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小説「遊のガサガサ冒険記」その7

 その7、
 五月晴れが続き、長旅を終えたツバメが飛び交い、大七山周辺の雑木の葉は若草色から濃緑色に変わり始めている。
 そんな自然の移ろいを感じる余裕もなく、週明けの月曜朝、遊は通い慣れた道を歩きながら、週末3日間、集中豪雨のように身に降りかかった悲喜こもごも、不可思議な体験を振り返っている。
 魔の金曜日だった。単身赴任中の父・イリエスと久しぶりに再会できて喜んだのも束の間、父が外国人だったことが知れて、それが原因で直也らに「ガイジン出ていけ」といじめられて落ち込んだ。でも、父も母も事情を薄々知りながら問い詰めず、そっとしておいてくれたがうれしい。しかも父は僕の気持ちを推し量って、大好きなガサガサに誘ってくれた。
 土曜日はショックだった。1年ぶり、待望の渡良瀬川での父とのガサガサに胸を躍らせたが、結果は散々。網に入ったのはブルーギルばかりで、ミシシッピアカミミガメまで居ついていた。恐ろしい外来種に怯え、追い詰められる在来魚を思うと居ても立っても居られない。
 日曜日は奇々怪々、衝撃の1日だった。日本の魚を1匹でも保護しようと、独りで渡良瀬川にガサガサに出かけ、ニホンイシガメの導きで60年前の世界にタイムスリップ。助けたカメの先祖という亀吉の案内で、磨墨という翼の馬に跨って空を飛んで、山奥の自制の館に連れて行かれた。驚きはまだ続く。人間の自制心を司る自制の神が存在し、神に仕える大神使・阿玖羅命様から未来を変える大役を命じられた。天空にいる自制の神の元に行き、人間の欲望を突き動かす悪魔を抑え込むための禁断の秘薬をもらって来いという。
 こんな不可思議で誰も信じてくれそうもない話を、絶対に親にだって話せるわけがなかった。しかも、いじめにあった矢先で、遊は両親に余計な心配をさせたくなかった。
 60年後の世界から家に戻って、父にガサガサの収穫を聞かれた時、遊は「だめだ。やっぱり外来種ばかりだった」と素直に答えた。夕食時には大好物のハンバーグが用意され、彼はぺろりと食べた。母・映見の気遣いに感謝し、何もなかったように平静を装いたかった。
(でもどうしよう、あの大役の件)
 目の前の交差点の信号が偶然にも、赤信号から青信号に変わった。
(えっ、行けって?)
 遊の車の流れに誘い込まれるように、一歩踏み出した。
「危ない、遊君、何してんの」
 華の大きな声で、遊は現実に戻った。
 集団登校の待ち合わせ場所はコンビニ前で、既に数人が集まっている。
「ああ、華ちゃん、おはよう」
「どうしたの、ぼっとして。週末、お父さんと遊び過ぎて疲れちゃったの」
「なんでもないよ、ちょっと考え事してて」
「それって、この間の直也らのこと」
「うーん、それもあるんだけど……。何て言ったらいいかな」
「もう、なーに、気になることがあるんなら言ってみたら」
 華は苛立たし気に鼻の穴を膨らませ返答を迫った。直也らのいじめを知り、華が気遣っている。親には言えない。でも誰かに打ち明けたい。今、話すとしたら、身の回りに華しかいない。遊は心を決めた。
「そうだ、華ちゃん、今日は塾の日だっけ」
「今日は塾はお休み。何で」
「あのね……」
「どうしたの、何かあるんでしょ。だから、ちゃんと話してっていってるでしょ。もっとしっかりしないと、また直也らにいじめられるよ」
 華がぐいぐいと責めつける。でも愛嬌があり、遊を心配する気持ちが言葉の端端にほとばしる。
「じゃあ、聞いてもらおうかな。ちょっとややこしくて長くなるから、学校が終わった後の方がいいと思って」
「いいよ、分かった」
 華はどんな反応をするのだろうか。60年前の世界に戻り、世界を変える担い手に指名されたなんてことを。押し黙ってしまうか、それとも、いつものように大声で笑い転げてしまうのか。といって、独りで抱えきれる問題ではない。思い切って彼女に打診し、遊は胸に蟠っていた不安がしぼんでいくような気がした。
 集合場所にいつもの8人全員が集まり、6年生の雄太君を先頭に学校に向かう。一難去ってまた一難。学校に近づくにつれ、遊の脳裏にいじめの悪夢が暗雲のように広がり始めている。
 嫌な不安は的中した。4年3組のドアを開けて、遊が「おはよう」と挨拶したが、クラスメートの反応はない。急に友達と喋りこんでいたのを止めて冷たい視線を向けたり、逆に遊の顔を見て視線を逸らしたりした。
 遊は両頬を膨らませ、自席に座った。直也、俊夫、弘樹の3人が申し合わせたように集まってきた。
