佐野乾山発掘記②
第2話、
翌日、企画案を協議するための定例部会が宇都宮支局で開かれた。
デスクの西城が全員に会議資料を配り、当面の取材日程などを説明した。その後、西城が懸案の戦後70年の企画案を議題に載せた。
「戦後70年は生き証人の年齢を考えると、大きな節目となる。この1年、各社とも総力戦で紙面展開するだろう。うちとしては夏に戦争経験者のインタビュー、秋以降には戦争以外で、戦後の大事件や大災害などを特集したい」
遊軍の前原が机の上のパソコンに向い、何か調べている。遊軍とは特定の担当を持たず、特集記事を担当したり、災害時に機敏に対応する役割を負う。
「前原、何か調べているようだが、何か意見はあるか。率直に言ってくれ」
「夏の企画は問題ないと思う、多数の死傷者を数えた宇都宮空襲、足利の百頭空襲を中心に犠牲者の家族、空襲被害に詳しい研究者、郷土史家らの話を聞き、インタビュー記事としてまとめればいい。ただ、対象者が高齢で数少なくなっており、各社の取材も殺到するだろうから、早めのアポが無難だ。一方、秋の企画の件は難しい面もある。未解決事件もあるし、単に事件や事故の紹介でいいのか、それとも掘り下げて現状を取材し、問題提起するのかで違ってくる。案件によっては。関係者の口は相当重いだろうし」
「ルーティーンワークに加えて大変なのは理解できるが、どうにか紙面化したい。秋まで時間はある。事前取材の上で、方針を決めたい」
紙面の良し悪しはデスクの力で決まる。同業他社の動向をにらみつつ、少しでも骨太で読み応えのある記事を読者に提供したいのは当然だ。
「実は今、資料にある佐野乾山真贋論争事件をネット検索してみたんだ。いや、驚いたよ、著名人や国会も巻き込んで、大きな社会問題に発展したようだ。こんな大騒動が県内で起こっていたなんて。しかも未解決のまま、美術界のタブーになっているらしい。確かに取り上げる価値はありそうだ」
いきなり佐野乾山の話題が前原から持ち出され、江上は胸の鼓動が高まった。
(よりによって、何で俺の管轄の事件を)
仮に企画案が正式決定すれば、担当は江上となるだろう。佐野乾山が個人名であることは分かったが、いつ、どこで、何をして、佐野市にどう関係したのか。引いては、全国レベルで大騒ぎとなった真贋論争とは。江上は苦虫を潰し、会議の成り行きを見守るしかない。
「山口さんは確か、佐野出身ですね。何か情報はありませんか」
話を振られ、山口も困惑の表情を見せる。
「佐野乾山ですか?小耳には挟んだ記憶がありますが、かなり昔の話でしょう」
「ウィキペディアによると、真贋論争が巻き起こったのは昭和37年ですね。もう半世紀以上前ってことか」
パソコンを見ながら、前原が口を挿んだ。
「じゃあ、3、4歳で、学校にも上がってないな。どうりで記憶にないわけだ」
山口はやれやれとばかり、苦笑いを浮かべた。
支社内で最年長の江上でさえ就学前の5歳の時だ。関係者の多くが他界し、事件も時の流れに忘れさられる。一から掘り起こすのは困難を極めるに違いない。口を噤み、次の話題に移ることを彼は密かに願った。
江上の思惑を逆撫でするかのように、デスクの西城が話を継ぎ、
「会議に当たり、ネットや図書館の資料で一通りは調べておいた。手短に言うと、こういうことらしんだな」
と、手元のメモ帳を見ながら説明を始めた。
乾山は江戸時代の陶工で、尾形光琳の弟に当たる。晩年、佐野市内に出向き、陶器類を制作し、それらの作品を佐野乾山と呼ぶ。美術商の間で「幽霊と乾山は見た試しがない」と揶揄されるほど本物は希少とされる。だが、昭和37年、同市内で突然、200点もの陶器が発見され、川端康成、岡本太郎、小林秀雄、松本清張ら各界の錚々たる面々を巻き込んで国内最大の真贋論争事件として発展。新聞各紙、各テレビが盛んに取り上げ世間を騒がせたが、結局、論争は尻つぼみとなり、決着がつかないまま闇に葬られた。
西城の説明を聞き終え、全員が一様に押し黙った。スケールが桁外れに大きい。日本を代表する陶工の一人、乾山を巡る最大の真贋論争事件が未解決のまま美術界のタブーになっている。人口11万人の地方都市である佐野市に佐野らーめんを凌ぐ、全国的な話題が潜んでいることになる。
「どうですか、江上さん。佐野市内を回っていて、何か聞いたことはありますか」
「市立の美術館、博物館の催事関係はネタ探しでチャックしているつもりですが、佐野乾山は記憶にありません。こんな大事件が埋もれているなんて初耳で。私の勉強不足でしょうが」
江上は俯きがちに返答した。
「まあ、古い事件ですから話題にも上んないんでしょう。でも美術史に残る大事件なのは間違いないわけで、だからこそ今回の企画で取り上げたい。事件自体を知らない読者もいるだろうし、未解決なんだから世論喚起するのも新聞の役割だと思う」
「デスクの言うのは最もだが、今もってタブーじゃ、パンドラの箱を開けかねないことも」
山口の懸念をデスクの西城は淡々と切り返した。
「思わぬ副産物を手にすることもある。パンドラの箱だって不幸や災いが出た後に、希望が残っていたじゃありませんか」
第3話に続く。