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阿部青鞋俳句全集を読む②

第ニ句集「句壺抄」は昭和32(1957)年発行。なお抄録となっているのは、後に発行された「火門集」との重複があるとのこと。「句壺抄」は、現在入手困難な句集であることを考慮し、そのまま掲載されています。

句集は、「朝暮」「蕾」「噴水」「波浮漁村にて」「帰人」「草のなか」「炎天」から構成されており、序文には、美作に居を移した阿部青鞋が、句をまとめながら、何度も句を入れ替えたことなど、句集発行への思いが綴られています。
あわせて、昭和41年の「阿部青鞋集抄」(「老薔薇」のみ抄録)も読んでいきます。

以下、感銘句を挙げます。

朝暮
 冬の虹根は警察のうらあたり
 元日の少年がとびおりてさる
 冬の日がはだかになりて働ける

 はちあわせたる少女やチューリップ
 すくひなき春のさかりのひかりかな
噴水
 噴水や寝そべる犬がいちばんよし
 あかんぼのはだかの肩に翼なし
 炎天の絶望的な煙突よ
 毎日のあじさい故に出勤す
波浮漁村にて
 びわをとる後ろに海がふさがつて
 夏浪がおのれの丈にあきれけり
帰人
 おどろいて夜長の人の帰りけり
 東大寺日短かけれど見にはいる
草のなか
 何もかも忘れし春の月がでる
 チューリップ茎にぎられてしまひけり
炎天
 機関車の汽笛からでる冬冬冬
 木がらしやころがつてゆくヴァイオリン
 ストーヴやこうもり立にこうもりを
  (以上、句壺抄より)
老薔薇
 
虹のあるために苦しきものがたり
 キャッキャッと鋏と思うものが鳴く
 蟻の穴の中から人の声がする
  (以上、阿部青鞋集抄 より)

「阿部青鞋俳句全集」、暁光堂俳句文庫

東京から離れ、美作に転居してから、10数年経過しているのにもかかわらず、句の感覚が、東京時代のものとあまり変わりがないということでした。東京時代でも、美作時代でも、同じような質感で句が展開してることは正直おどろきました。

先日まで読んでいた波多野爽波の場合、東京にはない俳句の世界を求めて、京都に移り住んだという経緯があって、そういった事が阿部青鞋でもおこるのかなと思ったのですが、阿部青鞋はそういう感覚ではあまりなかったのかなと感じました。何故、美作に移り住むことになったかは気になるところです。

第一句集と比較して、形容詞の使い方やオノマトペの使い方、大胆な擬人法、ひらがなの多用による表現が引き続き面白い。この措辞にはつかないだろうという形容や修飾がされている句が多く、読んでいて、毎回驚きがあります。また第一句集と比較したときに、妻がでてくる句がほとんどないことも印象に残りました。

「あかんぼの」の句は、あかんぼをキューピットとして見立てていることが想像され、翌年1958年に受洗することになる阿部青鞋のキリスト教的世界が垣間見られます。



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