攝津幸彦選集を読む②
第ニ句集「烏子」を読みます。1976年3月発行。序文は、高柳重信。「烏子」には、260句収録されています。
以下、感銘を受けた句です。「姉にあねもね」は、再録になるため、重複しているものは除きました。
前回の記事でも申し上げた通り、攝津自身は季語のあり方に対して特に意識していないとありましたが、まさにその通りといえる句群でした。季語としての意味がほぼ機能していないままそのまま句に放り込まれている感覚があり、その意味では、俳句の形式の一つから離れていると言えそうです。
あとがきに、俳句形式に塗り込まれた言葉が、果たしてどのような意味があり、どのような意味をなしていないのかと語られている通り、「意味があるようで意味がない」(けれど何らかの意味がありそう、でも意味はない。)という措辞の試行錯誤をされていたのだと感じます。
俳句から慣れ親しんだ解釈と、そのような場所から離れた解釈では、それぞれに感じ方が違ってきそうとも思いました。例えば「や」のあり方については、俳句のフィルターを通して考えると、詠嘆をしているとなりますが、そうなければ並列の「や」とも受け取れて、そのあたりの解釈の違いも攝津の狙いなのかもと感じています。
この句集には「卵」「酢」が度々登場していて、これらの措辞が句集全体の調和として機能しているのも面白く思いました。
(つづく)