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攝津幸彦選集を読む②

第ニ句集「烏子」を読みます。1976年3月発行。序文は、高柳重信。「烏子」には、260句収録されています。

以下、感銘を受けた句です。「姉にあねもね」は、再録になるため、重複しているものは除きました。

流体力学
かくれんぼうのたまごしぐるゝ暗殺や
花ひとひら腸にかかりて妻帯す
あさみどり胎児がひらく酢の秩序
直立のかたいつぱうの綿つめぬ
みまなこの蛇ほどけゆく非常かな
H&R
花ぐもりまつかな船を焼いてゐる
大いなる葱につゝみし渚かな
みづすまし背広すまして死に給ふ
死火山のなほ制服のそよぐなり
ふりし旗ふりし祖国に脱毛す
姉にあねもね
きりぎりす不在ののちもうつむきぬ
深海につかる紐あり朝は革命
晩秋や道具あつまる西しづか
暗黒と鶏をあひ挽く真昼かな
頌歌
長月の方法と水残りけり
昼顔を洗ひなほしてをとこ発つ
永き日の蝿取り紙の上下かな
まるき頭の亡母の並びで製麺す
曇天に紛れて針を買ひわする
幻景
髪として騎兵はすでに朝づけり
北まくら高梁繁れる高さにて
聖戦(みいくさ)や次郎の袋にしづるる雪
極寒裡埠頭に某の知恵うかぶ
大日本(おほやまと)が墨は匂へる新歴史
逍遙
日に緋なる伯林のばら滅ぶ美技
荒びてはやさしき姫を産みにけり
友の瞳に友映りゐて二階かな
おぼろなる夜の鈴の無を唇に閉づ
青春よぐみの実または器具である
あなめりか
自由へのバナナのまつり白きおつり
典礼や女神の靴も秋の下

「摂津幸彦選集」邑書林

前回の記事でも申し上げた通り、攝津自身は季語のあり方に対して特に意識していないとありましたが、まさにその通りといえる句群でした。季語としての意味がほぼ機能していないままそのまま句に放り込まれている感覚があり、その意味では、俳句の形式の一つから離れていると言えそうです。

あとがきに、俳句形式に塗り込まれた言葉が、果たしてどのような意味があり、どのような意味をなしていないのかと語られている通り、「意味があるようで意味がない」(けれど何らかの意味がありそう、でも意味はない。)という措辞の試行錯誤をされていたのだと感じます。

俳句から慣れ親しんだ解釈と、そのような場所から離れた解釈では、それぞれに感じ方が違ってきそうとも思いました。例えば「や」のあり方については、俳句のフィルターを通して考えると、詠嘆をしているとなりますが、そうなければ並列の「や」とも受け取れて、そのあたりの解釈の違いも攝津の狙いなのかもと感じています。

この句集には「卵」「酢」が度々登場していて、これらの措辞が句集全体の調和として機能しているのも面白く思いました。
(つづく)


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