生没年不詳の俳人・藤木淸子句集「しろい晝」を読む
藤木淸子(ふじき・きよこ)は、1933年から40年に活躍した、生没年不詳の俳人。明治以降の俳人で、こんなにミステリアスな俳人がいたのかと驚きました。つい最近お名前を知り、ネットで色々検索してみて句を読んでみて、もう少し掘り下げてみたいと思っていたところ、藤木淸子の句が収集されている俳句集「現代100名句集 第4巻」(東京四季出版 2004)を購入したので、読んでいこうと思います。
wikipediaより、藤木淸子の来歴を抜粋します。
句集「しろい晝」は、昭和十六年(1941)四月発行。序文で、淸子はこの句集を転機として、健康な作品に帰りたいとあり、昭和15年に句の発表をやめていることから、この句集が淸子最後の作品集となっているようです。
以下、印象に残った句を挙げます。
戦中を生々しく生きた一人の女性が浮かび上がってくる句が印象的でした。句に出てくる男も女もどこか、憂いがあり、エロティックな様子も漂ってきます。おそらく当時としては、このような句は時制にそぐわないものであったでしょうし、公安などにも目をつけられていた可能性もありそうです。
再婚の際、俳句を止めることが条件であったと言われていますが、それでもきっと、何らかの形で自分の気持ちを表現する方向に向かったのではないかと、考えてしまいます。