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小説「遊のガサガサ冒険記」その16

 その16、
「遊、どうした?黙りこくって。待ちくたびれたか。もう少しの辛抱じゃ。今に雷鷲がきっと吉報を運んでくる」
「いや、そうじゃないんだ、亀吉。ニホンオオカミのケンのことを思い出しちゃって。池にはまって、あの後、猟師に打ち殺されたんだろう。何か切なくて、悲しくて」
「気持ちは分かる。ニホンオオカミが地上から消えたってことだからのう。だが、喜んでおるのもいるぞ」
「人間ってこと」
「一番はシカやイノシシじゃろう、天敵がいなくなったんだから日本中で激増しておる。お陰で植林したヒノキやスギは食われる、農作物は荒らされる、その上、人里に山ヒルを持ち込んで、人間様には厄介な事態じゃが」
「巡り巡ってってことだよね」
「そう、因果応報じゃな」
 ーー一つの生き物が絶滅すると予想もつかないような結果をもたらす
 渡良瀬川で出会った謎の老人の警告を、遊は思い出した。人間が蜂を駆除したらガガンボが急増し、ガガンボの幼虫がクリケット場の芝生を食い荒らした話を引き合いに。緊密に関わり合っている生態系が崩れると、思わぬ余波を巻き起こす。人類、地球を支える柱はまだ何本残っているのだろう。
「この調査って、いろいろ考えさせるね。勉強にはなるけど、僕ら人間、全ての生き物の行く末を考えると、正直、暗くなっちゃって。今度もまた、人間に追い詰められて、絶滅の縁にいる悲しい身の上話を聞かなくちゃならない。ちょっと辛いなあ」
「わしもじゃよ。他人事でないからのう、ニホンイシガメも。だがな、遊ら人間が悲観するのは自分勝手というもんじゃ。人間がしでかしたんじゃから、人間がどうにかできるんじゃろうし、人間の責任でどうにかせにゃならん。遊が我々生き物の行く末を憂い、生態系を守ろうと立ち上がったから、磨墨も雷鷲も疾風も、そしてこのわしも協力しようと、こうして遊の供をしとるんじゃ」
 亀吉に言われた通り、弱音を吐ける立場ではない。どんなに悲しい話にも耳を傾け、聞くに堪えない辛辣な批判、暴言も、遊は甘んじて受けなければならない。
 ーー嫌で大変で悪いことって逃げても逃げても追っかけてくるでしょ、解決しないと
華のしかめっ面が瞼に浮かぶ。怯んでいては、いじめにだって打ち勝てない。
「亀吉、ごめん。もう泣き言は言わないし、一生懸命、頑張るから、これからも力を貸して」
 亀吉は了解したように、瞬きした。
 遊らEW調査隊は長崎県の対馬島にやって来ている。第2弾の調査対象はキタタキ。遊と亀吉は対馬島の北、上島かみじま御岳みたけの最高峰、雄岳おだけ山頂近くで雷鷲の報告を待っている。
 キタタキは大型のキツツキの仲間で、体長40センチを超える。黒い羽毛、下腹部は白く、オスの頭頂は赤いのが特徴。日本では対馬のみに生息していた。中国、朝鮮などにも生息し、太古の昔、大陸と陸続きだったことをしのばせる。
 約100年前の大正9(1920)年、御岳近く目保呂地区で、雄雌2羽が採集されたのを最後に姿を消している。当時の記録では、生息地は既に御岳と下島の白嶽しらたけに限定されていたらしい。遊ら調査隊はその前年の10月にタイムスリップし、まず白嶽周辺を調査したが、姿も鳴き声も全く確認できず、本命の御岳に調査活動の場を移している。
「確か、明治じゃったのう。キタタキが広く知られたのは」
「英国人が明治12(1879)年、雌1羽を捕らえて以来、日本の研究者も調査するようになり、広く知られるようになったんだ。地元ではアマノシャグマとかサンケイなどと呼ばれていたみたい」
