物価高の2025年。死に物狂いで働く意味はあるのか?お金について一緒に考えてみましょう。
お金ってなんでしょうか? あなたならなんと答えますか?
お金はお金だよ! 物やサービスを買うために必要なもの? そんなこと考えたこともない!
そうなのです。普段目にしているはずのお金について、私たちはよく理解せず向き合っているのが現状です。
お金とはなんなのでしょうか?
今一度考えてみましょう。
物や人を知るのに、過去を遡ることはとてもよいアプローチです。大好きなあの人のことを知りたいとなったら、好きな食べ物や色やアーティストなどを教えてもらうだけでは不十分でしょう。
その人がどのような人生を歩み、何を考え、苦悩してきたのか、過去にアプローチしたほうが,、よりその人のことを知れるでしょう。
お金のことが知りたいとなったら、お金の歴史を遡ってみるのが得策ですね。
お金が出来上がる以前の世界は、物々交換が主流だったと考えられています(諸説あります)。
例えば、自給自足の生活をしていて、お米が大量に余っていたとします。代わりに魚が欲しいとして、魚をたくさん持っている人に相談をしにいくわけです。
「私のお米とあなたのお魚を交換しませんか?」と。
「ちょうどお米切らしていたんだよね。是非交換しましょう」となれば、商談成立です。
しかし魚をたくさん持っている人が、その時お米を欲していなかった場合、商談は不成立になってしまいます。
他に魚をたくさん持っている人を探しても、お米を欲している人がなかなか見つからない。
この不便を解消したのが貨幣、つまりお金です。お金があれば、自分の好きなタイミングで魚を買うことができます。大量に余ったお米を売ってお金にし、そのお金をもとに不足している魚を買うこともできます。
なんと便利なツールなのでしょうか!
ミクロネシア連邦のヤップ島を例にとってみましょう。ヤップ島では石貨が流通していました(現在は米ドルを使用。1930年ごろまで製造されていた)。
ヤップ島でも、石貨が流通するまでは主に物々交換(諸説あり)が主流のようでしたが、限界を迎え、貨幣を導入しました。船に乗り、500キロも離れたパラオ島から巨石を運んで、それを貨幣としたのです。あまりの大きさから、船が沈没することもあったでしょう。
なぜ、わざわざ遠いところから、危険をおかしてまで、石貨を運んできたのでしょうか?
そもそも石に価値なんかありません。石以外にも、現在日本で使用されている紙幣や硬貨にも価値はありません。ただの硬貨、ただの紙幣です。それに価値があるという政府や日本銀行の虚構を信じて、価値を見出しているのはほかでもない私たちです。
ヤップ島の人々も同様に、価値のないものに価値があると信じ、石に命を吹き込んだ。
その思想は島全体に広がり1930年まで続いたわけですが、小さな島国とはいえ、それだけ強力な虚構を真実だと受け入れられた原動力はいったい何だったのでしょうか?
島民が信じていたのは、貨幣として扱われる石そのものの価値ではないと思うのです。ヤップ島の人々は、同じく島に住む仲間のことを腹の底から信じていたからこそ、貨幣システムが成り立ったのです。彼ら彼女らにとっては、同胞への信用、信頼にこそ、価値が宿っているのです。
その証拠に、ヤップ島では貨幣として使用している石貨をこう呼んでいます。
絆(きずな)
と。
私はこれを聞いたとき、涙が出そうになりました。貨幣は絆。今、私たちにその認識はあるでしょうか?
お金は物質的な豊かさの象徴として、多くの人が手にしたいと望んで止まない強大な力を保有しています。そんなお金に対して、嫌悪を抱いている人も大勢います。
「お金持ちはろくでもない」「あの人はきっと人を騙してお金持ちになったんだ」「お金持ちは卑怯者ばかりだ」。
多くのお金を所有したいと望んだばかりに、会社に捨て駒のように扱われ、精神をすり減らし、死を選択する人もいます。また貧困でお金がないからといって、同様に死を決断してしまう人もいます。
ヤップ島のような原初的な貨幣システムは、島内の商品流通に絶大な効果を発揮しました。しかしその貨幣システムには、限界があります。小さな島国で、互いが顔見知りの小さなコミュニティーであれば、信用や絆が大前提として据えられている貨幣システムはうまく機能するでしょう。
しかし、現代の日本など多くの国にとって、貨幣システムは多くの弊害を生みだしているのが実情です。
今やお金は、取って取られての、絆とは程遠いギスギスした汚いものになり果ててしまっているのです。
もしかすると貨幣システム自体が、無能な人間が作り出した不完全な代物だったのかもしれません。
日本を例にとって考えてみても、貨幣はあいまいで不確かで脆い存在です。皆さんが給料日に支給される一万円。これもただの紙切れにすぎません。日本銀行が「この紙切れには一万円の価値があります!」と、虚構を国民に信じ込ませることができたから、ただの紙切れに一万円の価値が吹き込まれたのです。
ところで、一万円一枚にかかる製造費をご存じでしょうか?
千円くらいでしょうか? それとも五百円? 百円くらいでしょうか?
まさかまさか、たったの17円で作ることができます。たったの17円です。実質的な一万円の価値はうまい棒一本とほぼ等価であるということになります。月収20万円の人が汗水流して働いていた得た価値は、たったの340円です。あなたは、たったの340円の価値を手にするために、大切な命を放棄しようと思いますか?
あなたの命はお金よりも重いです。あなたの命のほうが価値があります。お金はただのツールで、あなたの人生を奪い取るものでも、自由を制限するものでも、支配するものでもありません。
国や政府が作り出した幻想を妄信しないでください。
貨幣システムをカルト的に妄信していった先が、この現代の破綻を招いているといって過言ではありません。いえ、少し言いすぎました。ある一定のところまではよかったのです。貨幣システムによって効率的にやり取りができ、お金を生み出すために労働が生まれ、文明の発展に大きな影響を及ぼすことができたのですから。
しかし、我々人間は行き過ぎました。便利な世界を追求していった最果ては、不便で都合の悪い世界だったのです。誰がわるいというわけではないですが、人間皆が悪いともいえます。
お金に執着することをやめてみませんか?
所有することをやめてみませんか?
頑張りすぎることをやめてみませんか?
今一度立ち止まって、自分が生きている世界を見直してみませんか?
わたしたち個人個人が考え、行動し、今なにができるか行動にうつしたとき、世界がかわります。
あなたの価値はあなたが決めてください。
何にも左右されず、あなたが心からしたいことをしてください。