阿部青鞋俳句全集を読む⑧
句集「ひとるたま」以降の補遺より、感銘を受けた句を挙げていきます。
補遺は、俳句雑誌などに投稿されたものがまとめられている形式なのですが、それぞれのタイトルを入れてしまうと、すこし煩雑になってしまうため、今回は割愛します。(句の並びは、発表年順になっています。)
前回の句集「ひとるたま」の随想にあった、「何でもないけど、何でもある」世界観がやはり徹底されていますね。特に、これ、本当に何でもないけど、何でもあるなあと感じたのは、
あたりの句。ほんとうに何でもない。でも、何でもある。「元日の」の句は、まさに元日そのものという感じ、いつのまにか午後になってるのはあるある過ぎて、あらためて句にされてハッとします。「軍手あり」の句は、
これを思い出さずにはいられない。どこまで意識されていたのかわからないのですが、阿部青鞋の場合は、客観写生というよりは、「何でもないけど、何でもある」というところに力点が置かれていて、写生を超えて浮かび上がる詩性をより、如実にすくい取ろうとしていたのではないだろうか。
「金魚屋」「びいるびん」の句も、そのままといえばそのままなのですが、「金魚」「ビール」の季感が底にしっかりとあって、水をみているだけなのに、数々の金魚の泳ぐ様が、ビール瓶の置かれ方から、おそらくそれらのビールを飲んだであろう、どんちゃん騒ぎな様子が浮かび上がってくる。それらが、阿部青鞋の厳選した表記(「なか」「びいるびん」)によって、独特の浮遊感、超現実感をもって、眼の前に現れてくる。
特に「びいるびん」の句は、一物仕立てともよめるし、びいるびんで切れてよむと、眼の前に飲みすぎて道路に転がってる人も見えてきます。(ここを「奴」としているところも、とても工夫されてるなと。)
阿部青鞋俳句全集を読み通して来ましたが、いかがだったでしょうか。少しでも、阿部青鞋の句の魅力が伝わったら幸いです。(了)