「アマノシャグマは天邪鬼あまのじゃくが訛ったもんじゃろう。妖怪のように恐れられていたのかもしれんな」
「キャーキャーと鳴き叫びながら、薄暗い森の中を大きなキツツキが飛んでいたら、きっと驚くよ。天狗か妖怪か化け物のように感じたんだろうね」
「昔は子供の躾で叱り文句にでも使ったのであろう。悪いことすると、アマノシャグマに連れていかれちまうぞ、とな」
「キタタキが滅んでしまうってことは、そんな古くから伝わる一つの風習も消えてなくってしまう。目に見えない損失だけど、積み重なると文化や歴史にも大きな影響が出るってことなんだ」
「そういうことじゃよ。人間は早く気付かなきゃいかん。一つの生き物を失うことは人々が築き上げ、貯えた様々な所産を知らぬうちに失っていることにな。オオカミ信仰も同じじゃろう」
 周辺は深い緑の山に覆われている。幻のキタタキはどこに姿を隠しているのか。対馬海峡を隔て、朝鮮半島までわずか50㌔という。寂しさに耐え切れず、友を求めて海峡を渡ってしまったのだろうか。
 台風一過、大空は突き抜けるように青く澄み、吹き渡る風も夏の名残を消し去り、爽やかに肌を撫でる。
 磨墨が首を起した。片耳ずつ、海上の様子を探る潜水艦の潜望鏡のように回転させると、両耳を一定の方向に向けた。木陰に隠れていた疾風も露岩の上に立ち、両耳をそばだてている。2頭とも風に交じる微かな音を感じ取っているようだ。
「磨墨どうしたの」
 遊の呼び掛けにも磨墨は応じず、両耳に神経を集中させている。
「2頭とも反応するとは。さては、雷鷲の動きを何かつかんだのであろう」
 亀吉は囁いた。
 疾風が顔を向け、
「先に様子を見て来る。呼んだら来てくれ」
 と、用件だけ言い残すと、森の中に消えた。
「見つけたの」
 再度、遊は磨墨に尋ねた。
「遊、さっきは返事しなくてごめん。ちょっと遠くて、雷鷲の声を聴き分けるのに必死だったから。疾風が言ったように、キタタキは見つかったんだ。雷鷲の説得する話が耳に入ったんだ」
「協力してもらえそうだった?」
「いや、そうでもなさそうなんだ。雷鷲が必死に協力を訴えているみたいだけど、難航している様子で」
 磨墨は焦れた様子で足を踏み鳴らしている。
「オオカミと同じで、取材の趣旨さえ伝われば快く引き受けてくれると思っておったが。何か話したくない訳があるんじゃろうか。いずれにせよ、雷鷲に任せるしかない。キタタキがいくら抵抗しても、雷鷲に威圧されて、最後は折れてくれると思うんじゃが。交渉事は力の裏付けがあればこそじゃからな」
「そりゃそうだね、雷鷲はイヌワシの化け物だから、あのどでかいカギ爪のついた脚で捕まれたらひとたまりもない。逃げようにも逃げられるはずはないからね。遊、きっと大丈夫だよ、安心して待っていよう」
 磨墨は亀吉に同調し、遊に優しい眼差しを向けた。
 キタタキの生きた姿は朝鮮半島で撮影され、遊は自制神社の図書室の資料写真で見たことがある。雄のキタタキで、黒燕尾服に白シャツ、小粋に赤のシルクハットと、さながら紳士のいでたちだった。最後の1羽、貴重な日本のキタタキは雄なのだろうか。
(雷鷲、頼んだよ」
 遊は胸の内で繰り返した。
 1時間は経っただろう。尾根道に疾風が姿を現した。
「遊、OKだ。見つけたキタタキは人間に痛い目に遭っているみたいだ。だから雷鷲が説得するのに時間がかかったらしい」
「連絡の遠吠えがなかなかないから、本当に心配していたんだ」
「それは違うんだ。吠えて、悪い人間に気付かれるとまずいだろ。だから一目散に走ってきたのさ。ここから山を2つ越えた森で待っているから」
 疾風は大きく息を切らせた。
