Every dog has his day.⑩
第10話、
「いや、たいしたもんだ。今になって雪月花の写真を見つけ出すなんて。本当、奇跡に近いよ」
善野圭三郎は両目を輝かせ、研究会の成果に敬意を表するように頷いた。
釜佐の当主の計らいで、江上は釜伊6代目に当たる碩之助、堅次郎、圭三郎、川野嘉寿子の存在を知った。いずれも関東に在住で、80以上の齢を重ねているが、連絡すると健在だった。
釜伊は栃木市内にあった善野3家の一つで、江戸時代、本家の釜喜から分家し呉服太物商を生業としていた。初代・伊兵衛は釜喜2代目喜兵衛の弟で、歌麿に雪月花を制作依頼されたと伝わる。長く豪商として栄え、昭和3(1928)年5月の下野旭新聞によると釜喜、釜佐の当主とともに高額所得者に名を連ねたが、同14(1939)年に廃業、関係者は栃木から姿を消していた。
圭三郎は釜伊家のルーツ、雪月花の調査をライフワークとしている。浮世絵研究家、林美一の一連の歌麿調査にも協力してきた。
「写真は家にも残っていたんだ。廃業の年だったな、土蔵整理の際、4つ切大の雪月花の写真を見つけてね、母が『あれが残っていれば』なんてこぼして」
「その写真は残ってないんですか」
「ないね。家ってのは取り壊すと駄目なんだよ。どんなに古くて崩れかかっていても建ってれば何かが残っているもんだ。釜伊の家はあの時、潰しちゃったから、みんな散逸しちゃって。残っているのはこんなもんだよ」
圭三郎は手元の紙袋からセピア色の写真数葉を取り出した。
一葉は釜伊の店構えで、重厚な2階建ての見世蔵、暖簾には善野商店と紋章が染め抜かれ、入口には丁稚らしい姿と、着物姿の客らしい女性が写っている。屋根に掛けられた看板には初売出しと記されている。
「こりゃねえ、昭和2(1927)年頃の店先らしい。当時、店には番頭や小僧が14、5人いて、にぎやかだったんだ。その頃、新聞に日光で雪月花の下絵が見つかった記事が出て、『売ってもったいなかった』なんて店中で大騒ぎになったもんだ」
「6代目を継いだ碩之助さんからも聞きました。廃業前、金策に明け暮れると、番頭の加藤某が『こんな時、歌麿の絵が残っていりゃ』と口癖のように嘆いていたと」
「あの番頭は古参で、絵を売却する際、『売っちまうんですか、こんな立派な絵を』と進言して、3代目に『お前の口出すことじゃない』こっぴどく叱られたそうだ」
「というと、雪月花の売却は3代目の時ですか」
「そうだね。私はこの祖母から直接聞いているから間違いない」
圭三郎はもう一葉の法事の写真を差し出し、参列者の中の一人の老女を指さした。
「千世といって、4代目・伊平の妻なんだ」
窪んだ眼窩の奥の瞳に憂いを漂わせ、頬骨は張り、引き結んだ薄い唇が豪商の屋台骨を仕切った気丈さを伺わせる。
「千世によると、なんでも親族が経営する事業が不振に陥り、資金援助のために釜伊で親族会議を開いたそうだ。金の工面方法として、初代・伊兵衛が収集した家宝の奇石の数々と雪月花が天秤にかけられ、もしもの火事の場合、石は残るが、絵は焼失してしまうとの理由で、雪月花は売られたと伝えられている」
「その親族というと?」
「そりゃ、本家の釜喜だよ。釜喜は釜伊より前に潰れている。それに千世は釜喜7代目の娘で釜伊に嫁入りしている。つまり釜喜と釜伊は一蓮托生だったんだ」
「川野さんも取材して、後年、千世が『仕方なかった。親族を助けるためだったから』と話していたのを覚えていました。そもそも雪月花は釜伊の初代が歌麿に頼んで描かせたと伝わっていますが」
「釜喜八代目の談話として林さんが著書で紹介している通りだ」
「つまり釜喜四代目の通用亭が歌麿を栃木市に招き、滞在中に画会を開いたが、人気が芳しくなかった。落胆した歌麿に同情した釜伊初代が雪月花を依頼したということですか」
「そう聞いている」
釜伊の人々の証言は具体的で真実味がある。歌麿の栃木市滞在を裏付ける物証が皆無の中、伝承は貴重だ。
「江上さんは覚えているかい?昔は井戸水を汲んで、煮炊きは薪だったことを」
「ええ、子供のころはそうでしたから」
圭三郎の問いかけに、江上は怪訝そうに返答した。
「人々の生活はほんの数10年前までは江戸時代と同じなんだよ」
「なるほど、確かに……」
それで、と付け足すのを江上はためらった。
「つまり、200年前ってそんな昔のことじゃない。まして雪が秘蔵されてまだ60年そこそこじゃないか。必ずどっかにあるんだから」
圭三郎は目を細め、江上にエールを送った。
第11話に続く。
第11話:Every dog has his day.⑪|磨知 亨/Machi Akira (note.com)