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高濱虚子五句集を読む⑤
第五句集「七百五十句」は、昭和26年(1951)~昭和34年(1959)に発表された句をまとめた句集。虚子の没後に長男高濱年尾と次女星野立子によって選集されています。虚子本人による序文はなく、今までの句集同様、句の書かれた月日と読まれた場所などと共に編まれています。
感銘をうけた句を、以下に挙げます。
昭和二十六年(1951)
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に
手を頬に話きゝをり目は百合に
虫の音に浮き沈みする庵かな
賽の目の仮の運命よ絵双六
昭和二十七年(1952)
志俳句にありて落第す
ひしひしと玻璃戸に火虫湖の家
金魚玉空しき後の月日かな
欠伸せる口中に入る秋の山
林檎一顆画伯描けば画伯のもの
草枯に真赤な汀子なりしかな
昭和二十八年(1953)
降つてゐるその春雨を感じをり
夏山の黒きところは落込める
二つある籐椅子に掛け替へても見
野分跡倒れし木々も皆仏
双六も市井雑事も同じこと
昭和二十九年(1954)
一匹の蠅一本の蠅叩
たとふれば真萩の露のそれなりし
短日のきしむ雨戸を引きにけり
羽子をつき手毬をついて恋をして
地球一万余回転冬日にこ/\
昭和三十年(1955)
苔の上落花しづまる一つ/\
美しき故不仕合せよき袷
大岩に根を下したる夏木かな
油虫聖賢の書に対すのみ
乱雑の中に秩序や去年今年
昭和三十一年(1956)
春の山歪つながらも円きかな
山やうやく左右に迫りて田植かな
蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな
粗末なる団扇の風を愛しけり
横雲の夕焼をして一二片
昭和三十二年(1957)
落椿紅白にして尽大地
線と丸電信棒と田植笠
夏草に埃の如き蝶の飛ぶ
夏山の姿正しき俳句かな
斯くの如く只ありて食ふ雑煮かな
昭和三十三年(1958)
門を出る人春光の包み去る
白波の一線となる時涼し
山寺の一現象の夕立かな
香水の香にも争ふ心あり
昭和三十四年(1959)
春泥の鏡の如く光りをり
春の山屍をうめて空しかり
この句集は、虚子本人が選をしていないので、今までの句集とは毛色は異なるかなと思ったのですが、高濱年尾と星野立子が、おそらく父ならこういう句を採るだろうという意向をかなり意識した選になっているなと感じました。いままでの4作に比べても、あまり差異がないなと。(それを選べる年尾と立子が凄いとも言う)
この句集には
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀
といった代表作が収められています。
感名句のうち、
地球一万余回転冬日にこ/\
この最後の「にこ/\」という言葉の斡旋が冬の日向ぼこを想像させて、意外性がありました。
たんぽぽくるくるとヤクルトのおばさん(波多野爽波)
ののほほんとした句もここからつながっているのかなと、すこしかんじたり。
また、
二つある籐椅子に掛け替へても見
については、避暑地にきたときのなんにもすることがない感じがとても良く現れていて、こちらも
どの部屋に行っても暇や夏休(西村麒麟)
を思わず思い出しました。こういうどうでもよいことを切り取る句は個人的には好きです(ただ似たようにやると、説明的になってしまうのでさじ加減が難しい。)
今回の「五句集を読む」を読みながら感じたのは、虚子は、俳句という形式を通して、写生や花鳥諷詠を念頭に置きながら、トップランナーとして、常に新しい表現を模索していたのではないかということでした。
ときには、うーんこれはどうなのという句も混ざることもたくさんあって、それもそういう記録として残していったのではないかと。全ての句において、註がついていることから、ひとつの歴史書のように読むこともできる句集になっていて、その時の虚子の心の揺れが残っているなと。
客観写生と花鳥諷詠を標榜しながら、その背景にあった歴史を無視することができなかった。むしろそういった背景に客観写生や花鳥諷詠が影響してくるのだ、ということも暗に示しているように思いました。