 疾風はニホンオオカミの調査を悔やみ、責任を感じている。ケンとの遠吠えのやり取りが猟師の耳に入り、ケンの命を縮めてしまったと。前回の反省を踏まえ、雷鷲も鳴き声を立てず、目立たないよう身を潜めているという。
「疾風、ご苦労さん。じゃあ、上空からじゃ目立つし、僕らも地上を走っていったほうがいいかな」
「いや、遊は磨墨に乗って飛んで行くしかないよ。キタタキも雷鷲も木の上の方で待っているから」
「分かった。じゃあ、磨墨に乗って上空から疾風についていけばいいんだね」
「そうだ。じゃあ、行こうか」
「ちょっと待ってよ」
磨墨が激しく首を縦に振り、
「葉は茂っているし、疾風を見失ったら困るなあ。何か目印を教えてくれないか」
 と、訴えた。
「そうだ、悪かった、磨墨。山を越えたら、谷合に深い森があって、モミの巨木が1本抜き出ているから、絶対、迷わないはずだ」
「よし、分かった。遊、背中に乗って」
 磨墨は尾根道を走り出し、林の開けたところから上空に飛び立った。磨墨が上昇気流に乗り、弧を描いて戻って来たのを見届けて、疾風はゆっくりと駆け始めた。
 尾根からに谷間までの山の一部が、伐採から取り残されたのか、鬱蒼とした森になっている。周辺より一段と緑の度合いが濃い。地元では、くろみ、というらしい。アカガシ、スダジイが生い茂り、モミの巨木もその中に聳え立っている。
 その巨木上部の太い幹の根元に猛禽類の使った大きな鳥の巣、その脇に雷鷲の姿も見えた。磨墨はゆっくりと近づき、遊はその巣の上に飛び乗った。
「雷鷲、お手柄だ。キタタキを説得してくれて、本当に助かったよ。ありがとう」
「これが役目だから、気にしないでいい。それより、このキタタキは人間のせいで子供を失っているんだ。折角、協力してくれることになったんだから、きちんと話を聞いてやってくれないか」
「分かった。それで、キタタキはどこにいるの」
 雷鷲がキョ、キョと鳴くと、その太い幹の陰から1羽の雄のキタタキが姿を現した。鋭い黒い瞳が射るように見詰めている。
「与作と呼ばれているそうだ」
 雷鷲がそのキタタキを紹介し、遊が
「僕は遊、よろしく。僕らの調査に協力してもらえて本当に感謝します」
 と、亀吉らEW調査隊のメンバーを紹介。その上で、
「子供を失ったと聞きました。お悔み申し上げます。人間が原因であるなら、その人間に代わって謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
 と、身を正し、頭を下げた。
 亀吉の通訳した話を聞き、与作と名乗るキタタキは体を前後左右に動かしながら、キュ、キュ、キュと音をたて始めた。亀吉はじっと聞き入り、時折、2度、3度、瞼を閉じたりしている。
「今年の春じゃ、悲劇が起きたのは。折角、生み育てた雛4羽が死んでしまったそうじゃ、気の毒になあ。巣穴のあった老杉が突然、人間に切り倒されてしまって。最後の4羽目が孵化して間もなくだったそうで、与作と妻の佐那ものこぎりの音に怯えるばかりで何もできず、助けることができなかったと嘆いておる。与作は3歳、一つ下の佐那は結婚したばかりで、初産だったそうじゃ」
 人も鳥も子供を奪われた悲しみに変わりはない。しかも初めての子供たちで、4羽全てを奪われた。人間に対する敵意、不信を飲み込んで、調査に応じたことを遊は心から感謝した。協力に報いるにはきちんと話を聞き、調査報告書をまとめるしかない。
「僕らの事前調査では30年前くらいから、君の仲間、キタタキの生息数が減っているようだ。君の両親や兄弟、仲間の現状なり、生息環境の変化なり、どんな些細な情報でもいいから教えてくれないか」
