風呂ログのプロローグ(はじめましてのご挨拶)
ブログタイトル: 「羊のおふログ」の由来
羊と縁のある人生
小さいころから羊のような癖毛で、部活の先輩からつけられたあだ名は「めりーさん」。
癖毛の見た目と攻撃力のなさ、誰かに導かれればとりあえずついて行こうとするThe日本人な従順っぽさが、自他ともに認める「ひつじ感」につながっていたのだと思う。(ちなみに、今は縮毛矯正をかけたり成長とともに髪質が変わったりしたのでさほど癖毛ではない。)
そういえば、先日職場の方からいただいた本のタイトルは「マイペースのススメェー」。私のマイペースさを肯定するような言葉とともにプレゼントしてくださった。
「別に普段の仕事だとマイペースさは褒められたものではないくせに」
「職場でマイペースさが役に立った覚えはないけど」
贈り物をしていただいておきながらこんな黒いことを考えてしまう私は、人から思われているほど「白くてふわふわした羊」ではない。
それでも、まあ、羊のイメージは嫌いではないので、こうしてブログ名にも「羊」という動物を使ってしまう。
おふログ
最近行きたての1人旅行でお風呂の良さに気がつきはじめた。そこからお風呂きっかけの文章を書きたくなり、「おふログ」なるタイトルをつけてみた。
お風呂にまつわる文章を書くとはいえ、たとえば湯船の成分などの話になると難しくて疲れてしまうし、不勉強なまま文章を書くとボロが出そうだ。
こんな事情で、温泉や銭湯に行く前後の行動や感じたこと・考えたことを記録していく「お風呂ブログ、お風呂ログ」とすることを決めた。
マニアックかつストイックにお風呂に向き合っているわけではないので、そのうち「お風呂ブログ、お風呂ログ」というよりも、ただただ休日を書いていく「off ブログ、off ログ」になっていくかもしれない。
ともあれ、何か軸があった方が続けやすいと思うので、ひとまず、このブログは「お風呂ブログ、お風呂ログ」とする。
お風呂の好きなところ
私が考えるお風呂の良さはずばり、「必要性あっての1人遊び」であることだ。
面倒な女、私
突然だが、私は「マイペース」「気にしい」「コミュ障」が同居している、自分でも取り扱いが難しい性格をしている。
不本意なマイペース
さきほどの「マイペース本」をいただいたときに黒い感情を抱いてしまったことにもつながるのだが、私は自分自身のことを「意図的なマイペース」というよりかは、「不本意なマイペース」であると考えている。
「意図的なマイペース」「不本意なマイペース」は私個人が勝手に作った定義なので、少し説明する。
前者は自分のなかの調和を保つことを優先した末の「戦略的マイペース」であり、
後者は何をやるにしても要領が悪いため「自分としての全力疾走」が他人よりも遅く、その結果、客観的に見ると「自分のペースを守っている」と見られてしまう「悔しい結果としてのマイペース」である。
ここまで読んでくださった方のなかには、
ときに他人に迷惑をかけている自分の特性について、こんな能書きを垂れているから「マイペース」なのだ
と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
そうであっても、「周りのスピードについて行こう!」と頑張っているところを「自分のペースに固執している」というような見方・言われ方をすると、こうして屁理屈を述べたくなったりするものなのだ。
やっかいな「気にしい」
「マイペース」ならそれを貫けば楽なのだろうが、私は、他人が自分についてどう感じるかを気にし、何でも他人と比較してしまう「気にしい」でもある。
悲しいコミュ障
私は、初対面の人と話すことや人前で話すことが苦手なコミュ障だ。
良い出会いに恵まれているという運の良さがあってこそだが、狭い人間案系を他の人よりちょっぴり長持ちさせながら日々を生きているように思う。
コミュ障ならコミュ障なりに、狭い人間関係のなかで穏やかに暮らしていけば良い。しかし、コミュ障の性分に反して多くの人と関わりたい気持ちを捨てきれていないのも、私の面倒なところの1つである。
戦略的1人遊び「お風呂」
あまりにも面倒すぎる性格の私が、心置きなく肯定しながらできる1人遊びが「お風呂」なのだ。
1人で比較的どうとでも過ごせる人間で、食事はもちろん、アイドルのコンサート、旅行も抵抗なく行ける。昨年は少し国境を越えて台湾に行った。
1人遊びは「マイペースな私」にとっては理にかなった行動だ。事前の計画が甘くても、何かに出遅れても、その責任は100%自分で取れる。失敗しても誰も不機嫌にならない。
ただし、「やっかいな気にしい」「悲しいコミュ障」でもある私には
「(他の人だったら上手くやるのに、私だから)人と交われなかったなれの果て」
に思えてしまうときがある。
思い返せば、私がこれまでしてきた1人遊びには「人と時間を共有することで別の豊かさが生まれる種類の娯楽」が多かった。
食事は他の人と同じ卓で語りながら摂ることで豊かになる。
アイドルのコンサートは同じ趣味を持った知人と行くからはしゃげる。
旅行は仲間と行くから単なる待機や移動の時間が「思い出」になる。
遊びの途中にふと自分を顧みて、周りと比べて「不本意なマイペース」「悲しいコミュ障」のコンプレックスが刺激されてしまっていたのだ。
お風呂は「戦略的1人遊び」と呼ぶにふさわしい娯楽である。
私は温水と冷水に交互に入るのが好きなのだが、この入浴方法は頻繁に浴槽を行き来する。
たとえば私が知人とこの入浴方法を行うとしたら、私は行き来の度に知人の様子を伺ってしまうだろう。
反対に、1人の入浴時間は気ままに過ごすことができる。
温水のなかで「うーん、もう少し熱くなってから冷水に入ろうかしら。でもそんな頑張らなくてもよいかなぁ」と湯船を出ることも、冷水に「ウッ、冷たい!」と縮こまって、玄人のヨガのごとくゆっくりとした動作で少しずつ身体を浸していくことも、完全に自由なのだ。
この「1人ゆえの自由」がもたらす快楽は何ものにも代えられない。
私にとってお風呂は1人の方が気持ち良さが勝るため、心置きなく肯定しながらできる1人遊びなのだ。
今後やってみたいこと
今後やってみたいことの筆頭は「色々なお風呂に行ってみること」だ。
日本各地に温泉地は色々あるし、どうやら都内には多数の銭湯があるようだ。それらを色々と開拓していきたい。
あわよくば、汗を流してデトックスした先で何か吸収することがあれば良いな、と虫が良すぎる妄想によだれを垂らしている私が、いま、ここにいる。
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