10代に向けて書く
出版プロジェクトの原稿がようやく形を持ってきた。
今は自分の担当分の初稿が書き上がり、第二稿も整ってきたところ。
プロジェクトを立ち上げてからの1年間、何を書きたいのか、どう書くのか、誰に書くのか、ということに取り組んできた。そして、ここにきてようやく、「10代に向けて書くとは」にピンときている自分がいる。
Webで書くのと違って、書籍は物質として存在感を持つ、残るので、責任の重みが大きい。それに慣れるために、とにかくいろいろ「書き散らして」みよう!となった。
わたしも、自分の決めたテーマにかかわらず、今湧いてくる衝動に任せて、書きたいことを書き連ねた。
そうするとすぐに記事に現れてきたのが、
・説教臭くなる
・自分の一人語りになる
・知ったかぶりを露呈する
という事態。
これを自分の書いたもので突きつけられてくるのは非常に辛い!
これはどうにかしたい。こんなことでは本を出すどころではない。
恥ずかしすぎる。
参照していたのが、「10代向けに、若い人に知恵を渡したい」という願いで書かれた本。すでに世にはたくさん出ている。ある一定の年齢になると人はそういうことをしたくなるものなのかしら。まぁ、とにかくいろいろ見てみようと図書館のヤングアダルトコーナーを見に行った。
そうするとやっぱり、こっちが怒られているような気分になってくる本があった。
大事なことを伝えたい気持ちはわかるんだけどさ、いや、その怒りの矛先は同世代の人だったり、上の世代の人だったり、親だったりするんじゃないの?......。
あるいは、一人語りを聴かされる気分になる本。
申し訳ないけれど、時代も地域も違うので、いくら説明されても全然想像できないし、それを元に話されてもギャップが大きいよ。そもそも、あなたが自分の話を聴いてほしいだけじゃないの?......。
そして極めつけに、自分は若者の気持ちがわかるぞ!新しいものにもついていっているぞ!と若ぶってしまっている本。
今の若者のほうはとっくに先を行っているよ、とほほ......。
あるあるなんだなぁ。
そしてこの批判はそのまんま自分の書くものに返ってくる。こんな印象を持たれたくない。そのためにはどうすればいいのか。うんうん考えて、考えて。結局は今の自分で精一杯、書いて、客観的に読んで指摘してもらって、じゃんじゃん直していくしかないと思った。それによる気づきもまた、糧になる。いや、糧にするしかない。
そういう覚悟で年末頃から書いているうちに、フッといい感じに入れた。
自分の書きたいものと、相手が読みたいものの出会うところ。
ベン図の共有部分のイメージ。
自分として学んできたことや専門にしていることを自信を持って手渡したいという気持ちはあるし、ある程度時代やツールが変わっても耐えるものを書こうとは努力する。でも、決して押し付けたいのではない。対話のきっかけや、次のステップへの踏み台になったらいい。そういう思いが湧いてきた。
10代の頃を思い出したり、身近な10代と会話して得るしかないわたしの感覚はきっとどこか旧い。歳の差も大きい。でもこちらが表面的でなく本質的で、説教くさくなくオープンでいたら、読んだ10代の人から、「今はこうじゃないんですよ、でもここは共通するからおもしろかった」「考えたことがなかったので新鮮に感じた」と言ってもらえるかもしれない。何かしら役に立てることがあればうれしい。
こちらから手渡しているようで、若い世代への約束だったり、宣言でもある。あと人生がどれだけ残っているかわからないけれども、わたしはその時間でこんなことに取り組んでいきますよ、という。
脱稿はまだ先だけれど、今はそんな清々しい気持ちでいる。