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2月16日(日)さざわさぎ
深夜、0時をすぎたらgoogleカレンダーの通知がきて、「日記担当日」と書かれている。また日記の日がきた。なんか最近多い。
朝、起きたけど起きあがれなくて、横のまま先日ジャケ買いした台湾の探偵小説を読む。まだ5%も読んでいないけどうすうす、筆者と似た境遇の主人公が自分語りをするタイプの、そういう小説なんじゃないかとおもいはじめている。最初の依頼者として若い女がやってきたら読むのをやめてしまうかもしれない。数ページ読んでまた寝た。
昼前に起きあがってきのう買ったクリームチーズを食パンに塗って、食べる。クリームチーズっておいしすぎる。これをいくらでも食べていいんですか? 罪にならない?
switchで昔のゲームができるやつにSEGAのゲーム機もあるのをみつけて、なんのソフトがあるか見てみたら「ぷよぷよ」があった。このぷよぷよは私が子どものころずっとスーファミでやってたのと同じやつだ!
ストーリーモードみたいなやつをやったら小一時間でクリアしてしまった。ぷよぷよ大好き。
それを見ていた人が、「真空ジェシカの川北さんが、M-1もぷよぷよだと言っていた」と言ってくる。少しずつこまめに消していくか、大きく積み上げていっきに連鎖で消すか、みたいなプレイスタイルの違いがそれぞれの漫才スタイルに通ずる、という説らしい。
それでいうとわたしの漫才スタイルは、「大きく積み上げようという気持ちではじめるけど、途中でなんかミスってうまくかみあわなくなり、だけど最後に偶然つながっていっきに連鎖で消える」だな、と思ったけどぷよぷよに集中していたのでいわなかった。
まただんだんおなかがすいてきて、せっかく休みなのでちゃんとしたご飯が食べたくなり炊飯器のスイッチをいれて買い物にでかける。外に出たら異様にあたたかくて、なんだこれは、と思って天気アプリをみたら15℃もあった。こうしちゃいられない、と心の中で思ったけどとくにやることもないので体勢は変えずそのままスーパーに向かう。
駅前でやっていた餅つきが終わって、白い服を着た人たちがうれしそうな顔で片付けをしてわらわらと帰っていっていた。何かつくってみんなにふるまうってかなり満足感があるものね、と思う。
日曜は八百屋と魚屋が閉まっているのをわすれていた。なくなくまいばすに。こないだレストランで食べた魚のハーブ焼きみたいなのが作りたいんだよ。まいばすに魚はほとんどない。何か、何かハーブ焼きにできそうなものが奇跡的にあってくれと思いながら行ったら、明太子、加熱用牡蠣、塩鮭、塩鯖、の横に甘塩のたらがあった! なんか小さいけど。これでいいことにする。タイムはなかったけどローズマリーもあった。
帰って、ごはんが炊けるのに合わせてたらを焼く。かんたんにうまくできた。
自分がたべたいと思って、その欲求を細分化してもとめているものを想像して、それを自分の手で作るのはとてもきもちがいい。
気持ちよさの勢いで、皿をすぐ洗って、シンクの掃除までした。
しっかり運動着に着がえてリングフィットアドベンチャーをやっている人を横目にわたしはヨガに出かけた。
さいきん新しくはじまった、講師の見本ではなく映像の中の人を見ながらポーズを真似するプログラム。人間の講師は参加者のまわりを歩きながらポーズのアドバイスなどをしてくれる。
映像の中にはぴったりしたヨガウェアを着た、首筋までよく見える短髪の人が座っている。その人と向き合う。その人が鏡合わせのように左右反転した動きをしてくれるので、それの真似をして動く。人間の講師が時おり体を触ってポーズを修正してくれる。人が増えたようでやりやすい。
映像の人はいわゆるヨガマスターみたいな細くて筋肉バキバキの身体をしているというわけでもないが、柔和な無表情で、しなやかな身体さばきで見本を見せてくれる。親しみやすい。
