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生没年不詳の俳人・藤木淸子句集「しろい晝」を読む

藤木淸子(ふじき・きよこ)は、1933年から40年に活躍した、生没年不詳の俳人。明治以降の俳人で、こんなにミステリアスな俳人がいたのかと驚きました。つい最近お名前を知り、ネットで色々検索してみて句を読んでみて、もう少し掘り下げてみたいと思っていたところ、藤木淸子の句が収集されている俳句集「現代100名句集 第4巻」(東京四季出版 2004)を購入したので、読んでいこうと思います。

wikipediaより、藤木淸子の来歴を抜粋します。

藤木 清子(ふじき きよこ、生没年不詳)は、俳人。1933年、後藤夜半主宰の「蘆火」に水南女(みなじょ)の号で投句、「蘆火」終刊後「天の川」「京大俳句」等に投句。1935年、日野草城の「旗艦」創刊より参加。1936年9月より清子の俳号を用いる。
数少ない女性の新興俳人の一人であったが、1940年を最後に句の発表を止め、以後消息不明となった。再婚の際、俳句を止めることが条件であったためという。2012年、宇多喜代子の編集により全句集『ひとときの光芒』が沖積舎から刊行されている。

wikipedia「藤木清子」

句集「しろい晝」は、昭和十六年(1941)四月発行。序文で、淸子はこの句集を転機として、健康な作品に帰りたいとあり、昭和15年に句の発表をやめていることから、この句集が淸子最後の作品集となっているようです。

以下、印象に残った句を挙げます。

愉しき孤獨
しろい晝しろい手紙がこつんと來ぬ
 うすもののどこかゆるみてひとやさし
 わかれ來て硬きつめたき水を呑む
 ひとりゐて刄物のごとき晝とおもふ
 水仙に元日重く來てゐたる
 屋上園凉しき戀をみて凉し
山のホテル
 針葉のひかり鋭くソーダ水
 蓼ほそくのびて颱風圈に入る
 こめかみを機關車くろく突きぬける
 山深く來て新鮮なひとに逢ふ
 春宵の自動車くるま平凡な人と乘る
 淺春の體操敎師齒がしろい
 梅雨の夜眉濃きをとこ小心なり
 戰爭とをんなはべつでありたくなし
 戰のふかきになれて犬を愛す
 孤獨なりするする落ちてはなやげる衣
 生きて來てなお生くるほかなきねむり
 高架・街を貫き人細心に大膽に
 夕ぐれのながきを縫へば水の音する
 まひるましろき薔薇むしりたし狂ひたし
 ひとすじに生きて目標をうしなへり

戦中を生々しく生きた一人の女性が浮かび上がってくる句が印象的でした。句に出てくる男も女もどこか、憂いがあり、エロティックな様子も漂ってきます。おそらく当時としては、このような句は時制にそぐわないものであったでしょうし、公安などにも目をつけられていた可能性もありそうです。
再婚の際、俳句を止めることが条件であったと言われていますが、それでもきっと、何らかの形で自分の気持ちを表現する方向に向かったのではないかと、考えてしまいます。


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