腰
今月末から大学一年生の秋以来の一人暮らしをすることになった。
僕がカサグランデに住み始めたのは2016年の6月末で、その間ルームメイトは入れ替わり続けた。僕は6人がカサグランデを出て、嘘の家に帰っていくのを見送った。
そしていよいよ今年の一月、大久保八億のR-1グランプリを機に、ZAZYと大久保八億の関係が悪化。
ZAZYが「八億がR-1の1回戦か2回戦で負けたら、俺出ていこかな」と厳しいプレッシャーをかけ、八億は1回戦で敗退。
そのあとZAZYのラジオのゲストに呼ばれたが39度の熱が出てキャンセルになってしまった八億は、ZAZYからラジオ越しに「仮病やろ」と非常にショッキングな言葉をかけられていた。
そこに引越し費用を31歳にして人生で初めて用意することのできた僕が、「世界的ですもんね、乗るしかないこのビッグウェーブに」といった感じで「そろそろ俺も一人暮らししたいかも」と宣言。漁夫の利を得ることに成功し、我らが青春のカサグランデはトントン拍子で解散となった。
僕はぺんとはうすの世良くんに部屋探しを手伝ってもらい、駅徒歩1分の物件に引っ越すことが決まった。
カサグランデは駅まで徒歩で10分ちょいかかるのですが、僕はその10分を頭に入れて家を出ることができずよく遅刻していたので、かなり理想の立地に引っ越すことができた。
内見のとき、たまたまカサグランデに遊びに来ていたDEAKも一緒にきてくれた。
DEAKは僕が「おお〜このクローゼットええなぁ」と言うと、「たしかにこのクローゼットは最高だなぁ」と言ってくれて、「このキッチンはなんか古いなぁ」と言うと「たしかにこのキッチンは汚いし最悪だなぁ」と言ってくれたので、かなり内見がスムーズに進んだ。
そのあと審査に通ったとの連絡がきたときは、M-1の準決勝にいけた時くらい嬉しかった。
お笑いだけで部屋を借りられるようになるなんて少し前まで想像もしていなかったので、本当にいつも応援してくれるお客さんにありがとうという気持ちだった。
同時期に内見の予定を入れていた八億に「今日内見やったんやろ?どうやったん?」と聞くと、「あ、決まりましたよ、なんか、今日もう仲介手数料も払ってくれって言われて最悪でしたよ」と返ってきた。
「え、どういうこと?審査とかは?」と聞くと「いや、審査とかは無い家だったんで、住みますって言ったら住めましたね」と言っていた。
審査とか無い家もあるんやったら最初から俺一人暮らしできたやないかと、僕は腰を抜かした。