小説「北斎逍足」⑩
第10話、
北斎は思案顔で、街道を上り下りしては大岩山を眺めている。もう半刻近く経つ。
「北斎様、先を急ぎませんと。西の空に入道雲が沸き上がり始めました」
「そうかい、何なら先に帰ってもかまねえよ」
「そう言われても、主人に案内を言いつけられてますんで」
下男の嘉吉はあきれ顔で、口をつぐんだ。
この日、北斎は馬琴依頼の読本、椿説弓張月の挿絵に取りかかることにした。
中之島家のある月谷村から山裾伝いに南に下り、戦国時代、足利の地を治めた長尾一族の居城だった古屋城跡を右手に眺め、切通を越え、五十部村に入った。帰りは大岩山からは山越えで尾根伝いに月谷村に戻る予定にしている。
北斎は何度も場面を反芻している。馬琴は読本の筋立てで、朝稚が母・簓江の髑髏を大岩山の毘沙門堂に葬ることにしている。
(ここは山場だ。馬琴に笑われねえよう、うまく仕立てなきゃなんねえ)
街道を行き来する村人らの好奇な眼差しを気に留めることもなく、北斎は街道脇の木陰で相変わらず、山並みを見ながら考え込んでいる。厳しい暑熱に、彼は時折、手拭いで額や首筋の汗を拭う。
にわかに、やや冷気を含んだ風が流れた。
北斎は懐から画帳と矢立を取り出すと、目覚めたように筆を走らせ始めた。嘉吉はそっと近づき、脇から覗いた。見る間に、画幅に山々が描かれ、樹木が立ち並び、主人公らしい姿が添えられていく。
北斎は筆を止めた。画帳を見詰めると、納得したように頷き、懐にしまった。
「どうした、惚けっと口開けて。雨が降っちまうんだろう、急がねえと」
「いや、まったくどうして、そんなに素早く描けるのですか。本当に感心して」
「なんてこたあねえ、商売だ。絵師ならだれでもできる。数こなさなきゃ、三度の飯もろくにありつけねえからな」
錦絵の発行は版元が企画し、町絵師は版元の注文で下絵を描くに過ぎない。下絵は版元の買い取りで、その錦絵が評判となり、摺り増しになっても絵師の懐を潤すわけではない。読本など戯作の挿絵にしても同様だ。
「御用絵師、狩野のように決まった俸給がもらえるわけじゃねえ。版元頼みのしがねえ町絵師ってわけよ」
北斎は歩きながら、身の上を話し始めた。
北斎は宝暦10(1760)年、下総国本所割下水に生れ、幼名時太郎、後に鉄蔵と改めた。貸本屋の小僧、版木彫りの職を経て、19歳で浮世絵師、勝川春章の門を叩き、勝川春朗の名で町絵師の世界に登場した。勝川派を離脱後、琳派の俵屋宗理を経て、今は北斎を名乗っている。
赤貧洗うがごとしで、春朗時代は6尺もある張りぼての真っ赤な唐辛子を背負って七色唐辛子を売り歩いた。宗理号を門人の宗二に譲り、お上の目を盗んで春画を手掛けるのも糊口をしのぐためだ。
最も金に頓着している訳ではない。出入りの煮売り屋がたまった代金の請求に来れば、勝手に持って行け、と画料の入った包みを投げつけ、釣り銭を改めたりはしない。
絵筆を握ること以外の全て、北斎にとっては瑣事で関わり合う時間が惜しい。
「北斎様の頭の中はどうにも絵のことしかないようで」
嘉吉は北斎の顔をのぞき込んだ。
大岩山に向け徐々に上り坂となり、麓の男坂にたどり着いた。
「険しい山道となりますが、ここを上れば毘沙門天です。雲行きがますます怪しくなっています。急ぎましょうか」
「足は達者だ。心配はいらねえ」
大岩毘沙門天は奈良の昔、行基が開いたとされる。京都の鞍馬山、奈良の信貴山とともに三大毘沙門天と呼ばれ、諸国から参拝者が絶えない。
2人は黙々と山道、石段を上り、身の丈1丈の金剛力士像が睨みをきかせる山門を潜り、ようやく毘沙門天本堂に着いた。鬱蒼とした林に囲まれ、本堂脇の杉の巨木数本が天を衝いている。
北斎が見上げると、黒雲から大粒の雨が落ちてきた。
「生憎の雷雨ですが、一雨降った後の行道山は絶景に違いありません。北斎様、お楽しみに」
2人は本堂の軒先で雨宿りし、雷雲が遠のくのを待った。
第11話に続く。
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