最後に、このヨガスタジオのプログラムはかならず5分ほどただ横になって目を閉じて休むパートがある。映像から出てくる音声にうながされて横になり、目を閉じる。上をむいて目を閉じたらスクリーンは見えなくなった。
この5分ほど、あの短髪の人は映像のなかでどうしているんだろう、と思う。
撮影だってたいへんだったろうに、最後にただ5分寝ているところを続けて撮ったのだろうか。いや、数秒だけ寝ているところを撮って、あとは編集で静止しているとかだろうか、
あの短髪の、ものすごくポーズがきれいなあの人はいまどうしているんだ、見たい、どうしよう、と思って皆目を閉じて静かにしているなかで、薄目をあけて端でエアコンの温度をいじっている講師の姿をみとめ、いまならいけるとさっと上半身を起こし前に目線を遣った。
すると、映像のなかの人は友だちを3人呼んで鍋をやっていた。さっきまでヨガマットがあった場所にこたつが出されていて、みんなやはり黙って、しかし笑顔で湯気の湧く土鍋を囲み、アイコンタクトをとりながらよそい合っている。何味の鍋だろう。ちゃんとお玉や菜箸をいれる入れものまで準備されているタイプの鍋パだ、と思った瞬間に背後から近づいてきた人間の講師にグッと両肩を地面に押し付けられて強制的に寝姿勢になった。「巻き肩も直しま~す」と小さい声で言われた。
しばらくして、「手先、足先をちいさく揺らして感覚を取り戻し……」といういつものアナウンスに合わせて起きあがると、うつっているのはまたヨガマットひとつになっていて、短髪の人はあぐらをかいてしっかり無表情でこちらを向いていた。
ヨガスタジオを出て、シャワーをあびてから携帯をひらいたら、大島さんが日記をアップしていた。読みながら街に出る。
自分の前の日記への感想が書いてある。ありがたい。大島さんはいつも他人のことをちゃんと考えて、しかもただ言い放つのではなく考えたそのことについても考えている。
前にもああいう、途中からうそが混じっていく日記を書いた。そういう文章のことを、そういう文章が存在することの意味を考えたくて自分もまずは書こうと思って書いた。
そのときまずは拒否反応を感じた。わたしはひとの日記が好きで、日記本を作ってもいる。日記が好きで、日記だと思って読んでいる人に肩すかしを食らわすみたいなことになるからだ。
(穂村弘の嘘日記があった気がする。高校生のころ読んで混乱した。でも嫌な気持ちにはならなかったと思う。あれってどの本だろう、また読みたい。)
で、日記ではないです、という文章をそえてツイートしたのだけど、少したってから、別に日記でなくはないなあ、と思って、もうひとつ訂正のツイートをした。やっぱりその文章は、その日に書かれなければならなかったことだったから、日記ではない、というのは感覚的に正しくないなと思った。当たり前だけど「その日あったこと」が書かれていてもそれはすべて書き手の頭のなかで起こっていることだ。そういう意味で、こういうことを思った、みたいな文章に妄想がならぶのはかなり日記だと思ったからだと思う。
今日もそういうふうに書いた。
だから大島さんの読みはけっこうしっくりきて、あれはただの日記なんだと思う。
それはそうと確かに私の文章はふつうだ。ふつうのことばっかり言ってる。ふつうのことばっかり言ってても誰かに認めてほしいという、傲慢な精神のもとで文章を書いている。
だけど前に小説についても大島さんに、自分にとってはふつうのことだ、というような批判を受けたとき、たしかにふつうといわれればふつうだけど、大島さんのふつうとわたしのふつうってどれくらい一致しているんだろう、と気になった。
大島さんの「ふつう」ってどんな感じですか? 大島さんの「ふつう」の話がききたいです。
さざわさぎ
映像を作ったり文章を書いたりデザインをやったり、常にいろいろ作っている。かわいい服とうさぎとラーメンが好き。編み物にハマっている。
【「火を焚くZINE vol.1」発売予定】
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