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佐野乾山発掘記⑱
最終第18話、
江上は盗難記事のコピーを一字一句、また丹念に読み返した。これまで何度、目を通して確信したことか。盗難品に篠崎が確認した陶器2点は含まれているが、乾山自筆伝書「陶磁製方」は入っていない。唯一、佐野乾山の物証として研究者らの間でも認知され、タブーの壁を打ち破るための最終兵器だ。
(何としても確認しなければ)
江上はその新聞コピーをファイルに閉じ、篠崎著「佐野乾山」など関連資料とともに取材バックに収めた。このまま一之沢家に向かう。
熟慮の末、無礼を承知で、彼は突撃取材を敢行することにした。
デスクの西城から乾山取材取りやめの最後通牒を突き付けられ、一刻の猶予もない。西郷の打診を受け入れ断念するのは容易だが、悔いが残るのは明らかだ。歌麿の「雪」と同じ轍を踏みたくない。
本来なら一之沢家に取り次ぐ仲介者が欲しい。美術的にも経済的にも価値が高く、他の乾山作品が盗難被害にも遭っている。その上、名家で知られ、しかも家屋敷を処分したばかりだ。新聞の取材とはいえ、相当ハードルは高いだろう。
あの「雪」を追いかけた時はどうだったか。狙いをつけた旧家は取引銀行からお公家様と皮肉られるほど気位が高く、地元の名士とも付き合いが希薄だった。それでも状況証拠を集め、数少ないゴルフ仲間らに打診し、機をうかがっていた。結局、不首尾には終わったが。
「伸るか反るかの直当たりか。どうなんだろう」
昨晩、江上の問いかけに、同僚の山口は即断を避け、
「一度、現地入りして、周辺取材したら」
と、提案した、
「それも考えた。でも小さな町で噂話は早いだろうから、記者が嗅ぎまわっていることが一之沢家の耳に入ったら、態度を硬化させる懸念もあるんじゃないか」
「なるほど、人伝に聞こえると、所有者は痛くもない腹を探られているようで臍を曲げるかもしれないな。ちょっと無謀な感じもするけど、一発勝負しかないか。準備はできてるの」
「一之沢家のことは一通り、調べ尽くした。乾山絡みの文献・資料は可能な限り集め、頭に叩き込んだつもりだ。相手の懐に飛び込む以上、それが礼儀だと思っている」
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず、かな」
「だと、いいけど。話を聞いてさえくれれば、説得できる気がするんだが。門前払いもあるし、どう切り出そうか、思いあぐねていて」
権限ある家人と、いきなり接触できるのか。従業員が応対に出たら、用件はどう伝えたらいいだろう。秘蔵品でプライバシーに直結するだけに、口に出しづらい。市議の久保田の協力で一之沢家の事務所だけは分かっているが、アポなしで訪ねる以上、関係者不在で空振りに終わる懸念もある。
「この手の取材は俺も経験がないから……。でも、やるだけやったんだから、当たって砕けろでいいんじゃない。それに、案ずるより産むが易し、っていうしね」
江上は取材バックを助手席に置き、愛車に乗り込んだ。目的地まで2時間弱。吉と出るか凶と出るか。
蒼空に雲一つない。
彼はエンジンのスイッチを入れ、アクセルペダルを踏みこんだ。
線路脇を走ると、ネットで事前に確認した大谷石造りの倉庫が目に入った。事務所らしい3階建てのビルも併設されている。
江上は近くの空き地に車を止めた。車を降り、その倉庫沿いを進む。うまい切り出し方は思い浮かばない。出たとこ勝負と自分を信じた。
角を折れ、敷地内に1台のトラックが見える。開け放たれた倉庫周辺には米袋が山と積まれ、数人の男衆が掛け声で合図しながら、米袋の積み下ろし作業に余念がない。早場米の収穫期を迎え、忙しいようだ。
そのざわつきを切り裂くように、江上は声を張り上げた。
「お仕事中、申し訳ありません。一之沢雄夫さんはいらっしゃいますか」
男衆が一斉に作業の手を休め、江上に視線を向けた。引き締まった体つきの精悍な男が怪訝そうに、
「父に何か、ご用でしょうか」
と、返事をした。
雄夫は30年前の盗難を伝える新聞で、警察に被害届を出した人物として掲載されている。応対に名乗り出た男は子息だった。年の頃は40代か。念願の家人に接触出来て、第1関門はクリアだ。
江上はその男に歩み寄った。名刺とともに取材バックのクリアファイルから盗難記事のコピーを取り出し、男に差し出した。
戦後70年企画で佐野乾山真贋論争事件を取り上げる意向を伝え、彼は取材の核心を単刀直入に切り出した。
「過去の文献に記載された一之沢家の所蔵品と、この記事で伝える盗難品の数字が一致していません。間違った事実を記事に書けないので、確認させて下さい」
有無を言わせむぬ迫力がその男の気勢を削いだのか、その男は、
「いや、まあ、乾山の件ですか」
と、口ごもった。作業中の男らに顔を向け、作業を続けるように指示すると、江上を隣接する事務所に導いた。
最悪、門残払いは避けられ、取材に応じる姿勢だ。江上はまた一つ、壁を越えた。
事務所に入ると、その男は名刺を江上に差し出した。名刺には「一之沢興産 専務取締役 一之沢雄大」とあり、父の雄夫は社長だと付け加えた。
「日本産政新聞社の記者さんですか。乾山作品の取材とおっしゃいましたね」
その男はどう対応しようか思いあぐねるように、江上の名刺を右手で弄んでいる。
(いける)
江上は確信した。一之沢の信用を勝ち取ろうと、間髪を入れずに捲し立てた。
「佐野乾山の原点は佐野市の郷土史家、篠崎源三であり、その篠崎が確信に至った物証が一之沢さん所蔵の作品です。真贋論争事件はその20年後の話で、あの事件の発端となった陶器類とは全く別物であることは明らかです。今年、開かれた乾山展の図録でも陶磁製方は佐野乾山の裏付けとして記されています」
一之沢は黙って、耳を傾けている。
「ただ、不幸にもあの事件の影響で佐野乾山はタブー視され、調査研究が進んでいないのもまた事実です。取材を重ね、佐野乾山を改めて検証し、評価すべきではないかと考えるに至りました。そのためにも唯一無二といえる一之沢さんの所蔵品を新聞で紹介し、僭越ながら世論喚起したいと考えています。どうにか協力して頂けないでしょうか」
一之沢の表情が和らぎ、初対面の緊張感が薄れていくように見える。
江上は再度、盗難を伝える記事コピーをテーブルの上に置いた。一之沢は促されるように視線を落とす。
江上は勝負に出た。
「他人の懐を探るようで恐縮ですが、乾山自筆の陶磁製方は盗まれていませんね。陶器の一部も残っているのではないですか」
一之沢は口元を引き締め、窓越しに作業中の男衆の姿を見やった。男たちは黙々と米袋の積み下ろし作業を続けている。
しばらく沈黙が流れ、一之沢が江上に向き直った。
「感心しました。よく調べられています」
江上は一瞬、耳を疑い、そして胸の鼓動が高まるのを感じた。
追記
1か月後、乾山自筆伝書「陶磁製方」など一之沢家の所蔵品は乾山研究の第一人者、東西大学の鈴木教授の鑑定を受け、「陶芸史上、極めて重要な資料」と判断された。翌日、日本産政新聞は一面トップで報じた。同家の意向で所蔵品は佐野市に寄託された。
(了)