ハッタリでないもののために|11月13日(水)きたのこうへい
人生にはハッタリをかますべきときがある。
それは、たしか中学生くらいのときに「ザ!世界仰天ニュース」かなにかで見た再現映像だったと思う。アメリカかどこかの青年が、急病人を助けたとかでテレビ番組に出演した。しかし本当に病人を助けたのは、その場にいたおじいさんだった。そのおじいさんも、目撃者として番組に同席していた。青年も、おじいさんも、本当のことを知っている。青年は葛藤していた。自分の手柄ということになってしまっている。このまま偽りのヒーローとしてアメリカ中に知られてしまっていいのか。キャスターから青年に話が振られた。青年はおじいさんを見た。おじいさんはこっくりと頷き、目で青年にすべてを伝えた。青年は自分が急病人を助けたことにして、現場での振る舞いを話した。青年はヒーローとして讃えられた。収録後、おじいさんは「人生にはハッタリをかますべきときがある。君も勝負師だね」と言って青年の手を握った。
たしか、そんな話だった。
23時半ころ、『火を焚くZINE』のグループチャットに、ZINEのレイアウト作業をしているさざわさんからSOS。
「とある原稿がインデントの字下げになっている」
そういえば昨日、ちらっとその原稿を見たとき、段落の字下げがほとんどインデントだということに自分も気がついた。要は、段落冒頭の一字下げが全角スペースとして入っていない(文字として入力されていない)のだ。そのままの状態でテキストを他のエディターに流し込むと、インデント設定が共有されていないため字下げが反映されなかったりする。だから、Wordファイルの時点でインデントを全角スペースの字下げに変更したほうがいい。
昨日、これは直したほうがいいだろうなと思いつつ、自分も他の作業で手一杯だし、最新のデータではなんかうまいこと処理されてるだろう、という希望的観測にもあぐらをかき、放っておいた。そして、本日深夜のSOSである。
少しの量なら手作業でインデントを消してスペースを入れればよい。しかしこれは原稿のほとんどがそうなっているので、手作業ではきつい。さざわさんも、ミスがこわいから手作業は避けたいと言っている。わかる。
さざわさんは「マクロをつかえばできそうだが、ほかにやり方はないか」と投げかけている。
マクロ。なんか聞いたことはある。WordとかExcelで一括処理をするときに便利なやつ。だが、使ったことはない。さざわさんもたぶんそうで、だから他の方法を求めているのだろう。
インデントを一括でスペースに変換する方法を調べてみる。やっぱりない。そして出た、マクロ処理を勧めるサイト。たぶん、さざわさんと同じ経路で同じ情報に行き着いている。
手作業以外でインデントを全角スペースにする方法は、マクロを使う以外にない。ひとまずそう結論がでた。
で、どうする。とりあえずマクロで処理する方法を指南するサイトを見てみる。どうやら、マクロはプログラミング的にプロンプトを入力して、一括処理を実行するようだ。はいはい。
このZINEの執筆者には何人かエンジニアリングのプロがいる。そういう人ならきっと5秒でできることなのだろうと思う。様子を見て、このSOSに気づいたプロが5秒でやってくれるのを待とうかとも考えた。が、レイアウト作業はたぶん詰まってるし、こういうのは早さが大事だろう。とりあえず動いてみることにする。いや、俺が30分かけてやるより29分待ってプロが5秒でやってくれたほうが……まあいいや。
サイトを睨む。ページをスクロールすると、インデントを全角スペースにするプロンプトの例文が表示されている。あれ、あるぞ。例文。
これコピペすればいけんじゃね?