 与作は淡々と、嘴を小刻みに動かし続けた。
「仲間は随分少なくなっているようだ。佐那と出会えたのも奇跡的で、今年春、御岳周辺を再三、飛び回って、偶然、出くわしたと言っておる。親、兄弟とは巣立ちで離れ離れになり、音信不通。父親には巣立ちの際、『人間には気をつけろ。銃で打ち殺されるからな』ときつく言い聞かされた。人間の気配や銃声には相当、神経をすり減らしているようだ。子供も失って居るしな」
 英国人の捕獲でその存在を知られるようになって以来、国内外の研究者による調査研究としてキタタキの採集が相次いだ。高く売れる標本として密猟された例もあるという。かつては対馬全島に生息したと言われるが、元々絶対数が少ないとされる大型キツツキにとって過度な標本採集が生息数の減少に拍車をかけたのは否めない。
「できたら佐那さんからも話を聞きたいんだけど。近くにいたら紹介してもらえないだろうか」
 亀吉の言葉に耳を傾けると、与作は丈夫そうな嘴で幹を叩き、軽快なドラミングの音色が響いた。間もなく、もう1羽のキタタキがモミの幹に飛びついた。雄の与作と異なり、頭の周辺に赤い羽毛がなく、全体に黒色で、雌らしく控えめな印象だ。
 佐那は夫の与作に近づき、何かを訴えるように盛んに鳴き始めた。亀吉と遊をちらちらと見ては、夫に必死に語りかけている。
 与作が亀吉に顔を向け、必死に伝えている。
「もうこれ以上、森を切らないでくれ、と佐那が泣きながら訴えておる。可愛い子供4羽も一度に失った母親の悲痛な叫びだ。キタタキが巣作りできる大木は、もうわずかしか残っていないらしい。あのスギの老木も、夫の与作と必死に飛び回り、ようやく探し出し、夫婦で折角、理想の巣穴に仕上げたのに、と夫に泣きついておる。哀れで、わしはもう聞いておれんなあ」
 亀吉はうなだれた。
 連なる山々は緑豊かに見えるが、原生林を切り開いた後のクヌギやコナラの雑木、ヒノキ、スギの人工林が目立つ。キタタキには巣穴にできる巨木の生い茂る広大な原生林が必要となる。人工林への転換、工場や宅地開発、道路やダム整備と人間の開発行為で原生林は姿を消し、キタタキは住処を追われ、絶滅の道を辿る。沖縄の日本固有種ノグチゲラ、国内では北海道と東北に生息するクマゲラ、米国のハシジロキツツキなども大型のキツツキであるために、原生林伐採で真っ先に被害を受ける運命にあった。
「原生林は自然が長い年月をかけて作り上げた究極の生態系じゃ。原生林の消失はキタタキだけでなく、多くの動植物に計り知れない影響を与えている、人間も含めてな」
「人間も」
「そうじゃ。原生林は豊かな森だからこそより多くの、二酸化炭素を吸収する一方、酸素を供給しておるし、貴重な淡水を貯えておる。手付かずということは、人間に有用な、例えば薬の原料となる貴重な種を知らぬ間に葬り去っているかもしれん。そう思わんか」
 子供を失った佐那の悲痛な訴えに、亀吉は同じ生き物として、人間の遊の奮起を促している。
「もう一つ、耳に痛い、厳しいことを言わせてもらうぞ」
 亀吉は考えをまとめるように口を何度か噛み締めた。
「歴史を学ぶんじゃ。森を失い、人間の文明は一体、どうなった?」
 キタタキの与作も佐那も雷鷲も、遊の返答を待っている。
 遊は両頬を膨らませ、黙って俯くしかなかった。
                         その17、に続く。
その17:小説「遊のガサガサ冒険記」その17|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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