高濱虚子五句集を読む③
第三句集「六百句」は、昭和16年(1941)~昭和20年(1945)の句をまとめた句集。昭和21年(1946)年発行。序文に、「ホトトギス」600号を記念して発行されたとあります。
以下、感銘を受けた句を挙げていきます。
この句集では、以下のようなよく知られた句も収録されています。
1941-45年にかけての句集ということで、全体のトーンとして、賑やかな句を詠んではいけないというような風潮があると感じました。(それでも戦時下において、これだけの句会をしていたことは少し驚き。)第ニ句集にあった、戦勝句が全く収録されていないのは、終戦直後の句集とあって、GHQなどの眼を気にしていたということだろうか。戦後直後に本を出版できた虚子の社会的な立場も考えさせられました。
第二句集のときにも感じたのですが、季語を借りて今の社会を読んでいるような句(深読みできそうな句)が多数あり、このあたりの読み解きも興味深く、同時に、そのように読み解かないといけないような構成にもなっていて、素直な句群として読みづらさも感じました。
今回、私が一番気になった句。小諸に疎開した直後の句の一つ。
指示語の「この」と「その」が効果的に使われていると感じていて、萩(近景)と月(遠景)という、いわゆる季重なりとなっているが、秋の空気感全体を示したものになっていて、指示語の表すものとして、具体性が現れているなと。
「其頃」が、もはや過去の、もう戻ることが出来ない、記憶の中にあり、此頃=此岸(今生きている世界)をさらに印象づけさせるような句になっていて、秋の「萩と月」の美しさ、寂しさ(そして、月の満ち欠けという、破壊と再生)という意味もあって、より普遍性があると感じました。
橋の下にいろんな生き物が犇めきあっている様子がみえて、田舎の夕立の景として立ち上がってくるのがおよかった。(そして、その後空襲などで防空壕に身を寄せる景もほのかに想像させてしまう。)
戸が完全にしまってないことから、人が出入りしたを感じさせ、おでんが美味しそうに煮えている様子も伝わってくる。おでんが窓辺で煮られている感じも、おでんらしさがある。他の鍋物はもっと座敷などで食べると思うので。ガラス戸もおでんの湯気で曇ってる感じもみえます。
この句集のなかでは、裏の意味があまり感じなくて、ほっと息ができる句でした。
句集という位置づけのほか、歴史書としての句集という意味でも、考察の意義に満ちた一冊になっていると感じました。(つづく)