村上春樹アンチ

 私は村上春樹のアンチとして生きていこうと思った日のことを今でも覚えている。それは中学生の頃、数学の教師が村上春樹のことを非難する文脈で取り上げたときだ。
 その時私は村上春樹のことをよく知らず、そしてその話に同調する周りも当の教師もそこまで村上春樹のことを読んでいなかったと言っていた。
 その時私は思った。きちんと村上春樹の本を読んでいき、正しいアンチとして村上春樹の批判をできる人間になろうと。
 そこから私と村上春樹の関係は始まった。少ない小遣いで片っ端から村上春樹の本を買い、あるいは図書館で村上春樹全集(時代別にまとめられているものが当時出ていた)を読み漁り、村上春樹の翻訳ライブラリーもかなり読んだ。
 読んでいない村上春樹の文章は(当時は)ほぼなく、私は落ち着いた気持ちで村上春樹のことを批判できるだろうという安心感のもと彼の新刊を待ちわびるようになっていった。
 例えば村上春樹がなぜノーベル賞を取れないかについて私はその理由をくどくど述べることができる。村上春樹作品に出てくるサンドイッチの美味しさの分岐点についても存分に語ることができる。
そのことは今後書くかもしれない。ジョンアービングの熊を放つとねじまき鳥クロニクルの関係性。彼の性的描写の問題性。私はアンチであるからいくらでもそこここを叩くことができる。
 アンチになろうと決心してから十数年経つがいまだに彼の新刊は出ている。アンチとしてこれはとても喜ばしいことだ。今後私は村上春樹アンチとして様々な雑文を書いていこうかなというこれはそんな所信表明の記事である。

ちなみに私の村上春樹作品のおすすめはカンガルー日和である。

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