実家が無くなったときの話(2015/7/15)

長文書いたならどっかにまとめておいたほうがいい、とアドバイスを頂いたので自分のtwitterを見返したら直近の含めて2件しかなかった。とりあえず移動するだけしておく。

2015年7月15日にtwitterに投げた、実家が無くなったときの色々。
(本文全コピペ

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知り合いより、いやマジでお前今どういう状況なの的なことを訊かれたので書きました。

僕の部屋に来たことがある人はとりあえずこの次の行まで読んでくれると助かります。

まあ、その、改めて、多分まあ、今住んでる実家は無くなるぽい。
意外と子供たちが冷静で両親が驚いていたらしい。いや、どちらも曲がりなりにも働いていて25と20だもの。
同居している方がレアだもの。
隣の部屋の男は今までにちょいちょい父上には失望だよとの話を僕にしていたけど、まあ、改めて切り出されても特になんも変わってはいない。
どうも隣の部屋の男は、荒れていたときに気にかけていたのが幸いしたのか、僕にはそれなりに好感を持っていてくれているらしい。

冬頃かなあ、本格的に動くのは。
色々と不運が重なったとはいえ、自業自得な分もあるとはいえ、優しかったとはいえ、まあ父上には同情しかない。
僕からしたら想像もつかないような大金が一気にごそっと消えて。
最終的な原因はまあ、人の話を聞かな過ぎた、なんだろうけど。

話した人には話したけど、父上の下で働いていて独立していった人、みんなそれなりにその業界内ではすごい人たちばかりで。
で、本人と、僕がお手伝いに入る前に微妙な感じで巣立った人と、最後にそっと消えた人、3人。みんな上手くいってなくて。
今回の場で父上は、真剣な感じでなく少し笑いながら、ジェットコースターみたいな人生だ、今回のミスは何だったんだろうって笑って。
(内心、確かにそんな感じだなって思った。本人は普段から僕にはあまり語ってくれなかったけど、僕は父上が好きだから、小さいころから親戚などから彼の人生を話してもらっていた。少年時代の環境から、働きだしてのお金の入り方も、大成した元部下たちも、会社を興したことも)

多分、人生初、僕は父上に否定的な意見を言った。
「あなたもそうだけど、元上司Aさんも元上司Bさんも、なまじ自身にすごい能力があるから、まわりにそれと同レベルを求めていたじゃないですか。
で、そのレベルに到達してない人を無意識に見下していたじゃないですか。取り扱ってた商品だってそう。目の付け所はすごかったけど、まあ、「そういうもの」と「それを好む相手」に対しての見下しが全然隠れていなかったです。3人とも」
(AさんもBさんも趣味はそっち寄りのはずだったのに。いや、なまじ生み出す側の人間だったからなのか)
(2人ともにこにこしていたし優しかったけど、今までの学生時代に接してきた誰よりも見下しを隠すのが下手だった)
(そりゃ、上手く行くわけがないよ。大学生だったころに会ったAさんの「普通のことを普通にできる子が欲しい」と求人に悩んでいた時の台詞を思い出す。なんだそれ。無理だ、少なくとも僕は貴方のところでは緊張でつぶれてしまう、と思った)
とにかく、家が無くなることや生活がどうなることかより先に、父上に否定的な意見を言うことにとにかく緊張した。
今思い出すだけでも胸がつまる。端的に言えば、僕は父上にこれ以上嫌われたくないのだ。

母上は少しだけその意見にため息をついた。その気付きも褒められたものじゃないけどね、と。でもまあ、否定しなかったという事は同意なのだろう。
母上は父上の部下をみんなよく知っていたし、彼らに優しかった。今じゃビックリするような名前の人に毎日お弁当を作ってあげていたこともある。

自分はなんとなく、見下されていることに敏感らしい。
そんな人生だったからだろうとは思う。
勉強が人並みにできないのに、水泳以外の運動も絶望的に駄目だった。体力も無い。協調性も度胸もコミュ力も無い。要領も悪い。ついでに面に資本が無いときた。
面、面なあ。自分はこんなんなのに、父上はかっこいいし母上は綺麗だし、隣の部屋の男もモテる顔だ。
人生と性格は顔に出るってのは間違いじゃないと思う。
まあ、とにかく。そんな子供時代だったので、見下されていることはなんとなくわかるのだ。
どうも自分と長いこと仲良くしてくれる人は、自身の能力に対して自己評価が低い方々が多い気がする。
そうじゃないと多分、言い換えれば見下してこない人じゃないと僕の方が無理だという態度を無意識に出してしまっているのかもしれない。
ぶっちゃけ、大学時代に仲良くしてくれていたメンバーの中でも、大人数で集まった時にそういう視線を感じることはあった。
高校時代の部活メンバーと一切連絡を取らないのもそういった理由からだ。
最近、ひとりから結婚式の2次会のお誘いがあった。仕事なのでお祝いの言葉とともに断りの返信を入れたが、正直顔も思い出せない。
被害妄想だったらもったいない話だが、まあ、多分妄想じゃないよ。気持ち悪いと思われ続けて今まで生きている。

