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小説「遊のガサガサ冒険記」最終その25

 最終その25、
「おい、本当か。遊、大ニュースだ」
 父イリエスが手にしていた新聞を、遊の目の前に広げた。
 ーー二ホンカワウソ、日光に生息か
 トップページに大きな活字の見出しが躍っている。
 遊は箸を置いて、活字を追った。
 今年初め、栃木県日光市の西ノ湖さいのこ周辺で二ホンカワウソと見られる足跡が発見され、専門家の調査の結果、カワウソの可能性が高いとされた。環境省が本格的な調査に入っていることを伝えている。
「こりゃ、すごいや。本当に夢のよう。愛媛や高知の四国でしか生き残っていないと思ったのに、まさか日光にいるなんて。同じ栃木県人としてうれしい」
「日光は大自然に恵まれ、全国的にも秘境だから、生き残っていたのかもな。でも、良く見つかったな。栃木県内では既に絶滅したと言われているはずだが」
「お父さんの言う通り、戦後まもなく、約70年前には西ノ湖や大田原市の箒川に生息していたらしいんだけど、その後、消息が途絶えていたんだ。その時点で関東最後の記録とされていたんだ」
 EW調査の事前調査の際、遊は日光の仙人と言われた古老からの聞き語りをまとめた文献を目にしていた。昭和25(1950)年頃、ある人が西ノ湖近くの渓流で魚採りをした際、カワウソが魚籠を荒らし、捕らえた魚を漁っていたため、そのカワウソは撲殺されたという。
「だけど、ちょっと不思議よね。遊、二ホンカワウソって貴重な動物なんでしょう」
 母の映見が首を傾げた。
「うん、トキと同じ国の特別天然記念物に指定されているから」
「でも、そんな珍しい生き物なら、なんで最後に確認して以来、70年も分らなかったのかしら。潜んでいたのに、国がきちんと調べてこなかったのね。まったくお役所仕事なんだから」
 遊は思わず、それわね、と謎解きする衝動に駆られた。
 映見の推測通り、昭和25年以降も生き残っていただろうが、13年後の昭和38(1963)年のある時点で歴史が修正された。禁断のワクチンの影響で人間の欲望にブレーキがかかり、山奥の水辺に潜んでいた二ホンカワウソにも世代交代し生き延びる道が開かれた。人間による毛皮目的の密漁がなくなり、生息環境も損なわれなかったに違いない。
 歴史が修正される前、二ホンカワウソは昭和54(1979)年、高知県内の新庄川しんじょうがわで確認されたのを最後に国内から姿を消し、国は平成24(2012)年、絶滅種としていた。修正後、高知、愛媛県内では手厚く保護され、順調に生息数を増やし、富山県内の黒部川、北海道内の数か所の河川でも生息が確認されている。
 自制の神に拝謁した翌朝、遊の接する社会は激変していた。
「じゃあ、行ってきます」
 遊の足元を見て、母の映見は怪訝な表情を見せ、
「雨が降っているのよ、長靴を履いて行かなくちゃ」
 と、下駄箱を開け、黒い長靴を出した。
 これまで保育園、小学校の登下校、どんなに雨が強くてもスニーカーだった。雪の日やガサガサの日を除いて。
 黄色い傘を差して、家の前の道に出て分かった。アスファルト舗装された道路が砂利道に変わり、所々に水たまりができている。
 集合場所のコンビニは木造平屋の古びた商店に代わっていた。華が待ちかねていたように駆け寄ってきた。
「本当、見るもの聞くもの、世の中変わっちゃってびっくり。ニワトリの声で目が覚めちゃって。お母さんが『卵、取ってきて』って言うから、外に出たら鳥籠があるんだもの。その卵でたまごかけご飯食べて、まあ美味しかったけど。それにテーブルがなくなっちゃって、丸くて座卓みたいに高さの低い、何て言ったかな」
「卓袱台だよ。僕の家も畳の部屋に座って、みんなで朝ご飯だったから。炊飯器じゃなくて、お母さんは木製のお櫃からご飯を盛ったから驚いたよ」
「そう、そう、竈に薪をくべて、お釜でご飯炊くんだもの。でも初めて、おこげって食べて、香ばしくっておいしくて、お替りしちゃった」
 居間の片隅には奥行きのあるブラウン管式テレビに背の低い扇風機が置かれ、卓袱台を囲んで家族で談笑しながら食事を楽しむ風景は、以前、テレビで見た昭和レトロそのものだった。昭和38年から令和5年までの60年間、時は止まったようだった。遊らの通う城西小も2階建ての木造校舎で、床や柱は黒光りしていた。
