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佐野乾山発掘記⑩

  第10話、
「当時の専門家に目利きの力がなかったのでしょう。結論を出せずに、結局、本物か偽物かを判断できなかったのですから。科学は日進月歩で、科学的調査を駆使すれば、あんな騒ぎに発展しなかったでしょうに」
 陶芸家の茂木は轆轤の手を休めて、淡々と見解を述べた。
 仕事の合間を見て、江上は知り合いの茂木の元を訪ねた。お互いの子供が同じ保育園に通園した関係で、面識があった。
 やる気を呼び起こしたホンモノの行方が不透明となり、江上の乾山取材はまた行き詰っている。餅は餅屋でだ。茂木は陶歴40年以上のベテランで、旧交を温める序に取材を思い立った。
「乾山に限らず、どうして偽物が世の中に横行するんでしょうか。わざわざ贋作を買う気にはならないと思うんですが」
「いや、そうじゃない、需要があるから作るんですよ。売れなきゃ、誰も手間暇かけて偽物を作りませんからね」
「そんなに簡単に真似できるんですか、乾山の作品でも」
「陶芸は一に土、二に釜、三に細工と言われ、一番大切な土があればどうにかなります。作者が独自に創造するのに比べれば、模倣するのは決して難しくありません、たとえ乾山作品でも。出来次第でしょうが、プロでもなかなか判別できないと思いますよ」
 轆轤から離れ、茂木は作業場の棚に並んでいる書籍の中から、分厚い本を取り出した。原色陶器大辞典だ。
「ここを読んでくださいよ。この乾山のところを」
 茂木は一文を指し示した。
 ーー器は火度の低い、いわゆる陶器と土器の中間物の類が多いために偽作が容易で、また後世の諸名工でこれを写すものが多いので真作を得ることは困難である
「なるほど、古美術商の間で言われる『乾山と幽霊は見たことがない』の所以ですね。それとこの辞典、加藤唐九郎がまとめたんですね、あの永仁の壺の」
「知っているんですか、それは勉強熱心で。加藤の記述だからこそ、真に迫っていませんか。確か、乾山事件の時、彼は贋作を主張していたはず」
 永仁の壺贋作事件は乾山事件の2年前、国指定重要文化財だった鎌倉期の古瀬戸の瓶子が陶芸家・加藤の作品と判明し、美術界に衝撃が走った。最終的に文化財の指定解除されたとはいえ、学者の目を欺くほどの出来だったことになる。
「真贋論争で騒動となった陶器200点余は偽物だったと思いますか」
「直接、見てないから私には分からないな。今からでも科学的調査をすれば決着するはずです。タブー視されて、闇に葬られているのはおかしいでしょう」
 記事作成の際のコメントの使用の了解を得て、江上は取材ノートをバックに入れた。
「羨ましいですね」
「えっ、私の何が」
「記者の仕事ですよ。忘れさられた佐野乾山をペン一本で掘り起こせるんですから。頑張ってください」
(記者の仕事にエールを送られたのはいつ以来だろう)
 平々凡々の地方回りの記者である。第四の権力と胸を張って権力を監視する気概もないし、ましてや社会の木鐸と自任し他人様に範を垂れるのはおこがましい。これまで記者会見で配布された資料、記者クラブに投げ込まれた情報に依存し、記事を仕立てる毎日だった。派遣社員として第2の記者人生を送る今、猶更、意欲は減退している。
 茂木の何げない一言が、江上の琴線を少し震わせた。
 茂木の取材を終え、江上は郷土史家の大倉の元を目指した。先月、大倉を新聞で紹介し、取材協力のお礼として掲載された写真を届けるためだ。
「さすが記者さんの撮った写真は一味違う。写りがいいんで、娘のヤツ、遺影用に残しておけばって、小憎らしいこと言うもんだから」
 苦笑いを交えながら、大倉は江上の差し出した写真に魅入った。お茶を勧められ、江上は靴を脱いだ。
 大倉は足利の絵馬の調査一筋で、80歳を超えた今も寺社巡りに余念がない。半世紀以上、郷土誌などに投稿した調査報告百点余を今回、一冊にまとめたのを知り、江上は取材していた。地方紙時代にも取材し、絵馬に関する見識には一目を置いている。
「佐野乾山ねえ、それはでかい話だ。篠崎源三か、どっかに出てたな」
 世間話の途中で乾山の話を持ち出すと、大倉はセロテープで丁番を補修した眼鏡を右手で持ち、傍の本棚を見渡した。思いついたように重い腰を上げ、本棚から一冊の本を取り出した。
「役に立つか分からんが、持っていったらいい」
 署名は「乾厓雑筆」で、著者は足利の実業家だった秋間正二、平成元(1989)年とある。秋間の雑記を集めた自費出版物だ。秋間は大倉の活動の良き理解者で、生前、交流を深めたという。
 読み進めると、篠崎は秋間の旧制中学時代の恩師で、昭和25年、秋間が商用で渡米した際、ボストン美術館の所蔵する佐野乾山の水差しの写真を撮影するよう依頼した経緯が記載されていた。篠崎は昭和17年に著書・佐野乾山を出版後も、地道に裏付け取材をしていたことを伺わせる。
「篠崎さんとは面識があったのですか」
「いや、ないよ。でも、佐野乾山の先鞭を付けたのは篠崎さんで、戦前、独自に作品を見つけていたはずだ。あの騒ぎより以前にね」
「隣の佐野市の話なのに詳しいですね」
「郷土史にのめり込むと、その筋の情報通になるんだ。篠崎さんは丸山瓦全とも関りがあったんだろう、乾山絡みで」
「ええ、当時、丸山家に乾山の貴重な写本が残っていて、それを調べに来たり」
「瓦全は足利が生んだ郷土史研究の大先達だよ。佐野のエラスムス像、天明鋳物の調査も瓦全の功績だから」
 瓦全、篠崎、大倉、それに佐野の角田と、乾山取材を通じて改めて優れた郷土史家の存在を認識する。誰もが根底に並外れた郷土愛があるようだ。
「あの真贋論争をどう思いますか」
「いきなり200点だろ。万に一つもないと言われる乾山が、しかも佐野市の旧家から突然、次から次に。不思議だわな。それに何できちんと調べなかったのか疑問だ。結局、シロクロがはっきりせずに迷宮入りだろ。その闇に埋もれた大事件に手を付けようってんだから大したもんだ」
「そんな大それたことではなくで、あくまで仕事ですから」
「仕事でしかも新聞記者なんだから、どこにも取材に切り込めるんだろう。この闇を暴けるのは記者さんしかいないな。その白羽の矢が江上さんに当たったわけだ」
「あの事件から半世紀以上経過し、なかなか取材も捗らなくて」
「絵馬の調査も次は神社だ仏閣だと、靴底減らして歩き回ったな。足で稼げばどうにかなるんじゃないか。こりゃ失礼、釈迦に説法か」
 相好を崩しながらも、大倉の視線は江上を捉えて離さなかった。
                        第11話に続く。

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