高濱虚子五句集を読む①
先日、波多野爽波俳句全集を読了した後、波多野爽波の句の本質に迫るためには、師である高濱虚子の作品をちゃんと読む必要があるのではないかと感じていました。
その時に飛び込んできたのが、南幸佑さんと藤井万里さんのこの企画、
藤井さんとは直接対面したのは一度きりだったのですが、思い切って申し込んでしまいました(我ながら凄いなと思います。)
せっかくの機会をいただいたので、こちらのブログでも高濱虚子の「五句集」の感想を発表していこうと思います。
高濱虚子の五句集は、「五百句」、「五百五十句」、「六百句」、「六百五十句」、「七百五十句」を指しているもの。今回は第一句集「五百句」を読んでいきます。
発行は昭和12(1937)年。序文には「ホトトギス」500号記念の出版であったこと、明治・大正・昭和(明治24年~昭和11年まで)からの句をほぼ等分で採ったこと、が記されています。また、すべての句に、句を制作した日と句会、状況などが細かく記載してあります。(これは以降の句集でもつづきます。)
「五百句」の中には、魅力的な句があって、いただきたい句がたくさんありました。すべてを紹介しきれないのがとても残念ではありますが、以下、あまり知られていない句を中心に、感銘をうけた句を挙げていきたいと思います。
(上記の註については、かなり煩雑になってしまうため、割愛します。)
(底本は、岩波文庫「虚子五句集(上)」(1996)によります。字体は新字になっている可能性があります。)
この他、高濱虚子の例句としてよく知られているものとして、以下のものが収録されています。
五百句を読むに、すごく自由に作ってらっしゃるなという印象を持ちました。新しい句材、新しい表現を厭わない、常に革新していく虚子の姿勢がみえてくるというか。
波多野爽波を読んでいて、この表現はなんだろうみたいなところの表現が、すでに高濱虚子によってされていたことも判明。(例えば、「闇汁の」「巣の中に」の句)
「客観写生」と「花鳥諷詠」のどちらも多いのですが、人物のそのものに寄せた句がみえるのも、以後の波多野爽波の句に通じるところがあるなと感じました。
今回の句で一番衝撃だったのは、下記の句、
自分自身を詠むこむのって、そうとうハードルが高いと思うのですが、そういうことを高濱虚子はやっちゃう。天子、しかも天智天皇と並べてしまうという大胆さ。大化の改新で活躍した天智天皇と並べて書くことで、自分を奮い立たせるような一句になっているとも感じました。また、上五の大胆な字余り、下五の破調の取り合わせに、虚子自身のギクシャクした気持ちが内包されていると感じました。
(なおこの句は、「五百五十句」の序文で、この句が取り消しとなってること、その後「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」と推敲されていることなど、当時としても物議を醸した句だったと思われます。)
そして上の句を読んで思い浮かんだのが、
虚子の娘である星野立子のこの句。この句も上五と下五が字余りになっていて、そのことで余韻が生まれている作品だなと。親子がこうやって共鳴しているのも、新たな発見でした。
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