見出し画像

日々の記録:回顧録(3)

 2020年4月世の中がウイルスで騒いでいる中でも新年度は問題なくやってきた。
私は異動となり忙しい日々を送っていた、一緒に異動となったのは障害を持った方。専任のサポート役ですか?などともともといたパートのような人に言われる始末。
 まあ、それはいい。私もその人も正規だし、障害を持っていても先輩なのでサポートはするつもりだ。自分なりに奮起して頑張っていたが、約1ヶ月後自分の想いはあっけなく砕かれる。
 上司から、先輩が自信を無くしたから自信を持たせてやれと。
 ?どういうことでしょう?いろいろサポートして、あれはできない、これはできないと言うから色々こちらも頑張っているのですが?
 そういう気持ちもありながら、長年やってきたパートさんと相談して先輩が自信を持つにはどうしたらいいか考えた。しかし、その中でその他のパートさんの不満は増えてどうにかして自分が頑張って調整したりしていたが何ヶ月か経ったら、頼りにしていた方もやめると言いはじめこれでは行けないと、上司に話してもうまく誤魔化されてきたので、その上の方に相談した。
 相談後、状況は好転しそうだった、大変だが協力してやりましょうという流れになっていたが、今までなんの手立ても打たなかった上司が、自分を通さず上に相談したことで私を責め立てた。私は状況を改善するために行動していたが、現場の苦労も知ろうとしない上司に弾圧され、働いている意味がわからなくなり、それまでもコロナ対応などがあり心身ともにつかれ体も動かなくなった。
 今も、この大変な中働いている多くの方々はすごい。
 最後にはみんな、自分のことばかりで仕事に関わる多くの人やその先を考えない人ばかりだった。わたしは、そんな中で自分だけ周りを考えて行動する必要なんかないと想い職を辞した。
 この間に病院で、適応障害と診断されたわけだが、実際もっと前から体調は悪かったしそう簡単に、はい、と良くなるわけでもない。
 日によっての体調や気分に悩まされて、1ヶ月以上憂鬱な時もある。
 状態が悪化する前に、気軽に心療内科には行った方が良いと今は思う。こうなってからでは遅い。回復するのにも時間がかかってしまう。
 休職という道も提示されたが正直また同じところに戻るイメージが出来なかった。程度が軽ければそういう道も選択できたのかもしれない。

 今少しでも、心に曇りがあって誰にも相談できない、フリーダイヤルでとかいうのもあるが、私は周りの目など気にずメンタルクリニックや心療内科に行くことをすすめたい。
 中には、色々な先生がいて自分を否定する人もいるそうなので、口コミは要チェックで。

大雑把に、経緯を書かせていただいた適応障害でやめるまでの回顧録はこれで終了とさせていただく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?