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完璧な母親にならなくていい。子どもの母親は自分一人だから。

「完璧な母親」

そう思っていなくても、「完璧な母親にならないといけない」と、どこかで思っている自分がいた。
よく真面目な人がそう思ってしまう。子育ては人と比べるものではないのに、人と比べて一喜一憂しているのだ。そして、結局は子どもにあたってしまう。

自分がいい例だ。

インターネットで情報が溢れている社会の中で、「こんなとき子どもはどうしたらいい」なんて調べてくるとすぐに出てくる。
虐待があったというニュースをみると、「自分は大丈夫。子どもにあたることはない」と思う。
予防接種の予定を、計画的に抜けることのないよう立てる。
離乳食は5、6ヵ月から少しずつ始めて、母乳は1歳くらいまでにする。
母乳育児がいいから、完全母乳でミルクは足さない。
離乳食は完全に手作り、食べなかったら食べる方法をとことん試す。

全部が私に当てはまる訳ではないが、情報を鵜呑みにして、それが正しいことだと勘違いしてしまう。そしてそれを実践することで「完璧な母親になろう」と、よくわからない責任感でガチガチに固められる。子育てにマニュアルなんてないのにだ。

私の場合、父親の帰りは遅かった。そして、実家の母は足が悪く、そして長期入院。
誰に頼ればいいんだろうか。
育児がしんどくなっていった。
本当にこの子を愛せるのか・・・そんなことを思った日もあった。

引っ越し、仕事復帰、第2子を授かったことが同時くらいに訪れた。
「あぁ、無理だ」そう感じたとき、何か弾けた。
「頼ろう。しんどいって言おう。」

この「しんどい」ということを、人に言えなかった自分がいたのだ。「完璧な母親」なんていないんだと、そのとき分かった。

インターネットで情報を探すのもいいが、我が子にすべて当てはまる訳じゃない。
虐待のニュースをみて、その虐待をしてしまった人の背景を考えてみようと感じる。きっと、何か行き詰まっていたのかもしれない。
予防接種は子どもの体調が優先。先ずは子ども自身の免疫力をあげてあげることを考える。
離乳食を始める時期は子どものペースで。食べたくないのに無理に食べさせなくてもいい。母乳が好きなら好きなだけあげよう。
母乳の出方が悪かったら?子どもはやはり大きい方が免疫力がつく。新生児の間は上手におっぱいを吸えない子どももいてるから、ミルクも足すことを考える。
離乳食は大人の食事を味付けする前に取り分ける。レトルトに少し手を加えてもいいじゃない。

これは育児が楽になる方法ではない。
発想を変えてみたり、何かに頼ることを考えている。

母親は一人なのだ。子どもにとっても夫にとっても。
しんどいときは、しんどいって言っていい。母親は一人で母親になる訳ではないのだから。もっと頼って、もっと楽に考えればいい。
母親が笑顔で過ごせていること、そして幸せを感じていること、子どもを心から愛おしいと感じることができる環境が、「完璧な母親」に近づくことかもしれない。

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