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【選手じゃない、審判の自分】 4年 谷田智紀
今回引退ブログを担当させていただきます、上尾南高校出身法学部4年谷田智紀と申します。最後までよろしくお願いします。
少しだけ自己紹介させてください。大学生活の内にJリーグ観戦にどっぷりハマってしまい、4年間の部活動の傍ら計70試合ぐらい現地観戦したと思います。特にオリジナル10の内の一つジェフユナイテッド市原・千葉のファンであり、J1よりJ2の方を愛する変わり者だと思っています。
好きな選手は小森飛絢選手です。彼をインカレの準決勝、決勝と観てこれは千葉のエースになってくれると思い始めてユニフォームを買いました。この勘が当たったのか、昨シーズンは13得点とベストイレブンを獲得。今シーズンは23得点で得点王、ベストイレブン、年間MVPまで受賞する選手となりました。右でも左でも頭でも得点する力があり、加えてチャンスメークも出来る万能型FWです。冬の移籍でJ1に行くのか、海外に行くのか、それともジェフに残るのか!!と毎日気になって仕方ない今日この頃です。
前置きが長くなりましたが本題に入ります。題名の通り審判の事を書きます。変わり者ですね笑。因みに好きな審判員は日本は佐藤隆治氏が好きです。海外だとダニエレ・オルサート氏が好きです。何故なら2人とも堂々としていてカッコいいからです。
この平成国際大学サッカー部には、選手での活動とは別にオフザピッチでは部局と言ってそれぞれ役割を持っています。そんな中私は審判局に所属をすることになったのですが、文字通り試合の審判を行う部局で、これがまた人気がありません笑。
活動頻度が多く、シーズン中は毎週末、シーズンオフでは連日笛を吹くことが多々ありました。(1度だけ午前中にIリーグの主審やった後に関東リーグ派遣に行ったこともあります笑)時には、試合前に主審として試合を捌いてから試合を行うこともありました。
ただ私はこの審判局を1番に選びました。理由は審判を務めた時に選手と一緒にゲームを作る楽しさがあったためです。遡れば中学時代、控えGKだったため基本的には試合に出ることはありませんでした。公式戦のスタメンは1回だけでその試合も1ー3で負けてしまいました笑。
なので必然的に出る確率が1番低い私がTMなどでは副審をやっていました。ただ当時の心境としては何故やらなければいけないのかって思うぐらいでした。これが私の原点になったと思っています。
高校時代は毎週末試合で夏休みはほぼ毎日試合をやっていた記憶があります。1年生が副審を出すというルールがあり、同級生は試合が始まる前に部室に戻ってしまう。けれど私は戻ることで怒られると思い、戻らなかったため必然的に副審を務めることとなりました。副審を務める数が増えれば必然的に少しずつですが上手くなっていき、リーグ戦や選手権でやることになりました。この時には、審判をやる事に対してあまり苦ではないなという感情になってました。最後の選手権で負けて引退をした後も、部活動には顔を出して今度は主審をやり始めました。やり初めた理由は、確か部活に恩があるから少しでも返そうそういう気持ちでした。
大学では一般入部生として入部しました。一般入部は皆んなよりも1ヶ月遅く入部をしたため、周りに輪ができてたりと今振り返ると正直気まずかったです笑。
無事入部も決まり部局を選ぶ時期になっていきました。他の人が部局をどれにしようか悩んでいた中迷わず審判局へ。理由は前に書いたことと誰にも言わなかったのですがもうTOPでやるのは無理だと思い、それなら審判でチームに貢献できればと思い選択しました。
ジャッジに関してもちろんピッチ内外で文句を言われることがありました。1,2年生の頃は1つ1つの事象に対して説明出来ず、無言で立ち去る(昔のJリーグの審判のように)ことがほとんどでした。このままではダメだと思い、沢山の数をこなし時にはカテゴリー問わずJリーグ観戦でも審判のプレーに注目することや、ジャッジリプレイを見て勉強をするなど、日頃から視野を広げることを意識しました。
それにより、3,4年生からはIリーグや新人戦を担当することになりより試合の価値が高いゲームを吹かせてもらいました。1つ1つ事象に対して丁寧に説明をすることができ(今のJリーグの審判のように)少しずつは良い審判になってきたと思っています。
また、昨年は2部を、今年から1部のは 関東リーグの審判派遣を担当させて頂き、プロ内定の選手とやれたことや、目の前で大学年代TOPの選手達のプレーを1番の特等席であるピッチの中で観れたことはとても印象に残っています。
そして今年からは部局長に選んで頂き、審判の割り当てを決めることや、後輩の育成にも努めてきました。周りから審判の割り当てで意見を言われることも多々ありましたが、少しでも納得してもらえるよう、こちらの事象も1つ1つ丁寧な立ち振る舞いが出来たと思います。この場を借りて、時に無茶なお願いにも協力してやってくれた審判局の皆様には感謝してます。
ありがとうございました。
審判をやったことによって1つのジャッジで試合ましてやサッカー人生が変わってしまうことによる責任感や、周りと協力をする大切さを学びました。時には、試合で判定に納得がいかずに不平不満が出ることもあると思いますが、審判をやっている人も日々全員が全力でやっています。私の好きな言葉である「WIN BY ALL!」のもとサッカーでは勿論勝ちに拘ることも大切ですが、フェアプレーに徹すると共に、誰にでもリスペクトを忘れずにしていただけたらと思います。
最後にこれまで関わってくださいました、これまで関わってくださいました小学校から大学までの指導者の方々、本当にありがとうございました。また一緒にサッカーをやってくれた先輩、同級生、後輩の皆様、こんな下手くそでしたが、一緒にやれて楽しかったです。本当に感謝しています。
両親には下手くそでどうしようもないやつでしたが18年というサッカー人生最後まで優しく見守ってくれたこと心からありがとうと言いたいです。これからは他のことで恩を返していきます。
最後まで拙い文章でしたが読んでくださりありがとうございました。