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生きること

過去に書いたものから。2018年9月7日。
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昨夜。
息子が、「落語の音読をしなきゃいけないけど、すごく恥ずかしくて読めない。でも学校の授業の本番で読めるには宿題でやっておかなきゃいけない」と泣きながら言ってきた。

内容としては、わたしにはまったく覚えのない葛藤だけれど、共感はある。
「そうか、ふたつの気持ちに引かさかれちゃってるんだね。わたしそれどうもしてあげられないけど、一生懸命聴いてるから、してほしいことあったら言ってね」と伝えると、「おかあはぜんぜんぼくの話をきいてくれない!」と風呂に入って、泣きながら寝てしまった。

翌朝。
息子はサッと起きてきて、「おはよう」と挨拶し、近所のパン屋さんのパンを食べながら「移転しても味が変わらないね」と話す。
「学校で一番好きなのは、スクールカウンセラーの先生だったけど、そういえば今年は相談室行ってないなぁ」とぽつり。
「そっかぁ、行ってないんだねぇ」とわたし応答。

そして、「いってきます」と音読のことには触れず、学校に行った。


その後どんな一日を過ごしていたか、帰宅後に言葉や様子で聴かせてもらえることもあれば、まったくわからないこともある。

生きていれば、この先はわかんないからね。
今この瞬間と、ちょっと先と、いつかと。
いろんな時間や時を感じながら行こう。


聴く、聴いてもらえる、いてくれる。

ただそれだけのことが難しかったり、タイミングが合わなかったり、受け取れなかったり。


そのときはわからないけれど、夜寝て朝起きたら調っていたり。
あとあとになってわかったり。
自分を尽くせる日もあればそうでない日もあり。

でもわたし概ね、誠実に真摯に生きられていると思う、今。

そしてあなたもやはり「聴く」や「一緒にいる」を探求する仲間なのね、と息子を見ていてしばしば思う。