同時に芝不器男「不器男句集」読む
芝不器男は、明治36年、愛媛県出身。「天の川」「ホトトギス」に投句し、その才能に注目が集まるも、昭和5年2月、病のため26歳の若さで夭逝した俳人です。
「不器男句集」は、昭和9年2月発行。序は、吉岡禅寺洞が文を寄せています。句集は、不器男の死後、横山白虹によって編まれた記述されています。
心に残った10句選
芝不器男は、今回の企画で、初めてしっかりと読んだのですが、微細な発見の句が多くあって、心惹かれました。正直もっと選びたかったのですが、10句に絞った中で、心を強く掴まれたのが、そういう微細な発見の句でした。
今回の選で選んだ1句、
芝不器男の代表作であるこの句は、「ホトトギス」の句会に出されていたもの。先日手にした「ホトトギス雑詠句評会抄」(本年の角川俳句賞を取られた若杉朋哉さんがご紹介されていて即買いした)にもこの句の選評が載っており、その高濱虚子の選評を読んで、初めてこの句がどういうことかを理解できて、衝撃を受けました……
つまり、「あなた(遠い所)」の「あなた(遠い所)」ということなんだと。伊予から仙台までの移動があったと前書きがあるのはそういうことだったのですね。
同じ言葉をリフレインする句はほかにもたくさんあるけれど、「あなた」を掛けるのは、本当に例がなく、この句が当時の「ホトトギス」でセンセーショナルな句として取り上げられたのも納得。
それ以外の句も簡単に選を紹介したいと思います。
機の左右に風がよい。松過ぎて、ちょっと仕事モードになってきた感じとまだ正月気分が抜けていない感じもあり。
何年かに1度のご開帳。普段はほとんど人が来ない場所に、我が我がと押し寄せる人が見えてきます。このご開帳をすぎると下萌のいつもの日常も感じます。
門のうちでは賑やかな声が、それを聴くかのように門がしんと建っている。春の暮の温かな日差しをうけている感じも。春を惜しむ感じもあり。「人入つて門」という文字の並びから、入学生や入門生という、新学期の空気感も感じます。
遠近法によって、海が、向日葵の蕋(しべ)の圧倒的な大きさに消えてしまう。大きいものに大きいものが消えるという感覚。夏のエネルギーを感じます。
柿の赤色と山に沈んでいく夕日の赤色の呼応。柿をもぎながら、夕日ももいでいるような感覚になる。秋の実りを両の手で受け止めたいという気持ち。こちらの句も遠近法を感じます。
枯れるも、実りも、蝶も季語として扱われることも多いが、最後に秋を持ってきたことで、すべての要素が受け止められている。目に見えるものをそのまま写し取っている素直さ。
黄葉しているイチョウの木の間から見えている空を想像した。ちりぢりに銀杏が散っていく様子も見えてきます。くれていく空の色彩と銀杏の色彩の対比、そこからの同化も。
夜の茶の花の景。畚(もっこ)の中ですやすやと寝ている赤ちゃんにもひかり。茶の木、茶の花にもひかり。白い花も茶の花の艶めきもみえてきます。はつ冬の優しい景色。
パセリの緑と暖炉の朱のコントラスト。そのパセリを用意してくれた人、パセリを食べる人、パセリを落としてしまった人の心情も見えてきます。
今回の「『不器男句集』を読む」は、10月頭に、句集を同じタイミングで読んで、同じタイミングで記事を発表したら、楽しそうだなという企画の第一弾でした。
今回の企画をSNSで発表したところ、多くの反応があり、早速実行してみました。
同じようなタイミングで、同じ句集を読んでいる記事があがって来ると思うので、是非それぞれの選がどうなっているのかも、比較して読んでいただけたら嬉しく思います。
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