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佐野乾山発掘記⑥

  第6話、
「佐野乾山を調べるんですか、それはそれは……」
 佐野市広報担当の林は箸を止め、眉間に縦皺を寄せた。
「何か、言いたそうだけど」
「随分、難しい問題に手を付けるんだと思って」
「難しいって、真贋論争事件で」
「ええ、まあ。蕎麦がのびちゃうから、食べてからにしませんか」
 2月の佐野市の定例市長会見後、江上は林を誘い、市庁舎近くの蕎麦屋で昼食を共にしている。行政は情報の宝庫で、取材の糸口を探るのには最適だ。
「あの事件から半世紀以上も経ってるのに、まだ地元にもアレルギーが残っているの」
「事件に関係した旧家もまだ残っていて、当時、マスコミで大騒ぎになって懲りた人もいるようなんです。所蔵品を偽物だ本物だ、と取り上げられたわけですから。そっとして置いてもらいたいのが本音じゃないでしょうか」
「行政としても」
「佐野に関する乾山作品が文化財指定になっているわけじゃありませんから、文化関係の担当課にしても何も話しようがないんじゃないですか」
 総論として震源地・佐野での取材は一筋縄ではいかないようだ。寝た子を起こし、思わぬ余震に振り回せされるのを恐れるのは事なかれ主義の行政にありがちだ。
「じゃあ、篠崎源三さんって聞いたことはある。佐野の人で、佐野乾山を調べていた人らしい。もう亡くなっていると思うんだけど」
「あの人かな、昔、佐野中、今の佐野高校の校長先生だった。確か、文化財関係で県の調査委員長を務めていた。だけど、子孫ももう引っ越して佐野には誰もいないと聞いたな」
「だれか、篠崎さんのことを分かる人はいない?」
「それなら郷土史家の角田さんしかいませんね。歴史が専門で郷土史に関しては佐野の生き字引ですから」
 昼食後、江上は紹介された角田の元に出かけた。市庁舎から車で十分程、旧日光例幣使街道沿いに角田の家はあった。
 玄関の引き戸を開くと、頭頂部まで禿げ上がった男が手に本を持ったまま振り向いた。日焼けした細面に大仏のような福々しい耳、眼鏡の奥の眼差しが鋭い。
 沓脱から障子を隔てて書斎があるらしく、男の座る座卓周辺には郷土史家らしく、本、雑誌、資料類が乱雑に横積みされている。江上は名刺を手渡し用件を伝え、男は角田と名乗った。
「佐野乾山を追いかける」
 角田は聞き返すように語尾を上げ、
「いいでしょう。私の分かる範囲でお話ししましょう。でも最初に断っておきますが、私は美術的なことは分からないので悪しからず。どうぞお上がり下さい」
 郷土史家の中には自己顕示欲が強く、半可通な知識を振り回す輩もいる。開口一番、不得手な分野を吐露する潔さは信用できるのか。江上は念押しで質問した。
「あの真贋論争事件について、どう思いますか」
「乾山作品を含め美術品の鑑定はできませんから、真贋について話せる立場にはありません。何度か、持ち込まれたこともありましたが、全部、お断りしました。美術商やその筋の専門家ではありませんから。事件で騒ぎになったのは覚えてますが、直接、関わったことはありません」
「あの事件の関係者でお知り合いはいますか。どんな情報でもいいんですが」
「既に半世紀以上経ち、代替わりもしてますから、まずいないでしょう。篠崎さんが生きていれば一番、詳しかったと思うんですが」
「篠崎さんを知っているんですか」
「特に親しくさせてもらったわけではありませんが、佐野乾山の足跡を追った地元の先駆者ですから。戦前でしょう、篠崎さんが調査記録をまとめたのは」
「調査記録があるんですか」
「佐野乾山というタイトルで出版されましたね。残念ながら、私は持っていませんが。あの本は目を通した方がいいでしょう。乾山自筆の伝書、陶器類も紹介していますから」
 既に戦前、地元の人が調査し、本にまとめていたとは予想だにしなかった。しかも作品類を探り当てているという。戦後の真贋論争事件とどう関わるのか。生き字引といわれる郷土史家の手元にない以上、戦前の出版物でもあり、貴重に違いない。
「郷土史を長く調べていて、乾山の佐野来訪を裏付ける古文書類を目にしたことはありますか」
「明確な記録に出会ったことはありません。しかし、乾山と関わったとされる須藤、大川、松村家などの素封家の存在は事実で、この地を訪れたと私は考えています。江戸時代、佐野は陸路で日光例幣使街道、水路で越名と馬門の両河岸を窓口に宿場町として栄え、文人の渡辺崋山、陽明学者の中根東里、俳人の加藤千絵ら多くの著名人が訪れていますから」
「乾山と関わった旧家は今も残っているんですか」
「ええ、松村家を除く、須藤杜川と大川道顕の子孫は市内にいるはずです。必要ならお教えしましょうか」
 角田はチラシ裏を活用したメモ帳にスラスラと両家の所在地らしき地図を描き、江上に差し出した。郷土史に関しての情報は細大漏らさずインプットされているらしい。世評通り、博覧強記の人だ。
「早速、この越名馬門河岸の須藤さん宅に行ってみます。またいろいろ教えてください」
 江上は帰り支度を始めた。
 取材で佐野に来るのは、市長定例会見時の月一回程度。来たついでに回ることを思い立った。気乗りはしないが、遅かれ早かれ取材を重ねなければならない。時間と労力のかかる案件だ。怠惰に先送りしていると、締め切り直前で自分の首を絞めかねない。
 暇乞いをして、玄関の引き戸を閉めようとすると、角田が朗報を口にした。
「もう一つ、忘れてました。篠崎さんの連絡先、分かると思うんです。以前、手紙を頂いたことがあったから。探しておきましょう。後で連絡下さい」
                        第7話に続く。

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