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大学3年生でうつ病になった話。
うつ病というと、みなさんはどんなイメージを持つでしょうか。
「よく耳にする言葉、でも自分には関係がないこと」?
私もそう思っていました。
ここでは、普通の大学生だった私がうつ病になり休養に入るまでの過程を振り返ってみようと思います。
私の体験談が、誰かが辛い状況になることを防ぐストッパーになったらいいな、という想いで書いてみます。
思えば19歳の時から調子が悪かった
大学進学と同時に東京に上京し、1人暮らしを始めていた私。
大学1年生のころは、ダンス部とダンスサークルの2つを掛け持ちし、学祭に向けて毎日練習ばかりしていました。
ダンス部の練習では「深夜練」といって、深夜0時〜朝6時ごろまで練習を行うことが普通にあり、学祭に向けて(部活・サークル合わせて)10チームに所属していた私は、10チーム分の深夜練をこなしていました。
元々夜型、かつダンスが大好きだった私は深夜練を比較的楽しくこなしていたが、練習から帰宅するとヘトヘトで授業にも出られず、そのまま寝てしまうので、あっという間に昼夜逆転してしまいました。
元々自己管理の苦手な私。1人暮らしで「ちゃんとしなさい」と尻を叩いてくれるひともいない。
そんな私は、昼夜逆転生活から脱せなくなってしまったのです。
朝早くても10時、普通に起きると昼の12時、寝るのは深夜3時過ぎ。
当然、授業にも支障が出ます。
それではまずいと思い、部活をやめ、サークル活動をセーブしました。
でも、自己管理の甘い私は、昼夜逆転生活を止めることができませんでした。
この頃にはすでに、私が病気になるきっかけとなった生活の土台ができていたのかもしれません。
「夜眠れない」が続いた3年間
まず、ここでひとつ話しておかねばならないのは、部活・サークルや深夜練が悪いわけではないということです。
ダンス部員でも、深夜練をこなしていても、きちんと生活したり、しっかり授業に出ている素晴らしい方はたくさんいます。
私が眠れなくなったのは、ひとえに自己管理不足のせいでした。
そんなこんなで、私は「夜眠れない」状態が続いてしまうようになりました。
夜眠れない
深夜まで起きる
明け方にやっと寝る
昼過ぎにしか起きれない
この最悪なループの繰り返しです。
1限に必須の授業があった日は、そのまま寝ずに受けて、午後の授業をサボって寝る…なんてこともありました。
この生活は、うつ病になって倒れるまで続きます。
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ごまかして生きていた、罪悪感だらけの日々
こんな生活をしていることを、私は親にも友達にも知られたくなくて、誰にも相談できずにいました。
当時は、眠れないことと合わせて、自分の顔や身体(スタイル)がコンプレックスで、周りに言いたくない・見せたくないことだらけ。
大学2年生からは、友達とも最小限しか付き合わず、とにかく人目や関わりを避けて避けて…の日々でした。
そんな私の生活は「罪悪感」だらけの毎日。
例えば、続けていたダンスサークルの活動でも、夜眠れないことで体調を崩し、何度もお休みをいただいてしまったことがありました。
また、就職活動を始めてからは、オンラインで就活仲間と活動報告をしあっていたのですが、そこで「はるちゃんは一生懸命頑張っててすごい!」といってもらうたび、
「実は、夜になんとか起きて活動しているだけなのにな……」とものすごい罪悪感に苛まれていました。
それは、私個人が授業に出られなくて成績を落とすことよりも、誰かを裏切っているようで、ショックでした。
「こんな生き方でいいのだろうか?」
自分の自堕落な生活に本気で危機意識を持ち始めたのは、この頃でした。
インターンでボロボロになっていく心と身体
2020年、21歳、大学を休学してずっとやりたかったインターンを始めました。
仕事の内容はとても楽しく、勉強させていただくことばかりのチャレンジングな環境で楽しかったのですが、唯一の難点がありました。
それは、昼夜逆転をしている人間が毎朝8時に起きなければならなかったこと。(今思えば朝ゆっくりなほうですよね……当時の私には最難関のハードルでした。)
それでも、身体に鞭打って「これは生活を矯正するチャンスだ」と思って頑張って毎日通いました。
インターンをしていて辛かったことを挙げるなら、朝の早起きの他に2つあります。
12時間労働(朝10時にきて、夜23時にかえる。昼休憩35分のみ。)
隔離生活(コロナウイルスの緊急事態宣言中で、家族にも友達にも会えない。)
何度も言いますが、仕事自体はとてもとても楽しかったのです。
でも、気を許せる人とは誰とも会えず、家とオフィスを往復するだけの生活が辛くて、とても辛くて。
毎日の帰り道、オフィスから駅までの12分間、親に電話するたび泣きそうになりながら我慢していたのを思い出します。
気づいたら、「私、なんのために生きてるんだろう?」と思うようになっていました。
でも、そう思ってしまう自分に戸惑い、本音のうちは誰にも相談できずにいました。
ついにおかしくなった、その時
ついに心と身体がおかしくなってしまったのは、インターンを初めて5ヶ月目。
ちょうど、正月休み(1月1日〜3日の3日間)が明けた、2021年最初の出勤日、1月4日でした。