話を戻すと、まあ、不幸は重なった。
父上の仕事が大変なことになり始めたのは1年ほど前のことだが、その前から周りでとにかく色々と起きた。
5年ほど前、父方の爺様が亡くなった。これは大往生だった。幸せな逝き方だったという。規模の小さい葬儀だというのに外までたくさんの人が集まって、お見送りをした。連日家には彼を慕っていた人が大勢押し寄せていた。
僕は親戚が少なく、20になって初めて人の死を経験してしまったから、目を開けない爺様の冷たい手を握って、意識を失うほど泣いた。いきなり倒れてちょっと騒ぎになったらしい。恥ずかしくはないのだが、恥ずかしい話だ。

婆様は漫画のようなお嬢様だったし、漫画のような恋愛をして爺様を愛し続けていたから、ここで何かが切れてしまったんだろう。1年ほどして落ち着くと、ふとボケた。彼女の時間は延々と爺様が亡くなった1年後の日を繰り返すようになってしまった。記憶は蓄積されなくなったけど、それでも身体が健康な方だったから、毎日元気に別のことをしていた。
だけど数か月前、転倒して骨折してから、一気に症状は進んでしまった。
現在は治療とともに病院に隔離されていると言っていい。なぜなら、同居していた叔母さんと叔父さんがどうしてももう面倒が見れない。

なぜなら1年ほど前に、父方の叔母さんが若くして癌を患ったからだ。
叔父さんと叔母さんは夫婦ともに眉目秀麗で、それこそ学生の頃から漫画のような恋愛をしていたけど、叔母さんの病気で子供はできず、大型の犬を飼っていた。父上と兄妹仲はすごく良かったから、父上があらゆるツテとお金と時間を使って彼女を救おうとしていたのを知っている。不幸なことに、自身の貯金と会社が大変な時期にこういった事態が重なった。

だが、その少し前に、母方の叔母さんも若くして癌を患った。
こちらは結婚もしていなくて、忙しかった両親に代わって僕の面倒をよく見てくれていた人で、この人が癌になった事実が僕はとにかく、とにかく怖かった。以前は同居していたし、仲も良く、こちらにも父上は金と時間と身を砕いた。僕も毎日にように病室に行ったし、通院時の送り迎えもした。
結果として、彼女は助からなかった。若かったからだ。進行スピードに治療が追い付かなかった。
僕はこの時初めて人が死ぬ瞬間を見た。もし僕が助からない病に侵されたら、この時の担当医か病院を道連れにすると決めた。

この事実を父上も母上も父方の叔母さんには言えなかった。言えるはずもない。ほぼ同い年でほぼ同じ病気にかかっていたのだから。
現在、叔母さんの症状は進行が止まっていて、家に戻っている。もちろん、治っているわけでもない。ただ、子供代わりの犬よりも先に死ぬわけにはいかないと、その心だけで過ごしているらしい。無理だ。僕は叔父さんの立場でも、もちろん叔母さんの立場でも耐えられない。想像するだけで吐きそうで涙が出てくる。

さらに、母方の婆様が完全に痴呆症になってしまっている。会話も成立せず僕のことも覚えていない、どうしようもないレベルだ。そのレベルに達するまではしばらくこちらの家にも来ることもあり、その時は家族全員で面倒を見ていた。しかし、叔母さんの死で、完全に症状は進行した。村の方に戻って施設に入った。爺様は村の重要な人間なので、まだ働いている。どうも、爺様の代わりができる人がいないのだ。
(そんな村滅んでしまえばいい、とずっと思っているが、昔その村ができたことに曽祖父様が深く関わっているので、なかなか口には出せない)
(ただ、僕は爺様にはボケてほしくないので、仕事をして、人と会っていることでそれが防げているならいいのかな、とは思っている)
だから今、母上は月の半分くらいは爺様のところに行き、ひとりで過ごす爺様の世話をしたり、施設の婆様の面倒を見たりしている。
僕も今現在の仕事に就くまではよく爺様のところへ行っていた。
だって本当にここ数年だけで、いつの間にか、血縁のある人が一気にいなくなってしまった。単純に爺様が心配だし、言うなれば罪滅ぼしの気持ちがあるのかもしれない。いなくなってからでは遅い。だから、今年中に週一でしか休みが取れない今の仕事はやめてしまおうと思っている。
話がずれた。

