星屑テレパス3巻36pの雷門瞬にひどく共感した話

 こんにちは。氷凍こおりです。星屑テレパス3巻36pにすごく好きなコマがあるので、そのコマについて思ったことを書こう、という記事になります。アニメだと10, 11話の範囲ですかね……?

 さて、好きなコマを丸々載せるわけには行かないのでだいたいどういうコマだったかの概念だけ載せます。

 私はこのコマにたいへんに共感してしまいました。共感した理由について、準備をしたのち書いていこうと思います。

星屑テレパスアニメ化範囲は「居場所」の話

 星屑テレパスのテーマとして、「居場所」があると思います。小ノ星海果が宇宙を目指したのは、地球に見出だせなかった居場所を宇宙で見つけるためでした。そこから出会いを重ねていき、ロケット研究同好会という居場所を創り上げました。そしてそのロケット研究同好会は、雷門瞬にとっても唯一とでも言うべき居場所でした。

 「居場所」についてもう少し深堀りします。1,2巻の時点で、小ノ星海果にとっての居場所と、雷門瞬にとっての居場所は違うもののように私は感じています。

 この二人にとっての居場所が「私の存在を受け入れてくれる場所」であることには変わりないと思うのですが、小ノ星海果にとっては「こんな私でも受け入れてもらえる場所」、雷門瞬にとっては「私を必要として受け入れてもらえる場所」なのだと思います。

モデルロケット選手権での敗北

 ロケット研究同好会はモデルロケット選手権の予選に参加しますが、予選を勝ち抜くことはできませんでした。失意のままその場を去ろうとする雷門瞬の腕を宝木遥乃が掴みますが、次のようなことを言ってその腕を振り払います。

「……お前は良いだろ …勝っても負けても…同じなんだから…」
「この同好会じゃなくても!どこの誰といようが!」
「お前にとっては!全部同じことだろうが!」
「私には… ここしかなかったんだ…」

 前述した通りに、雷門瞬にとっての居場所が「私を必要として受け入れてもらえる場所」として考えると、「私には… ここしかなかったんだ…」の意味がよりはっきりすると思います。

 雷門瞬は興味がないことに手を伸ばさない性格です。趣味のロボット製作に心血を注ぎ、それ以外のことは蔑ろ、また犠牲にして生きてきたことでしょう。人付き合いもせず研鑽を重ねてきたことについての矜持もあると思います。

 他人と交わることも、興味を持つこともなく過ごしてきた雷門瞬にとって、人付き合いとは「価値の提供」に他ならないものだったのではないでしょうか。雷門瞬は1巻で、小ノ星海果から申し込まれたペットボトルロケット対決に使うロケットを作成しながら次のように言っています。

「興味のないことはする必要が無いんだ それは向こうだって同じ…」
「ただ、ロケット作りに私の技術が必要ってだけ」
「……そうだ お互いに興味がないならそれで終わり いいじゃねえかそれで」

 雷門瞬はあくまで自分の技術が目的で接触してきたのだと断定しています。他人に興味を持つ、また自分に興味を持つ人間が現れる、という実感が無かったのだと思います。

 使い分けがなされていると思われる表現について補足します。「興味」とありますが、ここでの「興味」が指しているものは「交友」や「好意的な接触」に他ならないと思います。技術が必要、というのは交友関係を築きたいというものではありませんので、「ただ、ロケット作りに私の技術が必要ってだけ」に含まれる 必要 というのは「興味」に含まれません。

 ペットボトルロケット対決の末、小ノ星海果から伝えられた言葉は「雷門瞬への興味」でした。戸惑いはありましたが、雷門瞬は小ノ星海果たちのロケット作りに参加することになりました。

 そこからロケット研究同好会の始動となりましたが、雷門瞬はその関係が「興味(=交友)」によるものであることを信じきれていなかったのだと思います。雷門瞬にとっての新たな居場所は、「技術面での価値提供」が受け入れられるための条件だと、雷門瞬は考えていたと思います。

 ロケット研究同好会メンバーからの「興味」を完全に無視していたわけではないと思いますが、モデルロケット選手権の予選敗退は技術担当として価値を提供することができなかった、ということに他なりません。あくまで技術が自分の価値だと考えていた雷門瞬にとってこの敗北は、まさに存在価値の否定でした。「私には… ここしかなかったんだ…」というのは、役立てないのなら、ここにいられるはずもない という意味で解釈するのが自然に思います。


本題(スーパー自分語りゾーン)