先輩から本当に些細な指摘を受けただけで、自分を猛烈に否定されているような気分になり、涙が止まらなくなってしまったのです。
最初は「生理前でおかしくなっているのかな…」と思い、その日は早めに帰していただき、産婦人科で検査を受けました。
しかし、次の日も、「先輩が私をすごく嫌っている」という今までになかった思い込みが激しさを増し、社長からの業務上の指摘も、いつもなら「なるほど」と聞けるはずが何故か素直に受け入れられず、また大泣きして涙が止まらなくしまったのです。
そのまま社長面談に突入し、「なぜか急に、先輩が自分を嫌っているように感じ始めて戸惑っていること」「社長からの指摘がなぜか自分を全否定されているように感じてしまうこと」「自分でもおかしいと感じていて病院に行ったこと」を、嗚咽で喋れなくなりながらなんとか伝えました。
その日はそのまま定時になり、19時で帰してもらえたのですが、帰りの電車に乗っている1時間ものあいだ、涙がぼろぼろ、ぼろぼろと止まらず、嗚咽すら出てしまうような状態でした。
傍目から見たら、完全に変な人だったと思います。
そのまま、3日間ほど休みをいただきましたが、その時自分が何をしていたは全く覚えていません。
ただ、休みが明けて会社に復帰することになったものの、今度はなぜか電車に乗れなくなってしまい、なんとかオフィスの近くまでたどりついてもそこから足が動かないということが起こりました。
これはダメだと思って会社の近くに宿を借り、そこからすぐに行けるようにしたのですが、やっぱり会社に向かおうとすると吐き気がするのか寒気がするのか、何なのかわからない衝動が生まれてどうしようもできず、やっぱりお休みをいただくことに……。
私から無理を言ってお願いをして、また5日間のお休みをいただくことになりました。
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母親との因縁
私にとって、うつ病の話をする上で欠かせないのは、母の存在です。
私の母は、私が小学校3年生のときからうつ病を患っていました。
それも、大鬱病と呼ばれる、うつ病の中でも重い病気です。
私は、うつ病の母が大嫌いでした。
なぜなら、私と話をしてくれないから。
病気の母は、ずっと寝たきりでした。お母さんと話したいのに、話せない。
それがまだ9歳だった私にとっては辛いものでした。
寝たきりの数年が終わったあとも、母は他の人といるときに無理して気力を使うせいで、家に帰ってきてからは寝てしまって私とは話をしてくれませんでした。
そして、話をすれば「あなたはもっと〇〇したほうがいい」とダメ出しをされる始末。
母との関係については、またゆっくり整理しようと思いますが、
私はとにかくうつ病の母が大嫌いで、「うつ病」も大嫌いだと思っていました。
うちは、はっきりいって母親との関係は最悪な家庭でした。
大嫌いな「うつ病」に自分がなってしまったショックと安心感
ふとした時に涙が出て、わけもなく止まらない状況は、その後も続いていました。気づいたら部屋で一人で泣いていたことだけは、よく覚えています。
社長に「精神科(心療内科)にいきます」と報告し、やっと予約が取れた病院にいきました。
そこでは、ありのままにずっと夜眠れない状況が続いていること、最近になって急に涙が出たり、些細なことで人から否定される気持ちになることなどを話したのですが、話しているうちにまた涙が止まらなくなり、嗚咽しながら話をしました。
先生からは「うつ病ですね」との言葉。
耳を疑いました。
私の中でのうつ病は、母のような病気をさしていると思ったからです。
ですが、うつ病にはざっくり「大鬱病」と「小鬱病」というものがあり、母は大鬱病、私は小鬱病の分類であるということをあとで勉強して知りました。
私は、大嫌いな母と同じ、大嫌いなうつ病になってしまったことが、本当に本当にショックでした。
でも、これは病気なんだと気づけたこと、「何なんだこれは?」と思っていた私の状態を具体的な言葉で定義してもらえたことは、少しの安心感をもたらしてくれたことも事実でした。
両親には電話できず、おじいちゃんにだけ、駅のホームで電話で泣きながら報告したことを覚えています。
おじいちゃんは泣きながら「帰ってきなさい」といってくれました。
その後、おじいちゃんづてに私の病気を知った母とは一悶着ありましたが、ひとまずインターンを辞めて、実家のある田舎に帰ることが決まりました。
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次回に続く
お父さんが田舎から車で迎えにきてくれて、半ば無理やり実家に帰り、療養をすることになるのですが……
長くなるので、今回はこの辺でおわりにしようと思います。
読んでくださった方で、自分の心身に不安を感じている方、
私の記事を読んで少しでも「自分にも当てはまる」と思うところがあった方、
焦らず、まずはゆっくり休んでください。
そして、できるのであれば、誰かにその状況を相談してみてください。
病院の先生でも、家族でも、友達でも、パートナーでも、誰でも大丈夫です。
私もひとりで抱え込まなかったらここまでにならなかったのでは…と思うことがあります。
専門的な知識で助けることはできないけど、体験談を発信することで、だれかが大きな危機に陥ることを防ぐストッパーになればいいなと思います。
まずは、休んでくださいね。
何よりあなたの体と心が大切です。
誰かの助けに少しでもなることを願って。
はる