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私が羊飼いではなく"飼育員"を名乗る訳
今日は、飼育員と羊飼いの違いについて、私なりの考えをお話ししたいと思います。
飼育員と羊飼いの役割の違い
私は活動する媒体によって、自分の肩書きを変えています。時には「羊飼いの丸岡」と名乗り、時には「飼育員の丸岡」と名乗ります。一見どちらでも良いように思えるかもしれませんが、私の中では明確な線引きがあります。
端的に言えば、飼育員は「羊を展示しながら羊を伝えていく人」。羊飼いは「羊を生産しながら羊を届けていく人」です。
羊飼いはお肉や羊毛といった形で羊を届け、私たちの生活を支えるために羊を生産しています。しかし、羊飼いは牧場内に人を招き入れることが難しく、衛生管理の面などで部外者は基本的に立ち入りを禁止しています。そのため、生産者と消費者との間には大きな溝が生まれているのが現状です。
その溝に"橋"を掛けるのが飼育員の役割です。「私は動物のことを伝える飼育員になりたい。人と動物の架け橋になるのが私の夢です。」そう自らも口にしている飼育員も多くいます。
なので羊飼いの方も、動物園で羊を育てている飼育員を羊飼いとは呼びません。それぞれには役割があり、羊飼いと羊の飼育員は別の存在であるという認識です。
私の場合、両方の役割を行き来しているので、時々混乱することもあります。羊を展示して伝える一方で、生産して届けるという活動もしているからです。
現代の飼育員の問題点
ここで、現代の飼育員の問題点について触れたいと思います。飼育員の在り方が多様化している中で、本来の目的を見失っているケースが多いように感じます。
動物園の存在意義として、種の保存、教育、研究、娯楽といった役割があります。しかし、最近は情報の発信が容易になり、様々なコンテンツで溢れる時代になりました。飼育員の方々も普通の発信では情報が届きにくいため、たくさんの方に興味関心を持ってもらえるような、娯楽やエンターテイメント要素を強く盛り込んだ内容を発信する傾向にあります。
いわゆる目を引く様な"バズる動画"に意識が向いてしまい、本来伝えるべき内容は二の次になっているのです。
羊飼いの方々は一生懸命羊を育て、羊からの命(恵み)を届けてくれていますが、飼育員が伝えているのは命の大切さや尊さ、そして可愛さです。
中には、”私たちは生産者ではないから関係がない”と捉えている飼育員もいます。#むしろそっちの方が今は多いかもしれない
家畜ではなく、触れ合い用の動物としてしか見ていない飼育員が発信する内容は、情報量が弱く、消費者には響いていません。
例えば、「この羊は羊毛用のコリデール種です」「この羊はお肉用のサフォーク種です」といった説明看板を書いいる園をよく見かけますが、お客さんは「へー」と思うだけで、そこから先は何も生まれていません。
本来あるべき飼育員の姿
私が目指す飼育員の姿は、人と動物を繋ぐ本来の役割を果たすことです。そのためには、まず自分自身が羊のことをよく知り、羊の生産物を実際に使う必要があります。
例えば、羊を育てている人がウールを着たことがない、普段からウールを身に着けていないというのでは、何を伝えられるでしょうか。私が他の施設の飼育員の前で、羊から毛をもらって糸に紡いで見せただけで、彼らは目を丸くします。自分が育てている羊から糸が作れることを、そこで”初めて知る”のです。
問題は、多くの飼育員が”動物”しか見ていないことです。動物の体重や健康チェック、爪が伸びていないかなど、そういった点ばかりに目が行きがちです。「暑くなる前に毛刈りをしました!」「赤ちゃんが生まれました!」「今日もみんな元気です!」これも大事な情報です。しかし、そこに集まったお客さんへ”何を伝えたいのか”、という視点が欠けているのです。
このような状況を変えるためには、ひとりでも多くの飼育員に知ってもらう必要があります。私は自分が理想とする「飼育員」を名乗ることで、少しでも周りに影響を与えられるのではないかと考えています。私の様な飼育員になりたいと思う人が出てくれば、それはとても嬉しいことです。
「私は動物のことを伝える飼育員になりたい。人と動物の架け橋になるのが私の夢です。」そう思うのであれば、ぜひ羊の世界を覗いてみてください。きっとたくさんの気付きが得られると思います。私がそうだったように。