 ようやく本題に入ります。再度貼付しましたこのコマは予選敗退後に、雷門家に訪ねて来た宝木遥乃がゴーグルを奪い去った後の独り言になります。

 ここまでの内容からこのコマを見ると、雷門瞬は技術を提供することでしか存在価値が無いのに負けてしまった。それまで他の事には目を向けず打ち込んでいたロボット製作で培った技術が役に立たず、失意の底に沈んでいるシーンということになります。

 私はこのコマで「うわ~~~~~~!!!!!!!!!!そんなセリフを書けてしまうのか!!!!!!!!」と思いました。これは興味や目的のために様々なものを犠牲にしてきた人間の心理そのものだ!!!と思いました。ここで雷門瞬さんへの解釈が急に湧き上がってきたんですよね。「これ、アタシだ……」 って感じです。

 私は小6くらいからゲーム制作に興味を持ち、プログラミングなどが必要ないツールなどでゲーム制作を行っていました。

 自分でドット絵を描いてみたり、フリーの音楽素材をたくさん聞いて選んでみたり、バグを直したりと、興味のあることについてどんどんのめり込んでいきました。そして…… これを作るためにはこれを学ぶ必要があって…… というように、とにかく実現させたいことがあると時間がかかります。そうなると、どんどん自分の時間がゲーム制作に消費されていって、友達とお祭りに行ったりとかそういうのが、「ゲーム制作に使える時間が減るな……」となっていって、視界から消えていってしまうんですよね。人付き合いとか、そういう人生の要素が邪魔になっていきます。

 ということで、結果的に興味のあること以外が犠牲になっていくのですが、こうなるとどんどん追い詰められてしまいます。一度逃げたことからは、もう一度向き合わない限りずっと逃げ続けることになります。しかし逃げた分、つまり普通の人間が成長していく過程で得る経験を得なかった分、ゲーム制作の技術を得ていきました。すると、もう立派な人間としての価値は諦めて、自分の価値を「逃げた代わりに得たものを掲げる」ことでしか認められなくなっていきました。

 ゲーム制作をする過程で数学に強く興味を持ち、最終的には大学で数学を学ぶために受験勉強モードに切り替えた私は、数学が自分の唯一の価値だとしてそれなりに楽しく受験勉強をしていったのですが、模試でたびたびA判定を取っていた第一志望に落ちました。しかも数学でやらかしてます(ヒエ~)そしてこのときの苦しみに苦しんだことを今でも強く覚えています。

 ここで苦しんだのは、頑張りが報われなかったということよりはむしろ、様々なことを犠牲にしてまで築いたものが通用しなかったことで、自分の存在価値が何も無いように感じたことが大きかったように思います。

 そして大学(浪人はしませんでした)で数学を、またもや興味に任せて犠牲を生みながら学んでいったわけなのですが、大学で友人を作るときも、数学の話ができることをバリューにしていたこともありましたし、とにかく自分が研鑽してきたものを使ってでしか交友関係を築こうとしない、という所まで行ってました。

(この辺は1年のとき「ゆるゆり」を視聴したことで変わっていけたので良かったです。ゆるゆり、そして歳納京子さん。人間の存在価値について教えてくれて本当にありがとう)

まとめと大熊らすこ先生についての考察?


 さて、長らく自分語りを続けていた訳ですが、まとめると「自分の興味のある方向に向かって研鑽を重ねていったら私生活が犠牲になっていった。そして自分の価値を、研鑽で身につけたものを提供することでしか感じられなくなっていった」ということです。

 こういうこともあり、このコマにものすご~~~~~~~~~~く共感したということになります。星屑テレパスで印象に残ってるシーンを挙げてくれと言われれば3つ目くらいにこのコマを挙げると思います(1つ目じゃないんかい)

 そして大熊らすこ先生が大学院卒であることを知って「あ~~」となりました。謎の納得感を感じました。(私は院進から逃げました)

 更にです。ハッピーセピア 大熊らすこ短編集 の発売を期にハッピーセピアを読んだら、それまで学校の先生になるために様々なことを犠牲に努力してきた砂守みなみさんが教員採用試験に落ちるところからスタートして、「う、うわあああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」になりました。最初のカラーページで泣いちゃった漫画は初めてでしたね。ハッピーセピア、大好きです…………………………………………

 大熊らすこ先生、青春を犠牲にして興味に突き進んでいった人間への解像度がちょっと高すぎないですかね。大熊らすこ先生もそうだったのかなぁ……… などと思ってしまいました。

 さて、書きたいことはだいたい書き終わりましたのでここで終わろうと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました………




あああああああああああああハッピーセピアの続きが読みてえよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお




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