長々と書いたが、とにかく、父上は、身内の不幸と自身のトラブルと出費と心労とがあまりに重なりすぎたのだ。そしてそれは今も続いている。

父上は、母上に一途だ。
昔は遊びまわっていたらしいが、母上と身を固めてからは、周りが驚くほどの一途となったらしい。(昔、父上が海で、サーフボードと、両側に母上と叔母さんを侍らせて撮っている写真を見た。若いころの2人も綺麗だった。なんだよ、それ)
母上は父上に今回のことで、意見も言うし、指摘もするが、けしてこの事態を招いたこと・現状に対して文句を口に出していない。50も中ごろに入ろうかというときに、この事態だ。熟年離婚としては十分すぎる理由になる。
実家はまだある。ひとりで暮らす爺様という理由もある。なのに、そういった考えは無いらしい。だから、母上は本当に立派だと思う。

まあ、突然の話なのと、職場の距離から隣の部屋の男と2人でしばらくは住むかなあと思っていたのだが、どうも母上はこの現在住んでいる場所を最後の場所にする気だったようで、これは家族の誰もわかっていない話だった。

将来、孫の顔は隣の部屋の男がきっとなんとかするだろうから、親の面倒を見る気はあった。あったが、ナウ今臨時で入っている仕事をしつつ、メンタルケアが出来るかと言われれば、厳しい。これはまだ途中の話だが、そもそもに25と20の息子をしてこの機会にしてまだ同居させようという考えが、状況、少々難しい話ではなかろうか。

また、僕はもうこれ以上自分のものを捨てられたくないのだ。
おそらく、僕は収集癖がある。
ささいなものでも、自身が要因でなく失うことが嫌で嫌で仕方ないのだ。
お金で買って、自分の手元に現物が残るという事にすごく安心を感じる。
最近、父上があれだけ大切に乗り回していたバイクを売却した時、本人はあっけらかんとしていたが、胸がつらくてつらくて仕方なかった。僕の貯金で査定分の金を払うから、バイクに乗っていてほしいとお願いしたが、断られた。の割に10年過ごした家が無くなること自体は、そこまでではない。
引っ越しをした時から今でもずっと感じていたが、僕にはあまりに過ぎた、お城のような家だった。
そんなところで10年近く過ごせたことだけでも、父上には感謝しかない。

ファザコンと言われてもいいほどに、僕は父上が好きだった。
趣味や性格は後から生まれた男の方が相性が良かったし、僕が生まれてからしばらくはずっと忙しくあまり僕には関心が無かったようだから、こちらとしては嫌われないように必死だった。どうすれば嫌われないかわからなかったから、小中学生の頃は悪い点数を取らないようにグズなりに勉強もした。

父上は僕の理想の姿だ。
仕事も出来て、趣味を自由に楽しみ、綺麗な嫁さんを貰い、人と一線を引きながらも、見捨てることはない。
(まあ、今回はそれのせいで失敗を引き起こしたわけだが)
そして、けしてひとつひとつが完璧ではないが、幅広くひとりでなんでもできる。外見だって人並み以上にかっこいい。なにひとつ届きそうな所はないけれど、この人の子供で本当に良かったと思っている。

大学まで出してもらっているのに、今までの人生で、彼に何かしてあげられたことは何もない。
何をしてあげられるだろうか。ひとりで何でもできてしまう人に。
僕は頭が悪いから、まずは、今まで僕に使ってきてくれたお金を、具体的には大学の学費を少しずつでも返していくことから始める、ということしか思いつかないのだ。

どうしよう。

そんなこんなで、脱線しつつ、ちょっと人生振り返ったりしながらも現在の僕でした。
別に携帯の番号を変えたりパソコンを捨てたりするわけではないし、ましてや夜逃げとかそういう話ではないのでそこはまあ。

よかったらお酒飲みながら劇場版ラブライブの話とか付き合ってください。
文章にアウトプットするのが苦手なのであんまりツイートしてませんが、
あれは本当、まだまだ話足りないです。

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