 その日の午後、遊は華を誘って、自転車で渡良瀬川にやって来た。
 鹿島橋まで来る途中、両毛線の踏切を蒸気機関車が白煙を上げながら通り過ぎた。旧国道50号から渡良瀬川方面を望むと、田畑が広がり、萱葺屋根の農家らしき建物がいくつか見える。鹿島橋は予想した通り木造のままで、橋脚の一部など真新しく、何度も改修した跡があった。
 渡良瀬川は滔々と流れている。上流のダム建設が抑制され、水量が増しているようだ。遊は葦の根元に手網を差し込んでみた。ヤリタナゴ、シマドジョウ、ギバチまで紛れ込んでいる。何度か網を入れても、ブラックバスやブルーギルの姿はない。
「どうしたの?遊君。何か、あまり嬉しそうじゃないみたい」
「そんなことないよ、在来種の川に戻ったんだから。だけど、なんかしっくりこなくて。これでよかったかなって」
「実は私も。もちろん遊君を非難してるわけじゃないよ。でも、スマホやパソコン、エアコンにお母ちゃんの軽自動車まで消えちゃって、あの頃って便利で快適だったのは確かだし。もう、あんな時代は来ないのかな、これからどうなるのかなと思って」
「60年間、時間が止まってるんだ。この空白って、人間の犯した罪の天罰だから……」
 砂利を踏み、人の気配を感じると、どこかで聞いたことのあるしわがれた声が2人の耳に入った。
「そうか、天罰と受け止めておるのか」
 麦わら帽子、藍染の作務衣に下駄ばきの老人の男が、顔を顰めながら右手で白く長い顎を撫でつけている。今春、華とこの場所で出会い、捕獲したカミツキガメを見せてくれた謎の老人だった。
「天が授けた最後のチャンスと思わんか」
「最後のチャンス?でも、60年間、停滞したままで……」
「それは天が君らに委ねたのではないか。率先して、他の生き物と共存共栄を図る方策を考え、行動しろと」
 遊は華と顔を見合わせた。
「君らが60年後の世界を深く憂いて行動に移したから、今があるのではないのか。やったことを間違ったと思っているのか」
「いえ、少しも。でも僕らに新しい社会を作れって言われても」
「じゃあ、誰が率先するんじゃ」
「それは……」
 遊は言葉を濁し、両頬を膨らませた。
「それと60年間、停滞したままでと言ったが、何か不都合があるのか」
「だって不便になっちゃって。プロパンガスがなくなって、薪でご飯を炊いたり、お風呂を沸かしたりするのよ、お母ちゃん大変じゃない」
 華が鼻の穴を膨らませて、噛みついた。
「母親思いで結構じゃ。だがな、薪の原料は里山に生えているクヌギやナラの木材で、石油やガスと違って再生可能エネルギーじゃ。しかも日本は温帯モンスーン地域で雨量が多く、どこでも樹木がすくすくと育つ。日本の誇れる貴重な資源なんじゃ」
 遊は母方の曽祖父・永四郎を思い出した。彼は栃木県東部、八溝山地の中山間地に暮らし、昨年、96歳で他界するまで農業と炭焼きを生業としていた。平屋の大きな家は山裾の高台にあり、曽祖父が大正時代、近くの山から切り出したケヤキやスギ、ヒノキで建てられていた。家の周りに田畑が広がり、庭先にはニワトリが飼育されていた。軒下には薪が山と積まれ、囲炉裏も現役だった。
 2年前の夏休み、遊が両親と遊びに行った際、曽祖父は広い縁側に腰を下ろし、縁側から庭先のキュウリやトマトを眺めながらこう呟いた。
 ーー山ん中だが贅沢しなきゃ、何にも困んねえ
 頑固者だった曾祖父は特別としても、60年前の日本社会はSDGs(持続可能な開発目標)を実践していた。
「それはそうと、忘れておった。これを見んか」
 その老人はあの時と同じ魚籠の蓋を取り、遊と華を促した。あの時はカミツキガメが今にも噛みつかんばかりに威嚇していた。
 覗き込んで、遊は愕然とした。型のいいアユが10数匹、犇めき合う中に、姿を消したはずのあの忌まわしい魚が1匹入っている。下顎が突き出て、暗緑色で側線が黒い。ブラックバスだ。
「ということじゃ。平穏が続くと安心してはいかん。平和ボケじゃ。誰かがまた密放流したんじゃろう。人間の欲は底なしじゃ」
 ーー老いも若きも関係ありゃせん。熱い心を持つ者が世の中を動かすんじゃ。とにかく動くことじゃ、動かにゃ何も始まらん
 遊は川面を見詰め、老人の言葉を反芻した。
                              (了) 

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