阿部青鞋俳句全集を読む⑦
第八句集「ひとるたま」は、昭和58年発行。全編旧仮名で書かれています。巻末に俳諧歌、随想があり、そして後記と続いています。
後記には、妻の病に伴い、美作から東村山に移住した際に、関係資料の大半を残してきたとあり、今回の句集には、以前の句集にも収録されていた句もいくつか含まれていました。
この年、阿部青鞋は、第30回現代俳句協会賞受賞しています。(受賞作は現代俳句協会のホームページにて読むことが可能です)
以下、感銘を受けた句をあげます。(以前の句集と同じものは極力省いたつもりですが、重複してる箇所があるかもしれません。)
阿部青鞋の代表作としてよく取り上げられる
の作品は「ひとるたま」に収録されていました。又これらの作品は、先にあげている現代俳句協会賞にも収録されており、おそらくそこからの作品が世の広まったのではないかなと想像します。
今回の句集も、前回の句集につづいて、旧仮名で書かれているのですが、現仮名時代の軽やかさのままに表現されていて、一句における漢字の絶妙な配分もあいまって、今までの作品の集大成的な句集になっている印象をうけました。
また、今回の句集では巻末に随想があり、阿部青鞋が俳句に対する想いを記述している文章集があるのですが、それがとても素晴らしかったので、こちらもシェアしたいと思います。
これらの随想をよんで、なるほど阿部青鞋が俳句でやりたかったのはこういうことだったのか、とすべて腑に落ちました。「なんでもないことでも、なんでもある」というのは、本当に言いえて妙で、阿部青鞋の句を読んでいると、なんでもないことが、なんでも在るように存在していて、そのことに毎回衝撃を受けていました。
今回の作品で、改めてそれを感じさせると思ったのは、
の句。
この句から受けた印象は、これは高野素十や波多野爽波がやる客観写生そのものなのでは、ということ。この句が素十や爽波の句集にはいっていても、なんら違和感なく受け止めることができそうです。それが、この句が阿部青鞋の句集にはいっていることで、客観写生とは違う「なんでもある」感がでていて、前後の句の影響って改めて凄いなと。
阿部青鞋がたどり着いた世界と、波多野爽波がたどり着いた世界が交錯していることが、今回の句集を読んでいて、何よりも興味深く、もともと全然違う全句集を読むつもりだったのが、こうやって出会ってしまうのが、なんだか運命的なものさえ感じてしまいます。(笑)
私もこのような、なんでもないけどなんでもある事象を詠んでいけたらと、改めて思いました。(つづく)
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