心の中の中居正広(「じゃね?」や「だべ?」といった砕けた南関東方言的な言い回しをするときにはいつも、平塚出身でそれらの言い回しをメディアで使い倒す中居正広の顔が頭に浮かぶ)がそう言った。
懸案の原稿を立ち上げ、マクロの入力画面を開く。そこにサイトからコピーしたプロンプトをペーストする。再生ボタンみたいなのを押してみる。たぶん、実行、された。
できてる。原稿の全てのインデントが全角スペースになっている。うわ。ひょっとしてこれはいい仕事をしてしまったかもしれない。
ここまで押したキー。command+C、command+V、再生ボタンみたいなの。
俺の目の前には2つの道が示されていた。
1.「なんかサイトからコピペしたらできました!」とありのままを伝え、データを共有する
2.「マクロで修正しときました!」と、あたかもはなからマクロを駆使できる人間であったかのようにしてデータを共有する
いわずもがな、俺は2つ目の道を選んだ。そのほうがカッコいいからである。人生には、ハッタリをかますべきときがあるんだ。俺は勝負師として生きるんだ。こんな事務連絡のどこに「勝負」があるのか、それは考えないことにした。俺はおじいさんに手を差し出す。後ろで中居正広が「いけたべ?」と言っている。
厚めの感謝をされ、気持ちよく眠った。
「研究目的とは “でっちあげる” ものです」
大学院でのライティングの講義で、口酸っぱくそう言われてきた。
やりたいことがまずある。それをどうにか「研究」として、いますでに行われている研究の文脈に落とし込む。目的を「でっちあげ」て、他者と共有できる研究の型に整える。
それはデタラメをやれということではない。研究を公的なものとして外部に共有するときには、それをやる目的や意義、手段の有効性を示すことを求められる。予算獲得を狙う書類などでは特に。その体裁を整えるときに、「目的はなんだ」「なんのためにこんな研究をやっているのだ」と、変にそのことで悩んではいけない。自分の ”本当” は自分の内側で温めておけばいい。これは単なる事務手続きなのだ、事務書類を書くだけなのだ、公的な求めに応えるために目的や意義を「でっちあげて」いるだけなのだ、だから悩むな、割り切れ、そういう「方便」に自分の知的関心を変換する術を身につけろ、それは研究者にとって不可欠な能力だ、という、きわめて実践的で、深く本質的なプロからのアドバイスなのだった。
表現物は、基本的に「ハッタリ」であり「でっちあげ」である。それでいい。公的に共有されるための「文書」に、自分の "本当” を宿そうとしなくていい。論文も書評も予算申請も、すべて等しく事務書類である。そう割り切っていい。むしろそう割りきらなければいけない。変に「クリエイティブ」なものを書こうとしてはいけない。淡々と書く。役所で必要項目を記入するように、論を書く。それが自分の、研究者修行を通じて血肉化した書き物への基本スタンスだった。
でも。
当然、そういう書き方とは違うものの書き方がまったくありえる。ありえている。それを自分も実践してみたくて、たぶん俺はこの1月に、「ことばの学校」に通うことにしたのだろうし、小説を書いてみようと思ったのだと思う。
「公」を無視して書く。ただ、自分の私性に基づいて、個人的な感触や景色を書く。共有しようとしなくていい。なにも「でっちあげ」ずに、そのまま書く。文字に置き換える以上、原理的に「そのまま」は無理でも、なるべくそれに肉迫するものを書く。その私性が、メビウスの輪を伝うように「公」に接続する回路を探す。そのために、深く私的に書く。たぶん自分は、それをしたかったはずだ。「ハッタリ」でも「でっちあげ」でもない書き方で、ものを書いてみたかったはずだ。温めていた ”本当” を表現したかったはずだ。
そのことにはいま思い至ったので、その試みはこれから始めるしかない。
ハッタリでないものを書く。マクロを使いこなせる風の人間であるというどうでもいいハッタリをかましたことをここに記し、その第一歩としたい。
きたのこうへい
はたらきつつ大学院で哲学・心理学周辺の研究をしている。主な関心は自由意志。最近はやる気が出ず、師匠に「やる気が出ません」と伝え、励まされるなどしている。正直になると気持ちが楽になるということを学ぶ。93年生まれ。ハマっ子。