ほら、お話をしにきたのよ〜。ざつだんを」
「あ、えっと、雑談ですか」
「そうそう、いまね、そこで飲んできたの」
「すみませんが、いまこちらの人の対応をしているので」
「ふうん、なに、まだ時間かかるの?」
「まだかかりますね」
「じゃあ、ちょっと一本たばこ吸ってくるよ」

一本吸ったくらいじゃ終わらないんだけどなぁ、と先輩がつぶやく。
先輩はプリンターがどうのこうのとぶつぶつ言って、さっき僕が使った電話機でどこかに電話をかけはじめた。どうやら書類を作成するのに必要なものが奥の部屋にあって、その鍵を外出している別の人が持っているらしい。そうか、この小部屋には奥の間があるのか、と考えてみれば当たり前のことに思い至る。すると今度は後輩が手帳を開いて、僕にあれこれ質問をはじめた。先輩も電話をしながらあれこれ聞いてくるので、話が途切れて、おんなじようなことを聞かれて、しゃべって、3人でなんかわちゃわちゃとなる。
鍵を持った人が戻ってきた。メガネをした短髪の警官で、東京03の角田さん(の若い頃)に少し似ていた。

「なんでそんなところに停めてたんです?」
二人よりも年上で、なんとなく圧迫感がある。家に駐輪スペースがないので歩道に停めてました、と正直に答えると、そうですか、と別に怒られたりはしなかった。
先輩が座っていたところにメガネの人が座って、パソコンを操作した。それからまた同じことを聞かれたり、新しいことを聞かれたりする。
「ギアは左右に3つずつですね?」
「はい。たぶん。でも、自信がなくなってきました」
「書類上はそうしておきますよ。違っていたら後で訂正できますから。車体の色は?」
「黒です」
「購入したのはいつですか?」
「去年の7月、らしいです(僕の記憶では今年の3月、でも、自転車屋さんはそう言った)」
「いくらぐらいで買われましたか?」
「3〜4万だったと思います」
「4万」
「はい」
「いまそれを売るとしたらいくらぐらいですか?」
「売る?」
「1年半くらい使ってらっしゃると思うんですけど、いま売るとしたら、大体いくらぐらいになると思いますか? 購入された値段よりは安くなると思うんですけれど」
「ええと」
「大体で大丈夫ですよ」
「うーん…」
「1万円くらい?」
「そうですね…2万はいかないかもです。1万5千円くらいとか…」
「1万5千円」
「あの、それってどういう意味があるんですか?」
「いや、とくに意味はないです。でも、記入しなくちゃいけないんですよ」

よく見れば、メガネの人は思ったより若く、先輩とそれほど大きく歳が離れているわけではなさそうだった。最初に感じた圧迫感も気のせいだったのか、むしろどこかひょうきんな雰囲気すらただよっている。それこそ東京03の角田さんがコントでよく演じているような、仕事ができる風だけどほんとはそうでもない人、みたいな、いや別に仕事ができなさそうというわけではないのだけど、チャキチャキしたリズミカルな所作にそこはかとなくお調子者感がある。ああほら、印刷に苦戦している。印刷機はいわゆるプリンターではなくて、アタッチメントみたいな簡易的なやつで、接触が悪いらしい。

赤いジャンパーのおじさんが、ふらふらとまた戻ってきた。メガネの人と先輩は書類を作っていたので、後輩が引き戸を開けておじさんの対応をする。別に追っ払うでもなく、少し面倒くさそうにウンウンと相槌を打っている。
誰もいなかった狭い部屋に5人の人間があつまって、しかし、とくに何も起こっていないようでもあり、なんか、自分が住んでいる街はものすごく平和なのだな、という気持ちになる。きっと自転車泥棒とか、せいぜい酔っ払いのケンカくらいしかこの街では起こらないのだろう。でも、さっきちらりと見えた奥の間には、拳銃の使用に注意を促すポスターが貼ってあって、見たことのない物騒な標語、撃つときには場所や相手をちゃんと確認しろみたいなことが、5・7・5のリズムで書かれてあった。
この人たちは拳銃を持っているのだな、不思議だな、と思う。

ハンコはありますかとメガネの人に聞かれる。ない。左手の人差し指にインクをつけて押してくださいと言われて、そうした。指紋を取られてしまった…となんとなく思った。


堀敦詞
愛知県名古屋市出身。数年前から東京に住んでいます。
大須商店街と少年王者舘と江戸川乱歩がこころのふるさと。

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