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阿部青鞋俳句全集を読む⑧

句集「ひとるたま」以降の補遺より、感銘を受けた句を挙げていきます。

補遺は、俳句雑誌などに投稿されたものがまとめられている形式なのですが、それぞれのタイトルを入れてしまうと、すこし煩雑になってしまうため、今回は割愛します。(句の並びは、発表年順になっています。)

にはとりのうれしきにぎり拳かな
一を以て二を知る如き冬日かな
寒の葉牡丹を蟹かと思ひもす
肉体のつめたきところ夏に入る
夏草の下にあるべきピンセット
泥棒がみればコルクが落ちてゐる
洞窟のどこか似もしてくすりゆび
金魚屋のなかの多くの水を見る
食パンの如くに夏は老けにけり
風花ののこのこ落ちし処かな
夏草や高原大の牛糞あり
動きくる枯野はじつはショベルカー
童心の最後のごときチョコレート
元日の猫のあばらをさはりけり
乗っている電車がときに苦笑する
もくれんの花をゆつくりさせておく
掘さく機の盛り上げし土に軍手あり
あんぱんのあんを見て食ふ二月かな
びいるびんころがる奴はころがって(※原文ママ)
どんぐりのどんぐり色は寂しくて
噴水がおいおい泣いて居りました
オルガンも滝を落ちきし記憶あり
元朝のねりはみがきをしぼりだす
沿道のこがらし一度ニ度休む
啓蟄の目をやる程のものも無く
元日の午前はいつか午後になり
ひまはりの茎物騒に太くなる
揚羽蝶あつさり暑き庭を去る
空蟬やわが国籍は地にあらず

「阿部青鞋俳句全集」暁光堂俳句文庫

前回の句集「ひとるたま」の随想にあった、「何でもないけど、何でもある」世界観がやはり徹底されていますね。特に、これ、本当に何でもないけど、何でもあるなあと感じたのは、

金魚屋のなかの多くの水を見る
掘さく機の盛り上げし土に軍手あり
びいるびんころがる奴はころがって(※原文ママ)
元日の午前はいつか午後になり

あたりの句。ほんとうに何でもない。でも、何でもある。「元日の」の句は、まさに元日そのものという感じ、いつのまにか午後になってるのはあるある過ぎて、あらためて句にされてハッとします。「軍手あり」の句は、

漂へる手袋のある運河かな(高野素十)

これを思い出さずにはいられない。どこまで意識されていたのかわからないのですが、阿部青鞋の場合は、客観写生というよりは、「何でもないけど、何でもある」というところに力点が置かれていて、写生を超えて浮かび上がる詩性をより、如実にすくい取ろうとしていたのではないだろうか。
「金魚屋」「びいるびん」の句も、そのままといえばそのままなのですが、「金魚」「ビール」の季感が底にしっかりとあって、水をみているだけなのに、数々の金魚の泳ぐ様が、ビール瓶の置かれ方から、おそらくそれらのビールを飲んだであろう、どんちゃん騒ぎな様子が浮かび上がってくる。それらが、阿部青鞋の厳選した表記(「なか」「びいるびん」)によって、独特の浮遊感、超現実感をもって、眼の前に現れてくる。
特に「びいるびん」の句は、一物仕立てともよめるし、びいるびんで切れてよむと、眼の前に飲みすぎて道路に転がってる人も見えてきます。(ここを「奴」としているところも、とても工夫されてるなと。)

阿部青鞋俳句全集を読み通して来ましたが、いかがだったでしょうか。少しでも、阿部青鞋の句の魅力が伝わったら幸いです。(了)


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