「ここまでは考えた」を積み重ねる
本を書く、出すと決めたこと、みんなで取り組むと決めたことで、自分の担当テーマ以外のテーマも、今までとは違う視点から考えられるようになった。
観察、感受、思考、発信の精度が上がってきたと思う。
気になることに足を止めて、時間をとって、自分の中に深く潜って、言葉にしていくのは、エネルギーを使うことだから、しんどいことでもある。
でも一旦考えて、自己対話をはじめて、人と対話してからふりかえってみると、ああ、このことについてちゃんと考えたかったんだ、と安堵する自分がいる。
「すべて」について気になっているわけではない。瞬間に言語化するものもあるし、スルーするものもたくさんある。ツイッターに流して満足するものもあるし、人と話して霧散するものもある。
その中で、じわっと浮かんでくるもの、長年気になっていること、どうしてもこれは看過できない!と感じること、これは言葉にしておきたい!と思うことは、何かのお知らせだと思って、一旦取り組んでみると、どんなに難しいと思えるテーマも少し進んだりする。
この、「少し進む」「ここまでは考えたぞと思える」という積み重ねが、何かにつながっていくんじゃないか。
執筆メンバーのライチさんの言葉を借りれば「角度をつけていく」になるのかな。
2年前にもこういうことを考えていた。
こうして些細なことでも綴っていくのは、10代の人におすすめしたいことでもある。
自分を一番理解したいし、一番仲良くしたい。
書くことはそれを実感しやすい手段だ。
評価のためでも、自己顕示のためでもなく、ただ自分の実感を書く。
子どもの頃のわたしはいつも理不尽さに怒り、呻き、うちひしがれていた。「どうして大人は、社会は、世界はこうなんだろう?大人になったらぜったいなんとかしたい」と強く心に誓っていた。
「あのときわたしがしてほしかったこと」
「あのときあの子にあってほしかったこと」
子どものわたしが大人のわたしに託した約束を果たしたい、というのが、わたしにとって本を出す理由だ。
今の時代を生きる10代の人と、40代のわたしでは絶対に感覚や見えている世界が違うのは念頭におきつつ、大人になってできることがふえたわたしとして何ができるか、というものをお腹に持って、書いていく。
そういえば、本を書くことを決めてから、10代の人のために手渡そうと奮闘している人たちの姿もたくさん目に入ってくるようになった。
その人たちがやれていないこと、わたしやわたしたちだからできることってなんだろうという問いも持ちながら、気負いすぎずに考えている。
わたしが手渡したい「これだけは」を。
直近では、ライチさんがこんなスタイルで書いてくれた。
これを引き継いで、「場をつくること」「人を裁くこと」について、少しずつ書いていく。
宣言!
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