「ガイジンは日本語しゃべれないから、今日からお前とはしゃべらないことにしたからな。なあ、みんな、しゃべらないんだよな」
 直也が声を張り上げ、クラスメートを見回した。俊夫、弘樹は追従笑いを浮かべ、他のクラスの仲間はただ口を噤んでいる。
「ほらな、誰も挨拶しねえだろう。これから、クラスのみんな、お前とは口を利きたくないってさ」
 腰巾着の俊夫が煽ると、弘樹も口を尖らせ、
「嫌なら出てけよな。外人なんだから日本からさっさと出てけ」
 と、唸りたてた。
 いわれなき暴言、クラスメートの視線が心臓に針を刺しこまれるように痛い。どうにかしなくちゃ、でもどうしたらいいんだろう。遊は頬を膨らませたままうつむき、ただじっと耐えた。
「何にも反論できねえのか、弱虫め。弱虫は強い奴に従うんだ。人間の世界だって弱肉強食なんだからな」
(弱肉強食だって)
 遊の胸中で何かが弾けた。彼は顔を上げると、まっすぐ視線を直也に向けた。直也はたじろぎ、その一瞬を待っていたかのように、華の甲高い声が教室に響いた。
「ばっかみたい。いい加減にしなさいよ、3人とも」
「なんだよ、うるせいな、女の癖に」
「なによ、そっちこそ、男の癖に3人で寄ってたかって、いじめるなんて。みっともないったらありやしない」
 華の剣幕に、直也ら3人は気圧され、「ちぇ」と吐き捨てるのがやっとだった。
「みんな、先生が来たよ」
 廊下に出ていたクラスメートが走りこんで、直也らいじめっ子は逃げるように自席に戻って行った。

「華ちゃん、今朝はありがと」
 下校の道すがら、遊は素直に感謝した。
「いいの、気にしないで。それより、遊君、頑張ったね。弱虫って言われて、直也を睨みつけたじゃない。遊君、偉い。だから、私、加勢しなくっちゃと思ったの」
 遊は立ち止まって、華の顔を覗き込んだ。
「分かんない?本当はもっと早く、直也らをぎゃふんと言わせても良かったんだけど、いじめられている遊君本人が立ち上がらないと助けられないじゃない」
(そうか、そうだな)
 遊は納得した。嫌なら嫌と、やられた本人が騒がないと。当然の指摘だった。それにもう一つ、直也の発した「弱肉強食」に反発できたのは自信になった。異次元の挑戦が心を強くしているのかもしれない。 
「でも、私が加勢して、直也ら余計に頭に来てたから、また、何か仕掛けて来るかもね。でも、決して怯んじゃだめだよ、一度弱みを見せると、つけ込まれるだけだから。私に矛先向いたら、そうするから」
 同じクラスに仲良しの華がいて本当に良かった、と遊は胸を撫でおろした。
「でも、華ちゃんて、何であんなに強いの」
「そんなこと言われても、なんでかなあ。でも。私んち、かかあ天下なの、だからかもしれないね」
「遊君は知らない?上州名物かかあ天下にからっ風っていうの。うちんち、お父さんがいろいろあってだらしないから、お母さんがとってもしっかり者なんだ。私のことより、この間、直也にいじめらたことはお父さんかお母さんに話したの」
「いや、話さなかった」
「少しも」
「うん、少しも」
 と言って、遊は目を泳がせた。あの日、お母さんに来てほしかった、とつい泣きついてしまった。唯一の信頼できる華ちゃんに弱みを知られて、愛想をつかされたくない。
「何で、話さなかったの。聞かせて」
 華は少しの躊躇いもなく、率直に意見を聞きたいようだ。
「何か、話したくないじゃん、話せないっていうか、話したくないっていうか」
 不当ないじめに受けて、やり返せなかった自分が情けなくて、そんな弱虫な自分の姿を親には知られたくない。仮に親に知られて同情されるのは弱虫だと烙印を押されるのと同じで、もっと辛い。
「う~ん。でも、それ、話さなくてよかった気がする」
「そう思う?華ちゃんならどうするの」
「私も話さないと思う。遊君、胸にしまっておいてよかった気がする。ちょぴり辛いけどね。それに話したくなったらいつでも話せるわけだし」
「そうだよね。だから今日のことも話さないね」
「きっと正解だよ、じゃ、家にランドセル置いたら、遊君の家に行くよ」
「自転車で来てね」
「どっか行くの」
「うん、一緒に行ってほしいところがあるんだ。そこで話を聞いてもらおうと思って」
「いいよ、分かった。じゃ、先に帰って、すぐ行くから」
 華は手を振って、駆け出して行った。
                         その8、に続く。
その8:小説「遊のガサガサ冒険記」その8|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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