心の冬に寄り添う時間と誰かの心(映画『ムーンライト』のご紹介)
今週から新年度ということもあり
(自分は規模の小さなIT会社に勤めているので
新卒社員の人と直接触れ合う事はないのだけれど) お客さん先で多数フレッシュな人達に遭遇した。
とりあえず右も左もわからないから
無難にってとこだろうと思われる
みんな同じ格好をした量産型新入社員の人たち。
同じ色のトレンチコートにそろいもそろってブラックのスーツ。
本家、量産型ザク程の統一感はないものの
いや、むしろそれぞれメイクも違うじゃないか、量産ではない!と
女子目線で言おうと思えば言えるのかもしれないが ハタからみてば、
誰が見てもスーツに着られた量産型状態である。
もう10年近く前の話になることにゾッとしつつ 自分も新卒の時はそうだったなぁと懐かしくなった。
格好が同じで、区別がつかなくても
その中の人たちにはそれぞれの人生がある。
どこかのカップルから生まれて育ってきて
自分に、家族に、恋に、友達に悩みながら、
決して同じストーリーなんて1つもなく、
ここにたどり着いているんだろうなぁ
なんて、
彼女たちがエレベーターから降りていく様子を
初登校するピカピカのランドセルを背負った小学生を見る
近所のおばちゃん的な目線で淡々と眺めた。
そんな近所のおばちゃんさえ憑依させれるようになったワタシは
一応人間を31年と8か月ほどやってきている。
順風満帆ということはほとんどなくて
こんだけ生きてきていても
31回も春夏秋冬を過ごしてきても
ドラえもんの秘密道具を覚えまくっても
ドラクエVを3回、
メンズも引くレベルで華麗にクリアしても
いつかできるんじゃないかと、
かめはめ波の鍛錬をしてみても
何をどうすべきか、
どうしたらいいのか悩むことが95%だ。
年に「うどん食べたいなぁ」と思う回数と同じくらい
「もうだれか答えだしてくれ!」心の中で叫びつつフテ寝する日々。
ちょうど一昨日の夜も
フテ寝キング選手権とかあれば1位取れるんじゃないかと思う
すばらしいフテの世界をクリエイトしていた31歳は 周りにはそんな葛藤があるなんてスライム程も出さず翌日ちゃんと仕事し(当たり前)、
プレミアムフライデーなんかより
ワタシにとってよっぽどプレミアム感がある
映画館のレディースデイに
身も心も乙女モードにして身を投じた。
■映画『ムーンライト』(本年度アカデミー賞作品賞受賞)
いつもなら、
重たそうとか思ってDVDでいいかなと
嫌煙しがちなジャンルの作品。
アカデミー賞前代未聞のプレゼンターミスで
変な形でも注目が集まってる本作は
事前情報として
「黒人」「差別」「LGBT」「ドラッグ」
くらいは頭に入ってる感じで
観る人が多いのではないかと思う。
でも、
それはそれとして描かれてはいるんだけども
一旦、
横において箱にしまった方が良いように思う。
だってこれはワタシにも、
そして他の人にもある人生の話。
決して自分の中にある自分専用の物差しで
相手の人生を定義できない、それと同じこと。
ワタシは幸いにも五体満足で生まれ
両親も健在、兄弟もいる。
貧困も味わったことがない。
でも、じゃあ、それが
何の障害もない人生かと言えばそうじゃない。
自分の性格と容姿に今も悩んでいるし
コミュニケーションも下手で仕事も恋も四苦八苦してる。
それだけじゃなく他にもたくさんある。
それはワタシが
一定の文明の中で
人間を31年8か月やって来たからだ。
黒人でゲイである
主人公シャロンの人生を覗き見た本作も全く同じ。
先日読んだこちらの本に、
NHKスペシャルで放送された
文明と接触したことのない原住民イゾラドの話が載っていた。
彼らには「感情」というものがないとのこと。
死んで「悲しい」、
猛獣に襲われ足がもげて「辛い」、
そういうことはそもそも思わないそうだ。
同じ人間としてそれが
幸か不幸かという問題じゃなく
そういうものだということだ。
逆にワタシや、これを読んでいる人
主人公シャロンは「感情」「心」を持ってしまった。
目の前で起きること、
自分に降りかかること
または自分の心の底から湧き起こることに
心がその都度揺り動かされてしまう。
春のようにウキウキすることもあれば
夏のようにハツラツとすることもある。
秋のように切ない感情の時もあれば
冬のように耐え忍ぶこともある。
それは日本の平和なコタツのある家でぬくぬく過ごしてきたワタシも
アメリカはマイアミの貧困地区でヤク中の母と生活をしたシャロンも同じ。
大人になると、いい意味でも悪い意味でも
悩みを都合よく自分の中で消化しようとし
復活のためのライフハックを無理やり自分に注入するようになるけれど
「心」は、その人の「本質」はなかなか変わらない。
本作は、その「心」と「本質」が
「冬」のように「耐え忍ばなければならない」時
そっと寄り添う、「風」と「光」と「誰かの心」とを
時間の流れが半分くらいゆっくりしてるんじゃないかというくらいの静かさで
目と耳に語りかけてくる。
冬の心を春にしてくれるのは
人生を感じる時間。
それと
足りなくて行き場のない愛に
そっと寄り添ってくれる誰かの心。
観終わった後、気持ちの整理がつかず
本当はいつもならバスで帰るところを
歩きながら春風を感じそんなことを思ったりした。
寄り添ってくれる人が
家族であれ、友人であれ、自分の恋する人であれ
1人でもいることで
人生の唯一の理解者になってくれたようで
どこか申し訳なくも、
嬉しいと感じてしまうのかもしれない。
それが心の春だし、
生きているし、
風の音を聞こうと思える力になるなぁと。
前の日までのフテてた自分を認めつつ
自分も相手の心に寄り添えれてたらいいなと
どうせ生きるならそうしたいと思った。
そういえば、まだ桜を全く見てない。
1人で行くのは寂しくて
見に行くかはわからないけれど
そう思うってことは、
やっぱり私には「誰かの心」に触れたい
っていうシャロンと同じ思いがあるんだろうねェと感じた。
映画としては万人受けはしないし、
派手な作品じゃない。 むしろ地味。とても。
でも、心が「冬」のタイミングにある人は
ちょっと足を延ばして見に行くのもありかもしれない。
余計「真冬」になったらゴメンネ(笑)